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写真を撮り始めた頃に感じていた匂い

あの頃感じた匂いを思い出している。

どうして一眼レフカメラを買おうと思ったのか今では理由も覚えていない。
どこかで聞いた「F5.6」という言葉。
その響きが何となくかっこよくてカメラに興味を持ち始めた。
今でも絞りを絞って使いがちなのはそのせいかもしれない。

就職してから3年目。ようやく生活に余裕が出てきた頃にカメラを買った。
実際は引っ越したり車を買ってしまったりしたので余裕なんか全然なかったんだけど。“助手席に無造作に置かれた一眼レフカメラのイメージ”を自分のものにしたくて、比較的安価だったOLYMPUSのフォーサーズ機を手に入れた。
結果としてカメラも車も買って良かったと思っている。
カメラを持って車で出掛けた多くの場所、春先の運動公園、紫陽花が咲く山寺、真夏のテニスコート、秋の美術館、初雪が舞った峠道、ファインダーを覗いて見た景色が蘇る。
一生忘れない思い出。
手にはいつもOLYMPUSのE-520があった。

写真を撮り始めた頃に感じていた匂いはもうしない。
新しいカメラやレンズを買えばテンションは上がるしシャッターの回数も自然と増える。けれどもそれは当時の感動とは種類が違う気がしている。
今、E-520を構えてもあの頃の匂いを感じることはない。
絞りもシャッタースピードもISO感度もよく分からないまま撮り続けていた、テクニックではなく気持ちで撮っていた時代。
撮影した写真はボケていたりブレていたり暗過ぎたり明る過ぎたり、構図なんてあったものじゃなかった。
だからこそ純粋に目の前の景色を空気ごと切り撮ることができていたのかもしれない。
僕が感じていた匂いは撮像素子が受け止めたイノセンスだったのかもしれない。


Leica M3をオーバーホールに出した。
調子が悪かったわけではないけれど、ストロークの時に少しグリスが切れているような感触がした。
60年以上前のカメラを長く使うにはちょっとした違和感を見逃さないことが大切。オーバーホールには2か月くらい掛かるらしいので、この夏にM3の出番はなさそうだ。
そう考えると余計にフィルムカメラが恋しくなるのが人の性というもので、防湿庫からⅢaを取り出してELMAR 5cmを取り付ける。


こちらは90年前のカメラ。
シャッタースピードの正確性は怪しいけれど、それでもちゃんと写真が撮れる。
ELMARの開放f値は3.5。これをf5.6やf8まで絞って撮る。
ピントは固定でシャッタースピードは1/125くらいを中心に明るさに応じて調整する。
外付けのファインダーで被写体を捉えたらシャッターを切る。
「写ルンです」みたいな使い方。

「フィルムで撮るならM型ではなくバルナックまで振り切ってみるのも楽しいですよ。」
そう勧めてくれた北村写真機店の彼には感謝している。
Ⅲaのシャッターフィーリングはカメラを始めたばかりの頃の感覚を思い出させてくれる。
60年前のカメラのオーバーホールを待つ間、90年前のカメラを楽しもう。
この夏は思い出に残る写真が撮れそうな予感がしている。

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