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今年のセミ活も終盤へ差し掛かり

昨夜の息子の思いつきで、午前中から車を走らせて海水浴に行ってきた。
海水浴といっても海水に浸かって遊ぶのは息子だけで、僕は写真を撮ることと定期的な水分補給に余念がなかった。遊ぶ息子を僕が写真に撮るという構図がお決まりになりつつあるけれど、たまにこれで良いのかと思う時がある。
次に海へ行くときはカメラを持たず、写真はiPnoneだけで撮ることにしてみようか。カメラを置くという選択が思い出にどんな影響を及ぼすのかを知りたい。

日が沈む前に帰宅して海水に濡れた衣類を手洗いする。カメラはG9だったからすぐにメンテナンスをしなくても大丈夫だろう。
マシンでエスプレッソを淹れる。氷と冷えた牛乳を加えて即席のアイスラテを作る。
一息ついていると、息子が公園へセミの幼虫を捕りに行きたいと言い出す。時刻は18時。羽化のために地中から幼虫が出始める時間だ。子どもの無限の体力が羨ましい。


夕方のひまわりはどこか疲れが見える気がする。

我が家の周りは毎年アブラゼミが大量に発生するので、幼虫を捕まえることは簡単だ。日が落ちて暗くなり始めたら公園に行く。桜の木の根元をよく見ると幼虫が登っている。それを手で捕まえる。以上。

昆虫にとって羽化の前後は最もリスクが高い時間帯だ。直前に余計な体力を使うと羽化の失敗につながるし、羽化の最中は動けないし、羽化してから体が硬化するまでは飛ぶことができない。だから暗くなって外敵がいなくなるこの時間帯に土から出てきて、夜のうちに羽化をして日の出と共に飛び立つ。

息子はそのタイミングを狙って幼虫を捕る。
成虫は1本の木に3〜4匹は目視できるくらい群がっているので、捕る気になれば何匹でも捕れる。それでは面白くないのだ。幼虫は1日の決まった時間帯にしか現れない。しかもよく探さないと見つからない。この特別感が子どもには必要なのだ。

8月も中旬に差し掛かり、今年成虫になる予定の幼虫たちもあらかた羽化を終えてしまったのかもしれない。以前ほど幼虫が簡単には見つからなくなった。やはり8月の第一週がピークのようだ。
樹木ではなくコンクリートの壁やカラス避けのネットに空蝉を見かけるようになると羽化のシーズンも終盤という印象だ。

以前、捕まえた幼虫を虫カゴに入れてしばらく連れ回したことがある。その子は結局羽化に失敗してしまったんだけど、それが連れ回したことによる体力低下が原因だったのか、元々そういう子だったのかは分からない。
息子は連れて帰った子が羽化に失敗した姿を見て悲しんだようで、それ以来、幼虫を捕まえると直ぐに帰宅して空き部屋のレースカーテンに放つようにしている(残念ながらそもそも捕まえずに屋外で羽化を観察するという選択肢は生まれなかった)。
よくも飽きずに毎年セミを追い続けるものだと感心するけれど、きっと来年、再来年には虫捕りなんかしなくなってしまうんだろうな。人が成長するためには新しいことを始めなければならないし、そのためには何かを諦めなければならない。大抵の大人は成長の過程で虫捕りという行動をやめて、その分の時間を別の行動に費やしている。


命の尊さを教えてくれたセミ。健気に、そして必死で生きる姿を見せてくれるセミ。虫捕りを通して学んだことは決して少なくない。
一日30分から60分程度の時間。何となくスマホを眺めているよりも、近所の公園で毎年繰り返される命の営みを実感することに使った方が、学ぶことは多いかもしれない。


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