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OLYMPUS OM-D E-M1を買い戻した話

やっぱりマイクロフォーサーズが好きでした。

結論から言えばこれに尽きるんだけど、例のごとく長い言い訳を残しておくので、分かる人には分かって欲しい。
今日、4月3日はフォーサーズの日。
さあ、みんなもゲットしよう。


初めて手にしたカメラがOLYMPUSのE-520というフォーサーズ規格のカメラだった。
何となくNikonやCanonのようなメジャーなメーカーのカメラを使いたくなかった。OLYMPUSを選んだのはそのくらいの理由だったと思う。
OLYMPUSのZUIKO DIGITALのレンズ群はとても魅力的なものが多かった。他のメーカーのレンズよりも何となく繊細な写りをするというか、神経質な写りといった方が感覚的には近いかもしれない。
カタログを眺めたり実物を触ってみたりして、なかなか手が出せない値段のレンズに思いを馳せていた時期があった。今なら間違いなく後先の考え無しに買ってしまっていただろう。

何年かE-520を使った後、マイクロフォーサーズ規格のOM-D E-M1を手に入れた。ミラーレス一眼デビューだ。
OLYMPUSユーザーだったからそのまま同じメーカーのカメラを買ったにすぎなかった。フォーサーズマウントをマイクロフォーサーズマウントに変換するアダプタも一緒に買って手元にあるレンズを継続して使っていた。

その後、紆余曲折あってLEICA DGのレンズをPanasonic機で使いたくなってLUMIX G9 PROを手に入れた。そのときG9の購入資金にするためE-M1は手放してしまった。

LEICA DGのレンズ(Panasonic製のLEICA銘のレンズ。いわゆるパナライカ)の性能は素晴らしく、VARIO-ELMARIT 12-60mmと50-200mmの2本(と×2.0のテレコンバーター)で数年間を過ごした。
途中で単焦点レンズも何本か買ったけれど、高性能便利カメラとの使い方にミスマッチがあって手放してしまった。


思い返せばG9とズームレンズ2本の組み合わせが僕の写真の撮り方に最適化していたと思う。
たった2本のレンズで広角(24mm)から超望遠(800mm)まで撮りたいものを撮りたいように撮れるカメラとレンズ。マイクロフォーサーズという規格に何の不満もなかった。

けれどもその便利さが退屈を生んでしまった。
写真として記録する機能はカメラに任せて、被写体やシャッターのタイミングの選択に意識を集中することができる。これこそメーカーが訴求するカメラの本質なんだろう。
でもメカギークの血がそれを許さなかった。G9のユーザーに寄り添う使いやすさが「そういうのいいから」という感じになった。お節介な母親を煩わしく感じる気持ちとでも言うんだろうか。
当然、なくなって改めて感じるありがたみというものがあり、それが今回のE-M1の買い戻しに繋がっているんだけど。

その便利さを嫌ってG9とVARIO ELMARIT 2本を売却して手に入れたのがSIGMA fpだった。このカメラは便利とは正反対で、カメラに人が合わせるカメラだ。基本的に単焦点レンズを装着することにして使い勝手の面からも自ら制約を掛けている。

SIGMA fpで写真を撮るのが楽しい。
思うように撮れないもどかしさ。思うように撮れたときの嬉しさ。そして圧倒的な画力。Leicaのカメラたちの出番を無くすほどの中毒性があった。

ただし、このカメラで動体撮影を試みると泣きたくなった。SIGMAに言わせれば「fpはそういうカメラじゃないから」といったところだろう。分かっていた。分かっていたけどさ。
手ブレ補正機能を備えたレンズやEVFを導入して工夫してみたけれど、そもそもカメラのシステムが動き回る子供や鳥の撮影に向いていない。撮れば撮る程その事実がより確固たるものになるばかりだった。

SIGMA fpでカワセミを狙い、撮れた撮れないで一喜一憂している頃、息子が野鳥撮影に興味を持った。何にでも興味を持つことは悪くない。
息子は僕のファースト一眼であるE-520にZUIKO DIGITAL 70-300mm f4-5.6を装着して写真を撮った。換算600nmの望遠レンズが面白いらしくサギやカモを撮って楽しんでいた。
それでもやはり古い一眼レフカメラで素早くフォーカスを合わせるのは難しいようで、カワセミやルリビタキのような小さな被写体を撮るのに苦戦していた。

折角興味を持った野鳥撮影が上手く撮れないことで嫌いにならないか心配だった。せめて手放してしまったE-M1やG9 PROがあればと思った。

ある週末のこと、大型リサイクルショップに息子と二人で出掛けたとき、「ちょっと見ていく?」と中古カメラコーナーに寄ることを提案した。何が目当てというわけではなかったけれど、陳列棚に目をやると見慣れたシルエットがあった。
OM-D E-M1だった。しかもMarkⅡ。
「へえ、珍しい」と震える声を誤魔化しながらスタッフに声を掛けて棚から出して見せてもらえるようお願いした。

OLYMPUS OM-D E-M1 MarkⅡは2016年発売のOLYMPUS(現OM SYSTEM)製ミラーレス一眼のフラッグシップモデルで、現行のOM-1 MarkⅡまで続くOMデジタルの完成系として名高いカメラだ。
機能、質感、デザイン、どれもが現在でも十分通用するものだ。LUMIXには操作性の面で譲るところはあるけれど、息子の手にE-M1のボディは丁度よく、何よりOLYMPUSの防塵防滴機能は常軌を逸しており、タフさという面では子供が写真を撮るのにこれほど適したカメラもないだろう。

付属品は全て揃っていて、純正バッテリーが2つ付いている。バッテリーの劣化もあまり見られず、外観の程度も美~良品といったところ。近くにあったレンズを着けて動作を確認しても全く問題ない。

価格はマ〇プカメラやキ〇ムラよりも3割程度低く、ネットの個人売買よりも2割程度低かった。
つまり激安だった。
「買う理由が値段ならやめておけ」というのは金言だけど、理由なら他にいくらでもある。現に隣で息子が「かっこいいカメラだねえ。欲しいねえ」と言っている。「欲しいなあ」じゃなく「欲しいねえ」と同意を求めてくるあたりが憎い。

「すみません、これください」

こんな経緯で買い戻したOLYMPUS OM-D E-M1。
MarkⅡにレベルアップして我が家に帰って来た。
今は息子がメインで使っている。昔の僕と同じようにMMF-1というフォーサーズレンズをマイクロフォーサーズのカメラで使うためのアダプタを介して古いレンズを楽しんでいる。

こんな写真が撮れるんだよ。と息子に作例として見せるために撮った写真がある。これだけ撮れれば十分だなと思ってしまう。SIGMA 150-600mm DG DN | Sportsの出番が減ってしまいそうで怖い。


枝が重なっていてもしっかりカワセミを認識してフォーカスが合う。


背景ボケも美しい。


前ボケも綺麗。


解像感だって悪くない。


目の前に降り立ったジョウビタキ。
さっと構えてさっと撮ることができるコンパクトさ。
フルサイズ機ではこの写真は撮れなかった。


そしてプロキャプチャーがあればこんな写真も撮ることができる。
fp・・・。

とにかく息子が「いいねえ」と言いながら楽しんで使っている。
僕はもう少しfpで試行錯誤(四苦八苦)してみようと思う。

それにしてもE-M1は良いカメラだ。
OM-1欲しくなっちゃうな。
いや、G9Ⅱかな。
迷える日々は続く。

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