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人は生まれた瞬間に、死へと向かい始める♪

私の学部の時の卒論は、プラトン『ソクラテスの弁明』でした。タイトルは、「ソクラテスはなぜ死んだのか?〜追放刑を申し出なかった理由〜」。書くのが遅々として進まない私に、教授が「やりたいことは、はっきりしてるんだから」と言っていたのを思い出すけれど笑、当時、何ヶ月も、死について考え続けたことが、今の私の生を形作っていると思います。

今のところ、死なない人間はいません。

誰もが死ぬ。それは、人間として生まれた私たちの変えられない運命。

言い換えれば、私たちは、この世に生まれ落ちた瞬間、死に向かって歩み始める、ということ。

この世で、生が始まった瞬間に、死への扉が開かれる。

生と死はセット。

だから、私は必要以上に死を恐れることはないのだけれど、だって、それは人間として生まれた以上、当然の帰結だから。

そして、それは、この世の全てに通じる原理。

何かを手に入れた瞬間から、それを失う時に向かい始める。
誰かと出会った瞬間から、別れる時に向かって進み始める。

物事の一方だけを見たところで、理解したことにはなりません。明と暗。陰と陽。生と死。物事の表と裏は全て、セットです。

失うことが、どれほど悲しいか、どれほど辛いかを知っているからこそ、今この瞬間、「ある」ことを大切にできる。大切にしたいと思う。

いつか死ぬことが分かっているから、今この瞬間、生きることに全力になれる。

先日、その生と死のコラボとも言えるような映像を見ました。

ZARD の「Premium Acoustic Live at 高台寺」というタイトルの動画だったのですが、夜の高台寺が映し出され、そこで演奏の方々が楽器を弾き始めたと思ったら...

真ん中のスクリーンに、映し出されたのは、坂井泉水さんが歌い始める映像。

もうこの世には存在していない人が歌う映像と生演奏のコラボレーション。

生と死が混在したライブ。

それは、「ライブ」というものの概念を揺るがすもののようにさえ、私には思えました。

この世には存在していない人が行う「ライブ」。語義矛盾にすら感じられるものですが、それは坂井泉水さんの死が、彼女の生を鮮やかに描き出していた瞬間だったように思います。

人の死が、生を輝かせる。
別れが、出会いの大切さを映し出す。
悲しみが、喜びを照らし出す。

そんなことを改めて思い出させてくれたライブ映像でした。その感動のままに歌った、私の『揺れる想い』はこちら↓


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