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『薔薇の花の下』(狗飼恭子)

私が高校生の頃、すごく好きだった小説家さんに「狗飼恭子」さんがいます。当時、発売される度に買っていたのは、彼女の小説くらいしかなかったんじゃないかな、と。

彼女の小説の中で、というか、私がこれまでに読んだ小説の中で、一番読んだ回数が多いのが『薔薇の花の下』という物語。どうしてそんなに読んでいたのか分からなかったのですが、それだけ読んだからには、私にとって、何か意味があるものだったのだろうなあと思って、もう一度、読み返してみました。

気づいたことは…

私はまず、この小説の書き出しに心奪われていたんだろうなあと思います。その小説の主人公は、「五百沢今日子(いおさわきょうこ)」という名前で、それはもちろん「狗飼恭子」さん自身をモデルにしているからなのですが、こんな風に始まります。


 わたしにできることは数えるほどしかないけれど、だからこそわたしは、それをとても上手にできる。
 たくさんのことができる人は大変だ。
 できることの中から、したいこと、するべきことを選ばなくちゃいけない。
 その点、私はとても簡単。わたしはただ、できることをするだけ。
 わたしはとても上手にできる。
 たとえば誰かを愛することを。


こう言い切れてしまう主人公が、そして、狗飼恭子さんが不思議で仕方なかったのと同時に、とても羨ましかったのだろうなあ、と。私にはできることはたくさんあったけれど、誰かを上手に愛するなんて、それこそ意味不明のことでしかなかったから。それに、この小説には「幸福」とか「幸せ」について考えるシーンが何回も出てきます。

「自分にとってではなく、周囲から見た幸福が、欲しくなるときが来るんだ、いつかきっと」 
 先生の答え。
 そんなの、嘘だ。わたしは周りの人から、とても幸せな人だって言われる。だけど、そんな実感のない幸福感なんて、ないのと一緒だ。

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 恵まれている、と良く言われる。
 若い時に小説家になって、優しい恋人がいて。小説を書いて御飯食べられてる人なんか本当に少ないんだよ。良い出版社に拾われて、生活できるくらい売ってもらってて。それに、男の人に想われる恋愛を、いつもしてるしね。仕事と恋愛、両立できるなんて幸せ以外の何ものでもないよ。
 本当に恵まれているね。いいなあ。羨ましい。

 そうだろうか。

 本当にわたしは、恵まれているのでしょうか。
 何に恵まれているのでしょうか。

 ままならぬ人生。


恋愛小説家という、私とは全く別世界に生きている人の物語でありながら、でも、この複雑すぎる主人公の気持ちが、何となく分かるような気もしてしまって、読み続ければ、何かが見つかるような気がして、何回何回も物語の扉を開いていたんでしょうね。読んだからといって、何か見つかるとは限りませんが笑、考えるにはよい小説のご紹介でした。

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