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目の前の人をどう「見て」いますか?

『最強のふたり』というフランス映画があります。首から下が麻痺していて車いすで生活している大富豪のフィリップと貧困層出身で黒人のドリスが主人公の映画。

私はこの映画を「異文化コミュニケーション」の授業でよく使いますが、それは二人が「異文化」にいると考えられるから。「異文化」は「国」の違いだけではないんです。アメリカ文化と日本文化などの国の違いはわかりやすい異文化ですが、身近なところにも異文化はたくさんあります。

たとえば、この映画のように車いす生活をしている人と普通に歩いて生活している人。その2人は見ている世界も違えば、価値観も違えば、生活スタイルも全然ちがうでしょう。そういう違いも異文化。

大富豪の人と貧困層の人にも違いがたくさんあります。何を食べるのか、どんな音楽を聴くのか、どんな趣味があるのか、などなど。そうした身近なところにある違いも異文化。

そんな異文化の人と接する時に大切なことが、この映画ではよく分かる。

映画のストーリーの始まりは、車いす生活をしているフィリップが介護をしてくれる人を雇うのに、面接をするところから。

いろんな人が面接にやってきて、いろんな話をしていきます。自分にはこんな資格があるだとか、この仕事が天職だと思うとか、人の役に立ちたいだとか。そんな話をいろいろと。

そこに、ふらーっとやってきたのが失業して、とりあえず面接にきてみた黒人のドリス。なんの介護の資格もないし、仕事をとれなくてもいいから、とりあえず面接に行った証明をハローワークみたいなところに提出したかっただけ。

大富豪のフィリップは面接でたわいない会話を始めて、ベルリオーズ(クラシックの作曲家)の話をします。黒人のドリスは本当はなんのことかわからないのに、わかったようなふりをして話しますが何にも話が通じない笑

とりあえず、明日、証明書を取りに来て、と言われて、ドリスは次の日もその家に行きます。

すると・・・・・・

ドリスはフィリップから「試用期間を与えたい」と言われる。つまり、採用されたということ。

なんの資格もない、ふらーっと来てみただけのドリスがなぜ採用されたのか?

介護を習い始めるドリス。ドリスはこんなことをします。

「介護用の車を使わない」
「これは『健常者』用のチョコだからあげない、と冗談を言う」

介護の資格がある人だったら絶対にしないでしょう。こうしたドリスの行動からわかることは、彼は目の前にいる大富豪のしょうがい者を「しょうがい者」という「カテゴリー」だけから見ていないということ。

「カテゴリー化」という言い方をしますが、目の前にいる人をなんらかの「カテゴリー」に当てはめること。たとえば、この人はアメリカ人であるとか、しょうがい者であるとか、大富豪である、とか。これは生きていく上で必要なことでもありますが、ドリスはフィリップと接する時に、まず「しょうがい者」であるというカテゴリーから入っていないということ。それが大切で、目の前の人そのものをまず見ている。それがドリスが採用された理由。

これが異文化の人と接する時のキーにもなります。目の前の一人の個人とまず接する。その次に、その人には「フランス人」という特徴が、「しょうがい者」という特徴が、「大富豪」という特徴が、「黒人」という特徴がある、と考える。

まず、この人はしょうがい者だ、車いすの人だ、と思って接すれば、その人は自分を見てもらえていると思わないから。

目の前の人の何を見て接していますか?

ちょっと考えてみてくださいね♪

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