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自分の考えを相手に伝えるために必要な3つのこと

相手に伝わる話し方をしているだろうか。そもそも、相手に自分の考えを伝えるために意識して会話をしているだろうか。

コミュニケーションスキルというとなんともチープな表現だが、このスキルは本当に重要だ。仕事でも、恋愛でも、友人関係でも、会話が上手い人はそうでない人と比べて得する場面は多い。では会話が上手いとはどういう人のことを言うのだろうか。

僕はこの夏、ある日系コンサルファームでインターンをした。そこで多くのコンサルタントと関わり、会話をしたが、彼らはプレゼンのプロだ。つまり自分の考えを相手に伝えることに長けた専門集団だ。彼らは話が抜群に上手い。それもそのはずだ。コンサルタントはクライアントが抱える課題を発見し、相手を課題解決に導くのが仕事だ。詰まるところ自分の考えをクライアントに伝え、相手を動かすことができなければ仕事にならないのだから。

この夏多くのコンサルタントと関わる中で見えてきた会話が上手い人が持つ3つの要素を今日は紹介しよう。たった3つだ。これを意識するだけで相手に確かに伝わる話し方ができるようになると思う。

1.敬語を正しく使いこなす

3つの要素のうち、一番基礎となる部分がこれだ。日本語独特のこの敬語という文化、結構奥が深い。簡単な「です、ます調」、いわゆる丁寧語だけであれば義務教育を受けた人なら問題なく使いこなすことができる人がほとんどだろう。しかしビジネスの場、社会に出てからはやはりそれだけだと不十分だ。

日本語には大きく分けて三種類の敬語がある。尊敬語、謙譲語、そして先ほど例に出した丁寧語だ。

敬語を正しく使えているかどうかはこの尊敬語と謙譲語を使い分けることができているかとほぼ同義である。

尊敬語は相手を敬い、相手の立場を上に上げることで敬意を示す表現であり、主に相手が動作主体の時に用いる。謙譲語とは譲る言葉、つまり譲歩し、自分の立場を下に下げることで相手の立場を相対的に上げる敬語だ。謙譲語は自分が動作主体、自分が行った行為を敬語で話す際に用いる。

さて敬語で難しい点、そして個人的に誤用が多いと思う点の1つがこの謙譲語の使い方だ。何しろ自分の行ったことを話す際に使う言葉なのだから使用頻度は高くなる。その分間違った使い方をしていると何度も恥を晒すことになってしまう。

謙譲語の間違った使い方でよく話に持ち出されるのが「させていただく」の用法だ。最近はとにかく語尾に「させていただく」をつけてしまう人が多く、「させていただく」をつけさえすれば謙譲語にできると勘違いされているがこれは大間違いである。「させていただく」は「する」、英語の「do」にあたる表現になるから使用頻度が高い。僕も完璧に敬語を使えているわけではないので自戒の意味も込めて「させていただく」を使用する際は間違いがないかいつも気をつけている。

ここで「させていただく」の意味を再確認しておく。

文化庁が発表した「敬語の方針」によると文化庁が発表した「敬語の方針」によると

相手もしくは第三者の許可を得て行う行為
そのことによって恩恵を受けるという事実や気持ちがある

つまり英語でいう「Let me ~」に相当する表現だと言える。自分の行った行為全てにいちいち「させていただく」をつけるということは、何でもかんでも許可を得ないとできないのか?ということになってしまうわけだ。

「させていただく」の代用としては「いたします」を使うのがベターだ。

謙譲語を使う際、特に「させていただく」をつかう際には、それは本当に「させていただく」ものなのか?と一度自問した方が良い。

もう一つ、敬語の誤用として多いのが二重敬語の問題だ。二重敬語とは一つの敬語表現の中に謙譲語を重複して使用していたり、尊敬語と謙譲語が混じってしまったものをいう。聞き手からするとなんだかしつこくて違和感を覚える表現に聞こえてしまう。

例えば「拝見させていただきます」などは最たる例だ。

何でもかんでも「させていただく」をつける癖がついているとこうした間違いを犯すことになる。

「拝見する」はそれ単体で謙譲語だ。つまりこの場合は「拝見する」だけで十分に敬意は伝わっている。

敬語の誤用は本当に多い。それだけ敬語は難しいし、正しく使いこなせている人が少ないのだ。だからこそ、今の時代に敬語を正しく使いこなす人、そして敬語を使いこなすことに価値を置く人はそれだけで周りと差をつけることができる。

美しい敬語を話せる人というのはカッコ良い。

敬語は日本人であるかぎりコミュニケーションの基本中の基本だ。ここがおぼつかないようでは相手に自分の話を聞いてもらい、その上で相手を動かすなんてできるわけがない。

意識して練習しなければ正しい敬語は身につかない。僕もまだまだ修行中だ。敬語も外国語の一つだと割り切って、単語や用法を覚えるつもりで練習していくくらいの意識が必要かもしれない。

2.話を構造化して、論理的に伝える

話を構造化し、論理的に伝える。これはコンサルタントが最も得意とする部分だ。では構造化とは一体何なのか、論理的とは一体どんな話し方のことを言うのか。

構造化とは話全体を本1冊に例えるなら、頭の中で目次を作り、目次を冒頭に伝えた上で中身を順番に話していくような感じだ。まず最初に話全体の大枠と流れを聞き手の頭に整理して伝えておく。そのあとで詳細なストーリーを付け加えていく。聞き手は最初に大体どんな話がどんな流れで今から話されるのか把握することができるため、心の準備ができる。これがないと今話していることは全体のどの部分で、次は何が話されるのか、そしてどう続いていくのかといったことがわからず聞き手は集中力が続かず、迷子になってしまう。

話が上手い人というのは紙媒体の資料がなくとも自然とこうした話し方ができている。相手の頭の中に今から話すことの目次を作り、そのあとで項目ごとに整理された話をする。構造化とは相手への思いやりと言っても良い。聞き手の負担を考え、理解してもらうように努めるならば、自然とこうした話し方が必要になるのだ。

ではもう一つの要素、論理的とは具体的にどういった話し方を指すのか。僕個人の考えでは、論理的な話し方とは話全体にストーリー性があり、話が順番に展開されていく話し方だと思っている。

AだからB、BだからC、なのでD

こんな具合に話がしっかりと続いていて、話の流れに途切れがないことが重要である。そして飛躍した展開がないことも大切だ。例えば本来A→B→C→Dと話すべきところをA→D→B...といった具合に話していては伝わるはずもない。

A→Dでは論理展開が飛躍している。聞き手からするとDがいきなりきてしまった時点でWhy So?と話の流れに違和感を覚える。Why Soに対して一つ前に戻ることで説明がつくなら、それは論理が破綻していない証拠だ。しかしこの場合、DのWhy So?にAでは説明がつかない。この時点で論理が破綻していることになる。

話に論理性を持たせるなら、前に戻ることでWhy So?の疑問に説明がつくことと同様、先への展開も大切になる。本来Dまで話すことで一つのストーリーが完結し、一番伝えたいことを説明し切ることができるのに、話をBやCで止めてしまっては結局何が言いたいかわからない話となってしまう。Bで終わった話に対して聞き手はSo What?となってしまうのだ。

So What?が生じなくなるまできちんと話し終えることが重要なのだ。順番に論理を展開し、Dまで綺麗に説明し切ることができれば聞き手にSo What?の疑問は生まれない。そして話をDまで展開する過程でここでも飛躍がないよう留意しなければならない。A→Cの流れだとAのSo what?に対してCでは説明が付いていない。聞き手のSo What?の疑問に順番に答えていく形で話に連続性と一貫性を持たせる必要がある。

こうして話を先へ展開する際にSo whatが解決され、話を前へ戻すことによってWhy So?の疑問が解決されるストーリーこそ、論理的だと言える

論理が保たれた話は途中で疑問点が生じないし、例え難しい会話だったとしても整理されていてストーリー性があるため聞き手は迷子にならない。しかもストーリー性がある話は聞いていて面白いのだ。論理的かつ構造化された話とは、わかりやすいだけでなく、思いやりがあり、しかも聞いていて面白い話だと言える。

こうした話し方ができる人は他者を魅了する。僕もぜひそんな人たちに少しでも近付きたいものだ。


3.話に感情を乗せる

人は論理だけでは動かない。人を動かすには論理と感情の両輪が必要だ

適切な敬語を用いて、論理的かつ構造化された話をすれば、自分の考えを理解してもらうことはできる。だが結局のところ自分の話をわかってもらうだけでは十分ではないのだ。最終的には人を動かしてなんぼなのである。

話に感情を乗せるとはどういうことか。

個人的には『自分の思いを恥ずかしがらずに言葉にすること』と定義したい。

自分よりも立場が上の人、クライアントや上司などに話をする時、ついわかりやすく伝えることだけに意識が向きがちだ。もちろん話がわかりやすくなければ考えを理解してもらえないのだから、相手の理解を容易にするため、上述した論理的かつ構造化された話を心掛ける必要がある。だがわかりやすさを追求した話というのは退屈なのだ。

どれだけわかりやすい話だったとしても、情熱や思いが篭っていない話は空虚だと思う。自分の主観をあまりにも省いてしまった話し方だとこの大切な部分が抜けてしまう。逆に話の構成が多少おぼつかなかったとしても、本気で伝えるストレートな言葉は相手の心に必ず届く。その熱は必ず伝わる。だから大切な話をする時ほど客観的すぎて空虚な話ではなく、あえて自分の正直な思いも織り交ぜて、言葉にしよう。その必死な思いがしっかりと相手に伝わった時、相手は自分の話に共感してくれる。

相手を動かすためには、理解→共感の流れが必ず必要だ。1章、2章で述べた要素は理解までに必要なステップである。共感のフェーズに持っていくためには自分の話に感情を加える必要があるのだ。

この感情を加えるというのは、言うは易しで実際かなり難しい。自分の思いや解釈というのは自分の言葉で伝える必要がある。客観的なデータや事実、他人の解釈や意見は自分のオリジナルの言葉でなくとも話を伝えることは可能だから、1章、2章で述べた要素に気をつけて話せば言葉のセンスは問われないだろう。しかし自分の意見、思いを加える際はそうは行かない。自分のセンスで言葉を選び、捻り出さなければならない。

相手を傷つけないように、失礼のないような話し方をしつつ、自分の言葉で相手に伝える技術が必要だ。面倒だし、慣れていないと難しい。だが多くの人はあまり自分の熱を相手に伝えることをしていないと思う。だから多少面倒でも、このフェーズを省略せずに話すことで他の多くの人と差をつけることができる。と個人的には考えている。

日本人は恥ずかしがり屋だし、遠慮しがちだ。けど自分の思いをまっすぐ相手に伝えることは何も悪いことではないし、かっこ悪いことじゃない。だからもっと話に自分の思いと感情を乗せよう。勇気を持って伝えよう。結局はその熱こそが相手を自分の話に共感させ、感動してもらうために一番大切なことだから。




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