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生まれ変わるなら生きているうちに

「お前が無駄に過ごした“今日”は“昨日”死んだ誰かが死ぬほど生きたかった“明日”なんだ」

という名言があります。これは元々、ACのCMでキャッチコピーに使われて広まった台詞だそうです。

これをさらに遡ると、「カシコギ」という韓国の小説の中に出てくる台詞

「あなたが空しく生きた今日は、昨日死んでいった人が、あれほど生きたいと願った明日」

が元になるそうです。

(108円!安すぎる!!どういうこっちゃ!!)

たしかにいい言葉だなと思うのですが、ぼくはこの言葉に若干の違和感を抱えています。

ぼくの人生はぼくのものです。それをどう生きてもそれはやはり僕の責任であって、誰かに責められるようなことではないと思うんです。

「無駄にした1日」という考え方もそれは誰かと比べるモノではないと思うのです。自分で無駄にしたと思うのであれば、それを反省すればいいし、ぐったりのんびり過ごしたい日があれば、やはりのんびり過ごしたいものです。

皆に配られた時間という観点からみれば、与えられているものがそれを行使しないことは怠慢のように思えます。自習時間に一生懸命勉強している人とマンガを読んでいる人ではやっぱり勉強している人の方が偉いような気がします。

でもこれは生きている人同士の比較であって、そこに死者が比較対象として入ってくるのがなんだか納得いかないなぁというわけなのです。

無駄を感じてしまったなら、自分で自分を生き直すことを繰り返していくしかないんじゃないかなぁと思いました。

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なるべく毎日と言ったnoteも今日で60日目!

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