パチンコはおこづかいの範囲でね

 人間観察をしていて、仕事のスキルがとてつもなく高く常人離れしているけど生活スキルが驚くほど低い人、知り合いにめちゃくちゃ生活の世話してもらっている。みたいな、むかしの昭和の亭主像みたいな人はちょくちょくいて。それって世話焼いてくれる人いなくなったらおしまいじゃね?って思うので、自立しろって思ってしまうのだけども。
じっさい奥さんが亡くなって生活が破綻した亭主、という人生の実例を身近に観測しているのもある。

自分はありがたいことにある程度そこそこ仕事も生活も自立できているので(生活習慣は苦手だけど)、他人を見るとき「依存するな、自立しろ」って暗黙に思ってしまいがちなんだと思う。というか父自身もそう。父とスキルセットと認知傾向が似てる。

 だから自分の中で無意識下に「依存は悪」という認識があった。しかしオタクコンテンツに依存している自分自身は矛盾しているわけだけど、そこをまじめに考え始めると認知的不協和になるわけだが、そこはスルーしてたわけだ。というか考えたことなかった。ダブルスタンダード。仕事と生活以外の時間、だらだらTwitterやWebの記事をみる(これはニュースの取り込みでもある)か、オタク時間に費やしている。
そもそも生物は地球環境に依存しているので地球が爆発したら終わりだし、何にも依存せずに生きられるはずがなかった。基本的にほとんどの人は収入源が1つの手段、生業しかないし。副業もしてみたいけど。


だから、「依存しない」でなく「何に依存するか」「どのように依存するか」に思考の出発点をシフトする必要がある


 「この依存先との依存関係は、いつまで持続可能か?」というのが命題になってくる。そんなのあたりまえじゃん。と言われればそうなんだけど。
でも依存先のポートフォリオ管理、めんどくさいので、「もうこの依存先で一生過ごす!」ってしたいんだけども。それができればいいんだけど割と難しい。でもそれを追い求め続けてしまう気持ちも無くなることはないとは思う。

いま夢中になっているオタクコンテンツも、いつかは自分の中で飽きてしまうのか・・・と。あるいはコンテンツ側から自分が突き放されてしまうか。それは仕方がない。雇用流動性のようなもの。万物流転。諸行無常。
だから依存先を複数持ったり入れ替えたりすることが起きる。

地球だっていずれ太陽の膨張に飲み込まれて終わるからそれまでには太陽系脱出しなければ生き残れないし。時間制限がある。持続可能性。


 その点、伝統宗教ってすごいよな、最後までチョコたっぷりだもん。
少なくとも自分ひとりの人生を終えるまでの期間程度は存在し続けるであろう期待値が高いもの。だから生涯の依存先として選ばれやすい。だから引っ越したときや年末年始は、近所の神社仏閣に挨拶に行く習慣がある。
あ、ドモ・・最近引っ越してきました。このナワバリを張ってるボスにアイサツに来ました!ヨロシクオナシャス!みたいな感覚。

摩利支天と不動明王推しです。