クソデカ自我

 やんちゃなアイドル的な演者がファンに対して、

「他のアイドルはファンに対して"投げ銭しすぎたりグッズ買いすぎたりして食費減らしたりしないでね"みたいな心配するの見かけるけど、なんでお前らの財布の心配せなならんのや自分で管理しろ」

みたいにキレてる人がいて、そういう発想の人もいるんだ~って新鮮だった思い出。

「アイドルである自分がファンに対して影響を与えはするが、それによってファンがどうなろうが知ったこっちゃあない」という。「パチンコはおこづかいの範囲でね」などという気配りは商売人にはいらねーんだよ的な勢い。小学生の喧嘩で誰しもが通る「くよくよすんな!おまえは他人から死ねと言われたら死ぬのかよ!アホか!」みたいな問答とも通じるものがあるな。
仕事が残っていても定時退社する vs 仕事が残っていないのに残業する みたいな、ドライとウェット。「ブラック企業に追い詰められて心身をやられるなんて馬鹿」とか言いそう。たしかに、自分を守るためにここは譲れねーよ?と突っ張るべきTPOはあるから、一理あるっちゃある。ギャラの交渉とか。

 つまりは、人間は自立型と依存型で認知傾向が分かれているのだろうか。「自我の強弱差」というか、「自他境界が明確か曖昧か」というか。他人から影響を受けず自己管理ができている人にとって、他人から影響されて自己管理ができなくなるほどにまでなる人って理解できないのかも知れない。
大まかな国民性としては日本人は自我が弱め、米国人は自我が強めな傾向はありそう。
ホストクラブで、ホストになる側と、ホスト狂いになる側。

道徳的・教科書的には、感受性が高く、他人の苦しみを理解できるような人物像が望ましいものとされているけど、それはそれで、いちいち他人に振り回されるわけなので本人はたまったもんじゃないんだよな。
電車が人身事故で止まって足止めを食らう時に悪態をつくかどうかで「どっち側の人間か」のリトマス試験紙になるな~感がしてる。昔から。自殺志願者の気持ちに同調できる側、できない側。

ケイスケホンダは、「気持ちはわからない。けど、なんとかしたい」という誠実さを感じる。

 デカイ自我からすると、オタク界隈でよくある、他人が何か好きでいる物事を攻撃してはいけません、といったような道徳も、「いや別に他人から自分の好きなものをバカにされようがどうでもよくね?動じる方がおかしくね?」という解釈になるのだろうか。いや逆なのだろうか。実際の世の中は、他人から自分の好きなものをバカにされたらキレる人は多いですが・・・SNS炎上の典型例。というか、SNSどころかリアル国際問題にまで発展し得るのですが。

「他人から影響を受けやすく自滅しがちな自我の小さい人間を保護すべきか。気を配って行動すべきか」という命題になるのかな。
他人から影響を受けにくいデカ自我人間にとっては馬鹿馬鹿しいのだろうけど、まあどちらのタイプの人間にせよ社会人のお行儀的にはある程度は保護が必要でしょうね。
クーリングオフをはじめとする消費者を保護する法律がいろいろあるのもそういうことなのでしょう。
とはいえ、公営ギャンブルは営まれているのですが。