初めてアートを買ったときの話

十代、二十代の頃は、アートを観に行くのは美術館がほとんどだった。有名な人、歴史に残る誰もが知っている人のアートばかり観ていた。アートは入場券を買って観るというのが普通だったし、それしか知らなかった。

三十代になってからある人と出会って、アートはもっと身近に沢山あることを知った。小さな画廊、大きな画廊が街にはいっぱいあることを知った。時間を作って画廊巡りをするのが楽しみでよく足を運んだ。いろんな手法、見たことのない色、アートの面白さにハマっていった。

ある日、道端に画廊の立て看板をみつけた。開催中の個展のチラシに目を奪われ観に行った。

画廊自体がアートそのものって感じがしてドキドキしながら中へ入った。作品がところ狭しと埋め尽くされ展示されていた。「わ~、時間いるな~これは!」と感じたのが第一印象だ。

作家さんのファンであろう方々が何人かいて話こんでいた。時間帯がよかったのか、まだそんなに混んでいなかった。おかげで、一つ一つじっくり観ることができた。

独特の手法と色で目をひく作品の数々に、「わぁ~。。うぉ~!!」と心の中で叫ぶ。連れがいれば外に声を(小さく)出せるけど、アートを観るときは私はいつも一人。だからこんな感じだ。

作品の多くはわりとハッキリとした色で創られたものがほとんどの感じがした。そんな中でも一つだけ柔らかめの色で創られたものがあって、それがものすごく気になった。

じっと眺めて、他に目をやっては、また、その気になる作品の前に足が戻る。何回もそれを繰り返した。

ファンの人が帰っていった。作家さんが私に話しかけてきてくれた。なんでこの作品だけこういう色なのか?を聞いたと思う。答えてくれたけど覚えてない、、苦笑 あと、この作品についての他の話も聞いた。それを聞いてから改めて作品を観ると、「へぇ~!」って思って、なおさら、いいなぁって気持ちになった。それは覚えてる。笑

画廊主がお茶を入れてくれたので座って話をした。今の手法になる前は全く別の手法で作品を創っていたらしい。それが、ある人の助言で変わったんだと。他には、作品創るのにも当然お金が必要なわけでお金が底をつけば創りたくても創れなくなる。観る側はそういうことは何も考えずにただ楽しむだけだが、話をすれば、作家さんの作品に対する考えや想いや、生活までが垣間見えることも時にある。やっぱり直に話すのっていいなぁとこんな時思う。

それでも誰にも話しかけられたくない時もあるわけで、そういう時はそういう場所に行けばいい。“そういう場所“をみつけるのは自分でいうのもなんだが得意だ。ってそんな話はともかく

結局、私はその気になる作品が欲しくなってきたのだ。作家さんと話をしなければここまでの気持ちにはならなかったかもしれない。

若い頃、美術館に行っては毎回買っていたポストカードとは違う。一点物のアートを初めて買うときの緊張は半端なかった。今にして思えば、それほど飛び上がる値段がついていたわけでもないのだけど、“アート”というものに対しての自分の中での“価値”が全く土素人で『わからない』のだ。どうなんだ一体!?という謎の不安。ずっと持ち続けられるか?という変な疑問。これが、『わからない』人間が初めてアートを買う時に生まれた感情です。笑

なんだかんだ思いながらも欲しい気持ちが高くなった私は買うことに決めた。会期が終了してから受け取りに行くことになった。実際に手にするまでの数日間が異常なほど長く感じた。まだ不安が出てくるからだ。ずっと好きでいられるかな?みたいな。これがいい!と思った、だから買った、それだけなのに、なんなんこの感情。他の物でここまで考えることなんかまずない!のに。不思議だ。

初めてアートを持って帰る時も、これまた緊張した。道を歩き、電車に乗る。胸に抱いて持って帰った気がする。やっぱり、他とは違うみたい。私にとってアートは特別な存在かもしれない。

作家さんと話したことで今思い出したことがある。
『僕の作品は、天地逆でも、どのように飾ってくれてもいいんです。』

その言葉は私にとってすごく新鮮だった。自由でいいなと思った。縦でも横でも自分が好きなようにできるのがいいなと思った。

あれから数年、今でも自分の家にはこの作品がちゃんとあり、眺めてはホッとしたり、今みたいに、買った時のあれこれを思い出してみたり色々だ。アートは他にもいくつか増えて、それぞれに買った時のエピソードがある。

世界中には数えられないほどの作家さんがいて、観たことのない、まだ知らないアートがまだまだ沢山あるんだろうな。今度はどんな作品に出会えるかな。またアート探索行きたい。