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ナゴルノ=カラバフ難民 病に苛まれた夫婦の場合 難民100人取材

夫婦は語る”世界はそんなに悪くないと信じたい、、、”と

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      ナゴルノカラバフ 難民の夫婦。旦那さん(52) 奥さん(47)  旦那さんは病に苛まれているだけでなく、パスポートをナゴルノ =カラバフの村に残してきたためにアルメニアでIDを作れず、仕事につくことができない。奥さんの勤め先の上司の家に現在住んでいるがいつ追い出されるかわからない。先が見えない状況で出口はまだ見えない、、、、

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アルメニアのタテフ村近辺の美しい大自然

ナゴルノ=カラバフにて44日間戦争が始まるまで夫婦は笑顔が素敵な16歳の娘と共にカシュタ地方ハイカジャン村で暮らしていた。ハイカジャン村で夫婦は家畜や菜園の野菜を育てて生活していた。ハイカジャン村には牛、七面鳥、鶏、馬、羊、家、庭、仕事、幸せな生活、全てがあった。ハイカジャン村は自然が綺麗で暖かく、バナナなどのフルーツの栽培、動物の飼育に適した素晴らしい土地だった。

2020年9月27日44日間戦争が始まり政府の避難勧告が出たので全てを置いて村をでた。2016年の4日間戦争の時のように数日でナゴルノ=カラバフにある村に帰宅できると思っていたので旦那さんは自身のパスポートをハイカジャン村の家に置いてきていた。しかし、この判断が後に夫婦を苦しめることとなる。夫婦は愛娘と共にハイカジャン村を徒歩で脱出した。あの後、手塩にかけて育ててきた家畜や菜園、家がどうなったのかは夫婦には分からない。爆発音が聞こえる中歩かねばならないのはとても恐ろしかった。1時間ほど歩くと大型の車が夫婦達を拾ってくれた。そして、その車で夫婦はアルメニア本土のゴリス市にたどり着いた。ゴリスに着いてから15日間夫婦は親切なアルメニア人が経営する牧場に住まわせてもらい、牧場の仕事の手伝いをした。

戦争は夫婦の想像以上に長引いた。最終的に44日間戦争は停戦したものの、停戦合意により夫婦達が暮らしていたハイカジャン村はアゼルバイジャンに引き渡された。つまり、夫婦はもう故郷の我が家に帰る事はできないのである。

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一人で家計を支える奥さん

今現在奥さんが酪農会社で働いてバターやチーズを作る事で生計を立てている。夫婦と一人娘が暮らす場所は奥さんの仕事の上司の家の地下部分を住む場所として使わしてもらっていた。

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夫婦が一人娘と3人で暮らす場所である、奥さんの上司の家の地下スペースの一室

取材したのは晴れた日の午後だったが、訪れた夫婦の部屋は薄暗く、少し寒かった。”自分たちだけのプライベートがあるスペースがなく、地下は暗く、いつ出て行けと言われるか分からないから安心して生活することもできない、、”そう奥さんは悲しそうな顔で語っていた。仮に夫婦が今住んでいる場所を追い出されたとしたらアパート探しの必要経費や家賃が必要になるのはもちろんのこと、一番の問題は現在のゴリスでアパートを探すこと自体がかなり困難だということだ。ゴリスは2020年の44日間戦争の前は人口2万人の街だった。しかし、44日間戦争が勃発しナゴルノ =カラバフから多くの難民がゴリスに流入し、戦争直後はゴリスの人口は約3万2000人にまで膨れ上がった。戦争前の人口よりも50%以上も増えたのだ。2021年11月取材当時もピークが過ぎ去ったとはいえゴリスの人口は約2万5000人程と戦争前に比べて25%程増えている。急な人口の増加に全ての難民の人たちが生活できる数のアパートや家があるはずもない。夫婦と娘さんは住む場所を失うかもしれない恐怖を常に抱えて生活している。ハイカジャンの村には家があるというのに、、、、

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パスポートが無く仕事につけず、病に苛まれている旦那さん。

旦那さんはパスポートをナゴルノ=カラバフのハイカジャン村に置いてきた。よってアルメニアでIDが作ることができず、仕事につくことができない。パスポートを新しく作る事は可能だが、そのためにはアルメニアの首都エレバンに何度も通わなければならない。エレバンに滞在するお金も何度もエレバンに通うタクシー代も現在持っていない。ナゴルノ=カラバフ難民100人の人たちに話を聞いてきたが、ほとんどの人が2020年の戦争は2016年の4日間戦争と同じで数日で戦争は終結し、戦争前に暮らしていたナゴルノ=カラバフの村や街にすぐに戻れるだろうと考えていた人たちが多かった。実際に戦争時、ナゴルノ=カラバフの街や村の政府も問題なく数日で戻れるという旨の見解を出していた場所が多かったようだ。なので、避難時にほとんど荷物を持ってきていなかった人がほとんどだ。旦那さんのようにすぐに戻れると考えてパスポートを置いてきた難民の人たちもそれなりにいると考えられる。これはアルメニアとアゼルバイジャン2カ国間の係争地ナゴルノ=カラバフにある未承認国家アルツァフ共和国の政府がアルメニアの政府とは別の物であるという弊害だ。

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アルメニアとアゼルバイジャンの国境付近のアルメニア側の最前線

アルツァフ共和国(別名ナゴルノ=カラバフ共和国)はアゼルバイジャン領土内に存在するアルメニア人がたくさん住む地域。1991年ソ連崩壊後ナゴルノ=カラバフ自治州はアゼルバイジャンからの独立を求む投票を実施した。有権者の85%が投票に参加し、95%の賛成によりナゴルノ=カラバフ共和国(後のアルツァフ共和国)の独立を宣言した。しかし、アゼルバイジャンは独立を認めなかった。これにより、現在まで30年以上続くアルメニアとアゼルバイジャンの戦争の幕が上がった。要するにアゼルバイジャン領土内に存在するアルメニア人が多数住み、アルメニアが支配する飛地である。現在このアルツァフ共和国を国家として承認しているのはアルメニアのみという未承認国家である。この地をめぐるアルメニア人とアゼルバイジャン人の戦争がナゴルノ=カラバフ戦争である。

アルツァフ共和国がアルメニアからもアゼルバイジャンからも独立した政府、行政を持っていることがナゴルノ=カラバフ難民の人たちに旦那さんの件のように筆者が想像していた以上にたくさんの問題を引き起こし、事態を複雑化させていることが今回のナゴルノ=カラバフ難民100人取材で解った。

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旦那さんの病気の薬。かなり沢山の薬を処方しているようだ。

旦那さんはブルセラ病という家畜を世話する人がかかることが多いという感染症に苛まれていた。腰や背中の痛み、関節痛や悪寒に今現在も苦しんでいる。写真のようにかなり沢山の薬を服用しており月の薬代も馬鹿にならない。パスポート問題で仕事に就けないというのに。

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Q”将来に望む事はなんですか?”

”前と同じ仕事、追い出される心配のない家。いつの日かハイカジャンの村に戻れると信じたい。この世界がそんなに悪くないと信じている。”そう語る彼らの悲しそうな瞳を忘れる事はないだろう。

ここからは個人の感想だ。旦那さんのパスポートの取得に必要な総額は日本人であれば苦もなく支払える額だ。しかし、キリがないと考える自分、彼らに比べれば余裕があるのに自分自身も余裕がないと考えた自分、そもそもそれを言い出す勇気がない自分がいて俺は何もしなかった。そんな、無力な自分自身を恥じる毎日だ。こんな俺が来るのをもてなすために彼らは美味しいアルメニアコーヒー、甘いチョコレート、新鮮なフルーツを用意してくれていた、、、俺は、、、、

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笑顔の素敵な夫婦の17歳の一人娘

取材を終えた帰り際に夫婦の17歳の娘さんが家に帰ってきた。彼女はプログラマーになるため毎日カレッジで勉強している。彼女はすれ違った際に素敵な笑顔で微笑んでくれた。これはあくまで推測だが、こんなに辛い状況でもあの夫婦二人が一生懸命生きているのは、あの娘さんの素敵な笑顔のためなのだろうと思った。少女の素敵な笑顔はあの悲しい顔をしていた夫婦、この悲しい世界を照らす一筋の希望の光なのだから。

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