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【推薦図書】生誕の災厄 E.M.シオラン

こんばんは。noteのホームにお題として、推薦図書とあったので紹介させていただきます。キリスト教徒と書いてある割に、初投稿でどぎついのを上げましたが、そこはご愛嬌です。この前読んでなかなか面白かったんです。

どぎついと言ったのは、キリスト教と反出生主義者であるシオランは相容れないと思ったからです。実際読んでみると、彼もキリスト教を非難しているのがわかります。しかし、だからといって得るものがなにもないというわけではありません。むしろ、自分が人生において感じていること、共感できることが沢山ありましたし、そこから一歩踏み込んだ彼の思考プロセスは新鮮な情報として入ってきて、彼の言葉一つ一つから新しい視点を得るような感覚になりました。読んでいて楽しかったです。

僕の知り合いは、シオランを落ち込むときに読むと気持ちが楽になってくる、と言っていました。僕もそれに同感です。彼のネガティブな文章の羅列は、ときに読むものに共感を呼び起こし、孤独感を緩和してくれます。

今回紹介するのは、シオランの書籍の中でも有名かと思われる一冊「生誕の災厄(紀伊國屋書店  出口裕弘訳)」です。題名からして彼の反出生主義者としての思想がむき出しになっていますね。

ーーどのページでも良い、気ままに本を開いて、胸にこたえる一行があったら、そこから読み始めていただきたい。あまりにも内密な、なまなましい真実を耳元で告げられて、思わずあたりを見回すというようなことが、シオランの場合よく起こる。奇妙な本なのだ。(訳者あとがきより引用)

生誕の災厄は短い文章が集まってできています。その内容は、同じ人間が書いてあるだけに統一性はあるのですが、テーマは様々です。
題名からわかるような、生まれたことへの苦しみを綴るものもあれば、ニーチェの批判をしだりたりと、とりとめのない手記を読んでいるかのようです。自分はニーチェに詳しいというわけでもないのですが、あまり好きではなく、シオランの文句に共感しました。

午前三時だ。私は今この一秒を聴き取り、つぎにまた別の一秒を聴き取り、毎分のバランスシートを作成する。どうしてこんな始末になったのだ?ーー生まれてきたからだ。ある特殊な様相をした不眠の夜こそが、生誕を巡る論争に火を付けるのである。

キリスト教と相容れないと描きましたが、それはキリスト教が目に見えない神を肯定するからです。実際、生誕への嘆きは、聖書中でも、伝道者の書(コヘレトの言葉)やヨブ記の中で語られています。一見生命として異常な思想であるように見えて、人類の普遍的な嘆きのテーマでもあるのではないでしょうか。この書でもヨブについて言及しているところがあります。

ヨブと違って私は、自分の生誕の日を呪いはしなかった。そのかわり、その日以外のすべての日々を、私は呪詛で塗りつぶしてきた。(14ページ)

生誕を嘆いているのに、生まれた日を呪わないのでしょうか。すこしひねくれた表現に酔っているオッサンに見えなくもないですが、これを言うのは野暮でしょうか。毎日が辛いから生まれたくなかったってことかな。

ともかく、全体的にとても面白かったです。みなさんも死にたくなったり、生誕を嘆いていたりしたら読んでみると良いかもしれません。特に、生まれた日以外を呪詛で塗りつぶしてきたような人種なら必読の一冊と言えるでしょう。ぜひ読んでみて下さい。

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