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スキルアップばかりするな! 錯覚資産の威力 『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』の超訳

・本記事のおすすめ度は★★★ 3/3
 →超おすすめの本です。
・本記事は12790文字で、約20分で読めます。

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■超訳って何よ?

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まず、超訳とは、このように捉えてくださると嬉しいです。

筆者のメインメッセージを
正面から捉えつつ、
実際にやどかりの事例に当てはめて
アウトプットする過程も含めた解説


■今回超訳する本

今回は、
ブロガーかつ起業家である
ふろむださんが著者の
『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』
 – 2018/8/9
を超訳したいと思います。

以下、「本書」、「筆者」と省略します。

同じく本書を題材にして、
✅メモの取り方
✅メインメッセージの読み取り方
を検討しているnoteはこちらです。


■本書はどんな本?

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本書は、

認知心理学の知識を使いながら、
・錯覚資産の運用
・自分の言葉に力を与える錯覚
を解説する、実用書

と評することができます。

心理学研究をかみ砕いて解説されており、
錯視に気づいたときのような感覚
体験できる、素敵な本になっているので、
ぜひ手にとって読んでみてくださいね!

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■本書のメインメッセージ

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本書のメインメッセージは、

スキルアップばかりするな!
錯覚資産を運用せよ。
成功は実力ではなく運によるものだから。

というところになります。

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今回のnoteでは、本書の中でも
重要な点について、
実生活にアウトプットする過程も含め
超訳していきます。


▼▼▼▼ 重要な点とは ▼▼▼▼
・思考の錯覚
  ハロー効果
  認知的不協和
  利用可能ヒューリスティック
    
       ▼
 自分に有利に働くのが 錯覚資産!
▲        

■思考の錯覚:ハロー効果

認知バイアスというゆがんだレンズをかけているので、思考の錯覚という見間違いをする。

思考の錯覚と、認知バイアスというのがキーワードです。

成功した起業家の多くは高学歴である。

高学歴がハロー効果を引き起こし、成功確率が高い。

ハロー効果とは、
なにか1点が優れていると、
なにもかもが優れて見えてしまうような錯覚。

ハロー=後光 というところから意味を想像しやすい。

具体例を挙げると、選挙の投票において、
容姿の優れた候補者が当選したとする。

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ハロー効果により、容姿以外の特質も押し上げられる。

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この押し上げは無意識のうちに行われる。

その結果、有権者の意識の中で、候補者についての判断はこのようになる。

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※図は本書P4~6より引用
 このあたりは、以下のnoteでより詳しくまとめられています。


ここで一般的に、
×学歴で人を判断する人 
 →人の真価を見抜けない、不公平な人
◎学歴で人を判断しない人
 →人の真価が見抜ける、公平な人

と思われている。

そのため、実際にはハロー効果によって
無意識で学歴で人を判断しているのにも関わらず
自分はそれを認めたくないのだ。


 👉超訳
 資格や学歴は、最高の錯覚資産

錯覚資産のポジティブサイクルを回すために
資格や学歴はコスパ良し。
社会に出たら運の要素が強いから
実力・努力で勝負できる自身があるなら、早期に
資格や学歴という錯覚資産を構築しよう。

やどかり自身、
・現役東大卒(成績優秀表彰)
・士業資格試験早期上位合格
という錯覚資産を構築してきました。

社会に出てから、錯覚資産を構築するためには
アピールし認知度を増やす→環境を手に入れる→実際に実力をつける
というループを回すことになります。

しかしやどかりは、内向型人間なので、
”アピールし認知度を増やす”
という部分が圧倒的に苦手です。
できればやりたくないです。

また、この部分の→は、結構運に左右されます。

アピールし認知度を増やす→環境を手に入れる

他方で、学歴や資格試験というのは、
本書にも記載があるとおり、
2つの理由からコスパがいいです。

✅それを手に入れるために「実力」一本で勝負できる
 =運による干渉を排除しやすい
✅アピールし認知度を増やすという作業が不要

実際にこの錯覚資産が役に立っています。

25歳にして、経営層立場に近い良いポジションに置かせてもらっています。

ビジネス経験もたいしてないのに。

それはひとえに、学歴と資格を認知されていたためです。

社会人なり立ての当初やどかりは、自分の尊敬する上司に、
雑談を振ってみました。

ビジネスで成功できるか不安です。
今までは努力がすべて結果になりましたが
そうはいかなさそうで…

そうすると、その尊敬する上司は、

学歴が高いやつが結局は成功してるよ。
吸収が早いから。

と返してくれました。

尊敬する上司の見解は、真実なのだと思います。

✅張本人には、”学歴高くても使えねえ”とは言いにくい

ということを割り引いても。

ただし、真の理由に、
尊敬する上司が気づいていない可能性があります。

というのも、尊敬する上司の

吸収が早いから。

という部分は、”学歴がある=仕事上も実力がある”
ということを前提にしています。

しかし、実際には、
”学歴がある=仕事上も実力がある”というのは
所与の事実ではないのだと思います。
(理解力や吸収力と分解すれば別だけれども
仕事ではそれ以外の力も必要です)

本書のロジックを借りるのであれば、

✅学歴がある結果、優秀の推定が働き
✅ハロー効果によって、”全体的に優秀”と評価され
✅さらに良い環境を手に入れて、実力も底上げされる

というサイクルが回った結果、

学歴が高いやつが結局は成功してるよ。

という評価につながったと思うのです。

結論としては、

錯覚資産のポジティブサイクルを回すために
資格や学歴はコスパ良し。
社会に出たら運の要素が強いから
実力・努力で勝負できる自身があるなら、早期に
資格や学歴という錯覚資産を構築しよう。


■学歴と認知的不協和

×学歴で人を判断する人 
 →人の真価を見抜けない、不公平な人
◎学歴で人を判断しない人
 →人の真価が見抜ける、公平な人

このような思考に陥ってしまう理由の一つに、
認知的不協和による、”学歴の価値の書きかえ”がある。

認知的不協和について説明する。

自分の中で矛盾や葛藤(認定的不協和)があるとき、無意識のうちに、その矛盾を解消しようとする。現
実を変えることで認知的不協和を変えられる場合は、健全な結果になる。しかし、それが困難な場合、
無意識は、認識や記憶の書きかえによって矛盾を解消する。この場合、不健康な状態に陥ることがある
ので、注意が必要。

この現象を学歴に当てはめてみる。

①自分には、ろくな学歴がない
②立派な学歴には価値がある
という2つの事実は矛盾する。
しかし、人間はこの矛盾に耐えられないため、
①か②どちらかの事情を変更して、矛盾をなくそうとする。

そして、①の事実は後から変更できるものではないため、
人は②の事実を書きかえる。
具体的には、価値評価を書き換えて、
”立派な肩書きは無価値である”
と認識するようになるのである。

現実世界の敗者が、自分の脳内世界で価値評価を捏造し、
脳内世界で密かに復讐を遂げるんだ。
しかしも、本人はそれをやっている自覚がない。    
P251より引用


👉超訳

認知的不協和を炙り出せ

認知的不協和か…
自分も無意識のうちに陥っていそうだな…
ということで、やどかりの認知的不協和を炙り出しました。

やどかりが一番コンプレックスに思っていること。
それは、幼少時代から主観的に金銭的な余裕がなかったことです。

そして、過去の自己紹介noteを振り返るとこんな記載がありました。

主観的には、お金の面で我慢してきたことは多かったです。
これが現在までマネーコンプレックスにつながっています。

そして、希少なお金を配分するべく、「出費に見合うだけのリターンを得られるか?」と考える癖がつきました。さらには、お金以外の局面でも、「投資に見合ったリターン」「コスパ」のようなものを常に意識するようになりました。

お金や時間を使うのであれば、それに見合う効用を得なければならない。

こういった思考癖から、学歴や士業資格取得は、順調に進みました。大学でも様々な機会を活用し、チャンスを得られたと思います。

今思うと、仮にやどかりが、恵まれた家庭に生まれていたら… 

例えば、

・塾の授業をサボっても何も感じない
・「お父さんの労働の対価である、貴重な塾代を無駄にしてしまった」という後ろめたさを覚えないで済む

そんな家庭だったら…

辛くても踏ん張って、投資を回収しようとする姿勢は身につかなかったでしょう。

自分のやりたくないことから逃げる性格になってしまっていたかもしれません。

やべえ我ながら恥ずかしいくらいに認知的不協和を
無理やり解消させようとしている☺

要約すると、こんな非ロジカルなことを言っています。

自分は主観的貧乏だったから努力できる姿勢が身に付いたけど
金持ちだったらやりたくないことから逃げていただろう

やばいなー

①お金持ちで努力できたら最強
②自分はお金持ちではなかった

という2つの事実が認知的不協和を起こしていたので、
①の事実を書き換えて、低評価化していました。

①’ お金持ちだと努力をしにくくなる

現実には、①’のような事実は存在しないです。
お金持ちでも努力できる人はたくさん存在します。
また、貧乏でも努力できない人も存在します。

だけど、努力できる自分に、”お金持ち”という要素が
足りなかった。そしてそれが悔しかった。
そうであるがゆえに、
①’という事実を捏造してしまっていたようです。

このように、本を読んで学んだことを
すぐに自分の身近なことに当てはめをして、
アウトプットすると、内容がすごく定着します♪

主観的貧乏の関連note↓

やどかりは、認知的不協和で過去の経験を装飾してはいるものの、
お金持ちの低評価を続けるのではなく
”自分もお金持ちになる!”
というベクトルで頑張っています。

筆者いわく、

価値評価を書き換えて無価値なものと認識してしまうと、
現実世界では錯覚資産が育たなくなり、
人生は”ハードモードの糞ゲー”になる

そうなので、気を付けましょう。

認知的不協和という脳のバグの存在を知った今、

自分が否定したくなるものほど、実は価値がある

ということもありえるため、まずはいったん
自分のコンプレックスや否定的感情を
棚卸ししてみるのもいいかもしれません。

やどかりも、

自分が否定したくなるものほど、実は価値がある

のではないか?という考察を進めていったところ、
認知的不協和による都合の良い書換えがまだありました。
それは、コミュニケーション能力についてです。

①世界では、コミュニケーション能力が求められている
②自分にはコミュニケーション能力がない

というところから、

①’ コミュニケーション能力があっても中身が無ければ意味がない

といった、都合の良い価値評価の書換えを行って、

”結局、実力を伸ばせばオーライでしょ!”

などと考えてしまっています。

しかし、こういった思考はまさに筆者が
”最適な投資配分ではない”
と指摘しているところです。

すなわち、実力をつけたとしても、
錯覚資産の構築による正のサイクルが構築できなければ
それが構築できた人と比べて
実力も大きく差がついてしまうのです。

■学歴や肩書きがない人は、学歴や肩書きを否定するのではなく、利益を得る方法を考える

認知的不協和の存在を認識し、
自分の価値評価の書換えに気づけたとしても、
価値のある属性を、今からでは手に入れられそうにない。

そんな場合でも、悲観する必要はありません。

その属性がプラスの人間をうまく使って、
自分の人生を切り開けばいいのです。

優れた属性の人を使って、自分が利益を得る方法を考える。

筆者が、自分より優れたITエンジニアにあった場合に自分が利益を得る方法として挙げているものは…

・自分が起業するときに、そのITエンジニアを共同創業者に誘う。もしくは、社員として雇う。
・自分が転職して管理職になったら、そのITエンジニアをヘッドハントして、自分の部下にする。
・ITエンジニアを探している友人に、そのITエンジニアを紹介してやる。
・そのITエンジニアに教えてもらって、高度な技術を楽して習得する。
P255 から引用

なるほど、自分より優れたプラスの属性Xと出会った場合、
それを否定するのではなく、
どうやったら自分が活用できるか考えるのですね。

ビジネス系のよくある事例で、
社長がそのビジネスについて詳しい必要はない、
そのビジネスについて詳しい人を集めれば成功できる、
的なのありますよね。フォードだったか…

現実世界におけるプラスの価値自体を、自分の脳内で否定したりしないように、注意深く自分の無意識を見張る。
「プラスの価値はすべて利用資源であって、それを否定すると損をする」と自分に言い聞かせる。

自分の状態を、「いつかチャンスが来たら、他人の属性Xを利用してやろうと待ち構えている状態」として、認識するようにする。そして、どうやって利用してやろうかと、いろいろ考えるんだ。
P256-P257  から引用


▮  PV向上とCVR向上の戦略:スキルアップばかりするな

人間には、「成功は、運よりも実力によって決まる」と思い込む思考の錯覚がある。

この思考の錯覚は、人間の根源的な欲求に基づく。

すなわち、人間は、何かを”コントロール”できることを望む。
例えば、老人ホームの老人の部屋に観葉植物を設置し、
片方のグループは老人たちに世話をさせ
もう一方のグループは職員が世話をした。
前者のグループの老人の方が健康だったというデータがある。

このように、人間は、何かを”コントロール”できることを望むため、
成功がコントロールできないという事実、
「成功は、運によって決まる」という事実を
受け入れたくない。

だから、「成功は、運よりも実力によって決まる」と思い込む思考の錯覚がある。

そこで、たいていの人は、「PVを増やすのは、もっと実力を身に着けてからにしよう」とコツコツスキルアップばかりをしてしまう。

PVは、「Page View」の略で、ページを見てもらえた回数のこと。
CVRは、「Conversion Rate」の略で、ページを見た人のうち、実際に商品を購入する人の割合のこと。

しかし、

いくらCVRが高くても、PVが少なければ売上が上がらないのと同じように、いくら実力があっても、チャンスが発生したときに、自分のことを「思い浮かべる」人の数が少なければ、なかなかチャンスはつかめない。
P223より引用

つまり、

「スキルアップしやすい環境を手に入れること」というメタレベルに時間を投資するほうが、「スキルアップそのもの」に時間を投資するよりも投資効率がいいのだ。
P224より引用

つまり、思い浮かびやすい錯覚資産の構築に精を出す、ということ。
そのためには、実力ではなく運の要素も大きいと自覚したうえで
試行回数を増やすこと。

成功の主な要因が運である
→
試行回数を増やさないと成功確率はなかなか上がらない
=
PVの絶対数を増やさなければ、なかなかいい環境にはありつけない

▮  利用可能ヒューリスティック

利用可能ヒューリスティック:脳がすぐに利用できる情報、すなわち、「思い浮かびやすい」情報だけを
使って、答えを出す認知バイアス

人間は、過剰に結論を急ぐ。
そこで、人間は、脳がすぐに利用できる情報、すなわち、「思い浮かびやすい」情報だけを使って、答えを出す。

具体例として、確率判断のケースを取り上げる。

あなたは検査の結果、陽性だった
大腸がんの人の98%は、この検査で陽性になる
大腸がんじゃない人の2%は、この検査で陽性になる

この場合に、あなたが大腸がんである確率は高いだろうか?

陽性ということは、図でいうと黒の面積にヒットしたということ。
ということは、大腸がんである確率は高そうである。

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しかし、「大腸がんじゃない人とそうでない人の全部の数」という情報を加えて判断しなければ正確な答えは出ない。

全体の面積も考慮しないといけないのだ。

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そうすると、”大腸がんじゃない人がたまたま陽性になった”という面積の方が大きいことになる。

今回検査の結果は陽性だったが、
たまたま投げたダーツの矢が、
”大腸がんじゃない人がたまたま陽性になった”
というゾーンに当たった確率の方が高い。

しかし、人間は、直感的に陽性である確率の方が大きいと思ってしまう。

「大腸がんじゃない人とそうでない人の全部の数」には重いは至らず、

「大腸がんじゃない人とそうでない人が陽性になる割合」だけに着目してしまうから。

このように、

人間の直感は、思い浮かびやすい情報だけを使って、判断をする

ということがいえます。

その後筆者は、だからこそ、

人の「思い浮かびやすさ」をコントロールすることで、自分に都合のいい思考の錯覚を起こさせる

ことが大切だと論を進めます。
具体的なアクションとしては、

 ​連絡をとっていなかった友人と食事にいこう、現場での成果を具体的にアピールしておこう

ということです。

まとめ:

✅人間の直感は、思い浮かびやすい情報だけを使って、判断をする
✅だから、人の「思い浮かびやすさ」をコントロールすることで、自分に都合のいい思考の錯覚を起こさせる
✅具体的には、連絡をとっていなかった友人と食事にいこう、現場での成果を具体的にアピールしておこう

■ポジションを取れ!

ポジショントーク、ってよく言いますよね。

株の世界では、自分のポジションに有利になるような言動のことを言います。

しかし、日常生活では、立場上そう言わなければならない・そう言えば有利であることを指すことが多いです。

日常生活におけるポジショントークは、自分という個人がどうであるかによらず、組織や社会において自分に期待されている役割によって行っている発言のことである。
そのため、自分自身としては必ずしもそうは思わないけれども立場上そう言わなければならない、あるいは自分自身にも問題があるとわかっているが立場上言わなければならない、というものもある。
株の世界でのポジショントーク
ポジショントークは、マーケット全般で使われる用語で、市場参加者などが自らのポジションに対して利益が出て欲しい、といった願望を含んだ会話や発言などのことをいいます。これは、特定のポジションを持っている人が、客観的な見方ではなく、主観的な見方で、自分の保有するポジションに対して、有利な方向に導くために情報を流したり、発言したりすることを指しています。ちなみに、ポジショントークとして発した内容について、事実が虚偽である場合には「風説の流布」として摘発もありうる不法行為となりますが、単に憶測による市場予測などは風説の流布には当たらないとされています。

筆者は、
✅人間は、「バランスの取れた総合的な正しい判断」ではなく、
 「一貫して偏ったストーリー」に説得力と魅力を感じる。
✅「一貫して偏ったストーリー」
  :「シンプルでわかりやすいこと」を断定しよう
✅そうすれば主張が受け入れられて、錯覚資産が育つ

と述べています。
やどかりは、これは要は
”ポジションを取れ!”ということと解釈しました。

以下原文の引用です。

人間は、「一貫して偏った間違った物語」に説得力と魅力を感じる。
人間は、「バランスの取れた総合的な正しい判断」は、説得力がなく、退屈で面白くないと感じるんだ。

現実というのは、なんとも、矛盾だらけで、散漫で、退屈で、面白くないものなんだ。

しかし、真実を語れば語るほど、あなたの言葉は勢いを失い、魅力を失い、錯覚資産はあなたから遠のいていく。

大きな錯覚資産を手に入れたいなら、「一貫して偏ったストーリー」を語らなければならない。
バランスの取れた正しい主張などに、人は魅力を感じない。それでは、人は動かせない。
「シンプルでわかりやすいこと」を、それが真実であるかのように言い切ってしまえ。本当は断定できないことを、断定してしまえ。

裁判官になろうとしたら、負けだ。

そうすれば、あなたの主張には、思考の錯覚の魔力が宿る。
その主張は多くの味方を魅了し、ハロー効果を創り出す。そして、それは、大きな錯覚資産に育っていく。

さらに筆者は、「一貫して偏ったストーリー」は真実たりえないことから、
自分の内側と外側を分けることを推奨しています。

かなり高度ですね💦

何かを主張するときは、「一貫して偏ったストーリー」を語る。
しかし、自分の人生の選択をするときは、徹底的に「正しい判断」をすることにこだわるんだ。判断のシステムを、二重化するんだ。
P275より引用

詳しくは、過去noteの
▮  広義のディスコースマーカーでつながりを取りこぼさない
にもまとめています↓

👉超訳

ここまでの論の展開を読んで
思い浮かんだのが、高橋ダンさん。
きちんとポジショントークしてる。
リスクをとって、
「〇〇(コモディティ)を買う」
と、投資初心者でも分かりやすい
シンプルな行動指針に落としている。

結果的に、当たるときの方が印象に残るので、
外れることがあったとしても、
””元ヘッジファンドトレーダーの
高橋ダンさんはすごい!””
となり、
どんどん錯覚資産を増やしている。

分かりやすいって大事。
チャート分析って、正確にやると、
想定できる複数のプランを考えることになりがち。

このラインを超えたら調整。
このラインを耐えたら上昇トレンド。みたいな。

どちらの現象が起こっても大丈夫なように
備えておくのが投資家として正しいのだろうけど

でも、高橋ダンさんは、
意識していつもポジションを取っている。



■”ポジション取りがポジションになる”(ミイラ取りがミイラになる)を避けるには

トレーニングとして筆者が推奨しているのが、
正反対の、「一貫して偏ったストーリー」を
両方とも書き出してみること。

筆者のブログ「分裂勘違い君劇場」では、
・空気を読むことへの否定論
・空気を読むことへの肯定論

を書いて、どちらもはてなの人気ランキングで1位になったそう。

以下、該当する筆者のブログを引用しますね。
たしかに同じブログ内で「分裂」してます。

「一貫して偏ったストーリー」は
どちらのサイドにポジションを取ろうと
それらしく聞こえることを
証明したいという筆者の想いからのネーミングです。

まずそもそも「空気を読む」とはどういう行為なのか?
それは、人々の複雑に絡み合った「利害と感情の構造」を読むということだ。
「リアルタイムでダイナミックに変化している、人々の利害関係と感情関係の構造の状態を瞬時に読み取る」という行為だ。
だから、空気を読めてない人は、感情と利害の絶妙なバランスとハーモニーのある構造を崩し、不協和音をたてるような発言をし、結果として、人の感情を害したり、人の利益を阻害したりしてしまい、嫌われるのだ。
企業は、最低でも、ナウシカのように、風を自在に「乗りこなせる」人、すなわちサーファーを求めている。
そして、それだけでは、「不十分」だと考えている。
風の流れ自体をある程度制御する能力を求めている。
P.F.ドラッカーの言うマネージメントの能力を求めている。
つまり、サーファーよりも、空気の操縦者に近い能力を求めている。船に乗ったクルー全員が、それぞれ船の持ち場を的確に操縦するとき、船は自在に航行できる。そういう、コラボレーション型操縦能力だ。
それは、企業が集団主義的か個人主義的か、という以前の、もっと基本的な話だ。集団主義だろうと、個人主義だろうと、利害と感情の構造を乗りこなせず、操作もできないような、コミュニケーション能力の劣る、空気読めない君は、欲しくないのだ。
醜悪なのは、(1)空気の奴隷タイプが「空気読め」と権力を振りかざすことである。
彼らの言う、「空気読め」を翻訳すると「おまえも空気の奴隷になれ」である。「奴隷になる方が快適なのに、そういう賢い生き方のできないおまえより、オレの方が優れている」である。
そこにそのビルが存在し、そういう形になっているのは、それによって得する人間と損する人間とむかつく人間と喜ぶ人間がいるからだ。
あまり高いビルを建てると、景色が悪くなって気分が悪いという人、できるだけ高いビルを建てた方が、儲かるという人、この場所に住みたいという欲求を持つ家族たち、ここに人が引っ越してくれると、客が増えると考えるスーパー、都市計画上、ここにビルがあると都合の良いお役所の人たち。
そういう複雑な利害と感情が織り込まれた結果、それがそうして存在する。都市において人間が目にするほとんどすべての景色は、そうやって形成されたものだ。決して、そこにビルを建てるのが、「論理的に正しい」からではないのだ。人間は、青ざめた正しい論理でできているのではなく、赤く燃え立つダイナミックな喜怒哀楽と損得でできている。
そして、そこにそのビルを建てるのに、もっとも重要な能力は、技術力でも論理的思考能力でもなく、そういう複雑な利害関係と感情関係を調整し、組み立てて、自分のビジョンを現実化する能力だ。
それを、人は、コミュニケーション能力と呼んだり、マネージメント能力と呼んだり、企画能力と言ったり、デザイン能力と言ったり、設計能力と言ったり、リーダーシップと呼んだり、マーケティング能力と言ったり、政治力と言ったりする。
どれも、同じことだ。
だから、人々の間で複雑に絡み合う感情と利害の構造を読み取り、それを調整し、組み立ててやることでしか、相手は納得しないのだ。
そもそもの間違いは、どこから来ているのか?それは、人間の本質が「論理の機械」であることを前提としていることから来ている。論理的な正しさというのは、利害と感情の構造を組み立てるときの、脇役であって、それを中心に据えてしまうのは、本末転倒意味不明である。家来が殿様の席に、どっかりと腰を下ろしているようなものだ。
論理的に正しければ、相手は納得するのか?そうじゃないだろう?感情と利害の構造をうまく調整することによってのみ、人間は納得するのであり、論理的に正しいから納得するというのは、あくまで、感情と利害の調整が終わったあとの話である。完全に優先順位が間違っている。土台を作らずに家を建てようとしているようなものだ。論理は、あくまで、利害と感情の構造を組み立てるための道具でしかないのだ。要するに、人間が生きる理由、人間が働く理由、いや、人間の利害と感情に関わる一切の行為の理由は、論理的な正しさなどからは生じない。一切は、利害と感情の構造から生じているのである。


コミュニケーション能力ばかり高い人のブログはつまらないことが多いと思いませんか?
コミュニケーション能力は高いし、空気も読めるから、人はそこそこ集まってくるんだけど、肝心のコミュニケートする内容が薄いブログのことです。
そこに群れている人たちは、みんな空気が読める人たちで、わきあいあいとコミュニケーションしている。みんな空気をよく読んで、だれも傷つけないように、みんなの気分がよくなるように、よく計算して発言する。そして、ちょっとでも空気を乱すような発言をだれかがすると、「空気読め」と非難する。


たいして中身のない人が、コミュニケーション能力を武器に、要領よく立ち回って得意げになってるのって、いやな感じですよね。
あのいやらしさって、どこからくるのでしょう?
もちろん、中身とコミュニケーション能力の両方を兼ね備えた人が理想なわけですが、現実には、どちらかに偏っている人はよくいます。そして、中身かコミュニケーションかのどちらかをウリにして自分の居場所を確保していることがよくあります。
そして、コミュニケーション能力を取り柄に自分の居場所を確保しているタイプの人間って、一見、外面がよく人当たりがいいから、多くの人がだまされるんだけど、いざ、仕事で本格的にコラボレーションすることになったりすると、その精神の腐臭が鼻につくことが多い。
あの腐臭はどこから来ているのでしょうか?
極めつけは、たとえばビジネスとかで、「みんなで協力して新しいマーケットなりサービスなりを創造しよう」と言って集まるときに、マーケット自体、サービス自体を創造することよりも、創造されたマーケットにおいて、自社がおいしいポジションを獲得することばかりに力を入れる人たちの醜悪さ。やたらと根回しして、飲みニケーションして、こそこそ耳打ちして、目配せして、言外に微妙なニュアンスをにおわせて。。。。そんなことばかり。自分の分け前を少しでも大きくすることばかりにエネルギーを費やすものだから、肝心のパイがちっとも焼き上がらない。

コミュニケーション能力や政治能力を駆使して、価値創造ゲームではなく、価値分配ゲームばかりやろうとする人間は、醜く、下劣なんだと思う。
空気は価値創造のために読む
そして、自分が価値を生み出すためには、まずは、具体的に何が価値であるかを感じ取り、見いださなければなりません。自分がやった行為は、それが誰かほかの人たちの喜び、幸せ、楽しさ、得になって初めて、それが価値になるのであって、その行為自体が絶対的な価値を持つことなどあり得ません。
だから、そのために、空気を読む能力が必要なのです。コミュニケーション能力や政治能力が必要なのです。空気を読み、何が価値であるかを的確に感じ取り、空気の中で価値があるとみなされるものを生み出す能力を育て、自らを築き上げるためにこそ、空気を読む能力が必要とされる。どこに向けて価値創造をすればいいのか、その方向性を正しく舵取りするためにこそ、複雑に絡み合った利害と感情の構造を読み取る能力が必要とされるのです。
コミュニケーションが不器用なのに、豊かな人間関係を築けている人に共通する特徴は、まず、その人が、具体的な価値を生み出せる能力を持っているということです。たとえば、みんなが必要とするシステムのアーキテクチャをシンプルで美しくタフに設計する能力です。たとえば、iPODのようなみんながほしがる洗練されたデザインを創造できる能力です。お客さんの容姿にぴったり合ったセンスのいいヘアスタイルに手際よくカットする能力です。たとえば、複雑な法律問題を鮮やかに片付けられる能力です。たとえば、面白い漫画や小説を書ける能力です。たとえば、iTunesのような具体的なビジネスモデルを構築できる能力です。強烈に個性的な魅力を放つ雑誌をまとめ上げる編集能力です。そして、それによって、人から強く必要とされるということです。そして、素直で、正直で、謙虚で、思慮深く、ユーモアを解するということです。
腐った空気には、早めに見切りをつけ、さっさと別の集団へ移り住むべきでしょう。学生などで、それができない状況にある場合は、そんな集団の空気に染まるぐらいなら、むしろ孤独を楽しむ方法を見つけるべきです。そんな腐った空気は、乗りこなしたり操縦したりするほどの価値はありません。そんな空気を読める能力などたいして価値はありません。そんなことより、孤独の中で粘り強く自分を練り上げ、じっくりと力を蓄え、価値創造の力を築きあげることに専念すべきでしょう。やがて自分の中が価値で満たされ、泉のようにあふれ出し、すべての生命にあまねく光を注ぐ太陽のように、あふれ出た価値を人々に分け与えないではいられなくなるまで。。。

■編集後記

・思考の錯覚に陥っていることに気づきにくい
・思考の錯覚に陥っていると理解したとしてもなお錯覚してしまう

といった文脈で、ミュラーリヤー錯視が紹介されていました。

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上の線と下の線、どうみても下の線が長く見える…

錯視と知ってもなお、長く見える…

ということでやどかりは、線の右端に定規をあてないと
線の長さが同じであると受け入れられませんでした。

皆さんはいかがですか?



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