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豊かな海を守るビジネスの作り方①: シーフードレガシー創立秘話

みなさま、はじめまして。

株式会社シーフードレガシーの創立者であり、代表取締役CEOを務めています、花岡和佳男(はなおかわかお)と申します。

今日は私の簡単な自己紹介と、シーフードレガシーの創立背景について、綴りたいと思います。


プロフィール

  • 名前 :花岡 和佳男(はなおか わかお)。「わかおさん」「わかさん」「わかちゃん」などと呼ばれることが多いです。

  • 生年月日 :1977年8月21日

  • 出身 :山梨県生まれ。シンガポール&マレーシア育ち

  • 続柄 :夫&父(高校生の息子が一人)

  • 職業 :株式会社シーフードレガシー 代表取締役 CEO

  • 趣味 :スキューバーダイビング(総潜数まもなく500本。とはいえ去年は一本も潜れず…… 今年は潜りたい!)。世界遺産巡り(コロナ禍中に世界遺産検定2級を取得。今年は1級の試験を受ける!)。サウナ(週末のリセット)。

おかげさまでシーフードレガシーは2023年に大きく成長することができました。同年末に行った戦略会議で仲間からもらった寄せ書き。こういうの嬉しいですね。

10代のハイライト:海中世界との出会い

私は、幼稚園入園から高校卒業までのほとんどの時間を、シンガポールとマレーシアで過ごしました。外国人として現地の歴史や社会バランスにアンテナを立て、日本人としての立場や役割を考える日常でした。

高校生の頃、スキューバーダイビングにのめり込み、生命力や多様性に満ち溢れる海中世界に魅了されました。そして、その環境が経済行為により破壊されることに心を痛めていました。

進路に悩み、一歩を踏み出すまでに多くの時間を費やしましたが、後に自分の人生の成功定義となる言葉と出会いました。

“自分の人生の目的を知り、潜在能力を最大限に発揮すべく成長し、人や社会のためになる種をまく”

そして、この時から“海と共存する社会の実現”を自分の人生の目的に定め、大学はフロリダ工科大学で、海洋環境学と海洋生物学を学びました。

平日は学校と部活とバイト、週末はどっぷりダイビングライフ、という学生時代。バイト代も長期休暇もそのほとんどをダイビングに費やしていました。

20代のハイライト:生産地から消費地へ

卒業後、マレーシア・ボルネオ島に渡り、現地のビジネスパートナーたちと手を組み、エビの粗放養殖(マングローブ林の中でえびを育てる養殖方法)を営む小さな企業の創立に携わりました。

東南アジアでは当時、エビの集約養殖(整地された狭い池でたくさんえびを飼い、人工的に短期間に大量生産する養殖方法)の池を造成するためにマングローブ林の大規模破壊が続き、その結果大量の土砂が海に流入。サンゴの光合成を遮り死に至らしめていました。
私たちの事業の目的は、サンゴ生態系保全のために、マングローブ林を破壊しない粗放養殖をその地に広げることにありました。

事業コンセプトが周囲からも理解され、事業が軌道に乗り始めていました。現地での生活も安定し、充実した日々を送っていました。
しかし、そもそも、東南アジアの集約養殖によって生産されているエビの主な消費市場が日本であることを、私が初めて知ったのはその頃でした。

解決したかった問題の根源が、養殖現場にではなく、海の先の自分の国にあったのです。

加害国に籍を置く自分が、その被害を受けている地で綺麗事を吐いて充実感に浸っていることに、大きな違和感を覚えたのです。そして私は、問題の根本解決を目指し、日本への帰国を決意しました。

マレーシアボルネオ島では、ローカルの老若男女みんなに「マングローブを焼かなくても豊かな未来を創れるよ」と言って回っていました。その豊かな未来の基を壊しているのが自分の国の需要であることに気づかずに……。

30代のハイライト:問題提起から伴走支援へ


日本の水産物の消費現場で目の当たりにしたのは、エビとマングローブの問題だけではありませんでした。

かつて世界最大の水産大国として世界に名を馳せ、世界中から水産物が集まる世界第三位の輸入水産物市場でもあった日本は、その水産物の乱獲・乱売・乱食が海洋生態系の破壊を助長しているとして、大きな国際批判の的にありました。また、その国際批判に対して、国内では「魚食は日本の文化だ。西洋に壊されるな」といった反応が主流でもあった時代でした。

私は30代の時間の大半を、国際環境NGOの日本支部の海洋生態系担当オフィサーとして、ステークホルダーに対する問題提起に費やしました。大志を抱き、国際視野と専門知識を持つ仲間たちと共に、戦略を組み立て活動を展開する日々は最高にチャレンジングでエキサイティング。しかし、問題提起をすればするほど国内社会からバックラッシュを浴びました。しがらみの深さに絡れ溺れそうになることに、もどかしさを感じる8年間でもありました。

未来の国際社会における日本の立場や役割を思い、「今の日本がすべきことは単発的な外圧対策ではなく、本質的で強靭なサステナブルシーフード・ムーブメントを国内に根付かせることだ」という構想を、自分の中で毎日描いていました。

「国内の多様なステークホルダーが、自発的にそのムーブメントを盛り上げ合うシステムを作りたい」、「それには日本発祥の伴奏支援型の組織が必要だ」と考えていました。

こうして、当時活動していた海外発祥の問題提起型の組織から独立し、国内外のたくさんの方々からのご理解・ご期待・ご支援に支えられて、2015年に株式会社シーフードレガシーを創立しました。

気にかけてくださった方の事務所で机を一つお借りして、シーフードレガシーは始まりました。窓の外には築地本願寺、もの凄いパワーが注がれる部屋でした。

いま40代:今度こそ、国際課題解決に貢献する日本の姿を

株式会社シーフードレガシーは、今年の7月で9年目。「海の自然・社会・経済の繋がりを象徴する水産物(シーフード)を、豊かな状態で未来世代に継ぐ(レガシー)」ことをパーパスに持つ、ソーシャル・エンタプライズ(社会的企業)です。

現在、私を含め12人のコアメンバーが、水産関連企業・金融機関・行政・NGOなどへの、サステナブル・シーフードに関するサポートや制度設計、プラットフォーム構築などを手掛けています。

創立からのこの期間、多様なステークホルダーによる様々なイニシアチブが次々と立ち上がっています。成果が積み重なり、サステナブルシーフードのコンセプトが日本の水産業界に定着してきました。

これらを基礎に、シーフードレガシーはいま、未来の国際社会における日本の姿を胸に、「日本をサステナブル・シーフードのグローバル・キャピタルに」という2030年目標を掲げています。

かつては「世界最大の水産大国」として世界に名を馳せた日本。それが故に世界中の生産現場で海洋環境に与える影響も大きく、国際批判の的にもなりました。

時を経て、SDGs達成目標年である2030年には、
・「世界で最もサステナブルな水産国」が新たなジャパン・アイデンティティとなっている
・サステナブルシーフード・マーケットの輪が、日本から世界各地に広がっている
・日本のシーフード・ビジネスが、世界のネイチャーポジティブの実現や国際食料安全保障問題の解決に貢献している

そんな日本の晴々しい姿を、この目で見たい。この胸で感じたい。ステークホルダーの皆様や仲間達と祝い合いたい。そう思っています。

2023年末に台北で行ったシーフードレガシー戦略会議での、火鍋グループディナー。組織は生き物だとよく言われますが、今ホント活き活きしています!

このムーブメントを盛り上げ合うたくさんのステークホルダーの皆様、「未来10年を語りたければ過去100年を知れ」と、ご知見やネットワークを惜しみなくご教示・ご共有くださる先輩方、そしてシーフードレガシーが掲げるビジョン「日本の水産業の持続的成長産業化を通じ、海に関わるすべての人が笑顔と活気に包まれ、未来に希望の明かりが灯る世界」を共有してくれる心強い仲間たちと共に、この歩みを続けられていることに、感謝しています。

初めてのnote、込み上げる想いを抑えられず、長くなってしまいました。
みなさま、最後までお付き合いいただき、有難うございました。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


最後に、私とシーフードレガシーに関する記事も、いくつかご紹介させていただきます。





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