見出し画像

なぜか子を学童に預けたくなくて悩む、プレ小1の壁


息子は来年から小学生になる。

ここまで夫婦共働きで、一人息子を育ててきた。

両親はともに遠方、頼れる人もいないが、ここまでは何とか私の時短勤務と看護休暇と有給全消化で乗り切ってきた。「全」消化どころか、休みすぎて欠勤まで発生した。

このまま二人で働きつづけるなら、子どもは学童保育を利用することになる。

私はそのことについて、なかなか決心がつかずグダグダと悩み、不眠がちになってしまった。

何がそんなに引っかかるのか、ざっくり言えば何が嫌なのだろう。

頭を整理するために久しぶりにnoteを開いてみた。


1、 子どもが非常に繊細ボーイ

息子は、赤ちゃんのころからその片鱗はあったのだが、とても繊細な子だ。大きな音を恐がり、うるさい騒音や、まぶしい照明、ちょっとくさいニオイなど、少し不快なことに対してとても敏感だ。これはまるっきり私からの遺伝であるため(夫は凪いだ海くらい大らかで羨ましい性格)、小さなころからとても注意深く見守ってきた。子どもの気持ちが手に取るように分かるからだ。

保育園でも、お友達から嫌なことを言われて、ひどく傷ついて帰ってきたり、涙を流したりしていた。いわゆるHSPさんの我が子。しかも私譲り。心配しない訳がないのだ。

小学校という未知の世界に飛び込むこの子に、寄り添いたいし、見届けたい。失敗したら励ましたい。と言いながら、今でも寄り添うと1日で疲労困憊してしまう暴れ盛りの年長男児なのだが、それでも。何なら登下校にもついていきたいくらいなのだ(フランスでは子だけでの登下校は禁止だというではないか!)。


2、学童保育がプレハブ

入学予定の小学校には、3つの学童保育が併設されている。うちの子が入る予定の施設は、グラウンドに建てられたプレハブ小屋だ。プレハブがグラウンドの脇に申し訳なさそうに2軒隣接していて、もう1軒は近所にある。そして学年別ではなく、住んでいる住所別。

これって、普通なんですか?いや、みんなそんなものなんですか?毎日プレハブで過ごす?この中に何十人もの子どもたちが?私(田舎そだち、学童知らず、大自然派)にはまったく想像もつかないし、無理なんですけども。

会社の同僚たちに聞いたら、大きな学校はほとんど同じような施設で過ごしているらしいのだった。うーん、田舎バイアスの私の頭が追いつかないだけなんだろうか。


3、 結構頑張って働いたから、わがまま言ってもいいんじゃないか感

いまの会社には新卒で入って、22年もいる。いろんな職場に異動してきたし、行きたくないけど転勤だってした。

氷河期世代で、就活が大変だったために、採ってくれた社への恩もあって、なんとなく頑張ってしまう。
ウチは地方マスコミで、私たちの10個上はエリート意識丸出しの気難しい世代、10個下は厳しくしてはいけない世代。同期を見ていると、ちょうど良く使いやすい世代として何だか微妙に重宝され、管理業務もしていると思えば、いまだに若者がやるような肉体労働までやっている。

ふと思うのだ。こんなに働いたんだから、いいじゃないかと。一回くらい自分の好きにしても。でも会社のことはわりと好きだから悩むんですよね。


4、 共働きなのに浪費癖で、全然お金が貯められない私たち

二人とも働いているせいか、お金に関する危機感がまったくない。それはそれで精神の安定につながり良いことなのだが、働いた分、ほとんど使ってしまう。

家のローンを返して、車のローン(夫)も返して、すぐに外食をして、子どものおねだりも大体聞いてしまい、夫婦二人とも、ほしいものは買う。ちょっとした旅行も結構行く。制限なしにお金を使ってしまう。

二人とも全然細かい性格ではないため、何にいくら使っているか全然把握しようとしない。二人働いている意味がない気がするのだ。夫に働いてもらって、節約という道を志した方がよほどまともなのではないかと、薄々思っていたのだ。


5、 自分の子ども時代と比べてしまう

「2」でも触れたが、私は田舎育ちで、小学校は往復3キロの海沿いの県道を歩き、少ない近所の友達と一緒に登下校した。登下校時はほぼ遊びと一緒で、野いちごを採ったり、浜に降りて石投げをしたりと好き放題していた。

父は公務員、母も働いていたが、姉も妹もいて、家には同居の祖父母もいたため、一人になったことが一回もない。じいちゃんと相撲を見るか、外へ遊びに行ったので、寂しさを感じるヒマがなかった。

後になって、とても恵まれていたと知る。都会に暮らす、親が働いている子たちは学童保育に行くか、鍵っ子になるかで大変だったのだ。

私にとって放課後=自由。
夏休み=自由。
楽しみで楽しみで仕方なかった。

学校がつまらなかったのもあるが、時代的にガマンして毎日通っていた。子どもにもこの自由というか、開放感というか、楽しさを味わわせたいのかもしれない。何せ、わたしが一番自由だったのは小中学校のこの頃だったのだから。高校は1学年250人くらいいて人疲れし、大学は知らない町でしっかりホームシック、会社に入ったらまた大変で。しかも全て自分が選んだ結果という責任。

自由で自由で笑いが止まらない時期が、とっても短いということを、ずっと知らなかった。
息子が素敵な子ども時代を送れるよう、いま私の決断にかかっているような気がして仕方ない。


いいなと思ったら応援しよう!