スポーツ、アスリートの商品化
Commodified sport
スポーツイベント、スポーツ用具・衣類、サブスクなど、至る所でスポーツは利益を生み出す商品として扱われています。
では、誰がその商品を生産しているのか、’スポーツ’ を売って利益を得ているのは誰なのか。
1990'年代にはNIKEの契約工場での労働環境の様々な問題が指摘されました。
現在、イギリスなどの国では、企業が強制労働や児童労働、性的搾取などの Modern slavery をどのように根絶するか報告を求める法が制定されています。
この法は、スポーツ業界だけに向けたものではありませんが、カタールW杯で指摘された労働問題をはじめ、スポーツの魅力的な商品価値が生み出される背景に隠された問題がないか気にかけることも大切です。
Commodified bodies
アスリートの身体とその身体から生み出されるパフォーマンスも商品として考えられます。
アスリートはそのパフォーマンスを誰に売っているのか。
そのアスリートを応援している人なのか、スポンサーなのか、メディアなのか。
身体が商品化されると、その身体は自分だけのものではなくなります。
例えば、パフォーマンス向上のためとして、指導者などから体型管理を指示されることや、市場性を高めるために衣服など使って性差を際立たせられることがあります。
また、アスリートは Emotional labour であるとも言えます。
"Great sport begins where good health ends" (Hoberman, 1992) という言葉のように、スポーツパフォーマンスの向上と健康の向上は別物です。
このような要求に応えることはアスリートとして当然なのでしょうか。
対価は何なのか、どこに線引きをすべきかなどなど考えるきっかけになれば嬉しいです。