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SDGsの各目標における認知格差に関する考察


SDGs内の認知度の差

私は学生時代、SDGs周辺領域について学んでいました。大学の講義では、自然環境保護や環境開発、都市開発やジェンダー論、衛生法や国際協力論と、非常に幅広い分野を学ぶことができ、それらの講義で得た知識は現在でも大いに役立っています。

当然これらはSDGsにも繋がっており、各講義でSDGsの達成に必要な行動を知る事ができました。

しかし私は、SDGsの観点から大学の講義を見た時、17個の目標に対して講義の種類に濃淡があることに気づきました。

例えば、環境開発に関する講義は非常に多種多様であり、何人もの教授から様々な観点を学ぶことができました。これは、SDG13、14、15などに直接的に関わっています。

しかし、SDG8に関連した、働きがいと経済成長についての講義や、SDG12に関連した、製品を作る責任と使う責任についての講義などは、圧倒的に少なかったのです。

気候変動に対してどのような行動を起こすべきで、どのような行動が効果的なのかについては、講義内で非常に詳しく知る事ができました。ところが、どうすれば働きがいや経済成長を促進させることができるのかについて、詳しく知ることはできませんでした。

SDGsが環境・経済・社会で成り立っていることを前提に、実際私が独力でSDGsについてまとめた際も、こうした経済に関する分野をまとめるのに最も苦労しました。

恐らく、環境や社会のSDGsと比較して、経済に関するSDGsの具体的な取り組みや手段が確立されていないことが、大学で大々的にこの分野を取り扱うことができなかった理由ではないかと私は考えています。


加えて、頻繁に目にするSDGsとそうでないSDGsの差は、大学の外の方が、むしろ顕著に表れています。

例えばツイッター。「#SDGs」と共に投稿されるツイートを見渡してみると、その大半がSDGsを包括的に指す内容か、環境問題についての内容です。

次いで多いのが、日本で顕著に見られる社会問題に関連したツイートでした。具体的には、男女格差の是正や教育の問題、医療の持つ課題や貧困についての内容が多く見られました。

他にも、テレビやオンラインニュースでSDGsについての話題がされる際、「エコ」から派生した内容や、「LGBTQ」から派生した内容が目立って多いように感じます。

確かにSDGsは、リンケージという性質上、1つの問題が複数のSDGsと関連していることがほとんどです。しかし、人々やメディアは明らかに環境問題や社会課題に主眼を置いて話をしているように思います。


こうした情報を基に、独断と偏見でSDGsの知名度ランキングを作成しました。これは、私が日常的に出会う頻度の多いSDGsと、反対に出会う頻度の少ないSDGsのトップ3を並べたものです。

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有名なSDGsは、現状抱える問題や、それらの解決策などがイメージしやすいかと思います。しかし、そもそもSDG9の存在や、SDG12が抱える問題とその解決策がすぐにイメージできる方は少ないのではないかと思います。

SDG8に至っては、「環境保護に考慮しなければいけないのに、経済成長なんてとんでもない」といった意見が聞かれることもあります。


これらのことを踏まえて筆者は、「SDGsの各目標には、それらの認知度や理解度に差があるのではないか?」という疑問を持つようになりました。

SDGsは「SDGs」と一括りで語られることが多いですが、実際は17個の目標と169個の指標によって構成されています。私たちが実際にSDGsの達成のための行動を起こそうとした時、それら17の目標と169の指標に沿って自らの行動を決定します。これは、行動を起こす個人にも企業にも共通して言えることです。

第7回SDGs認知度調査によれば、SDGsに対する認知度は45.6%となっています。筆者の推測ですが、SDGsを認知している約50%の人の大半が、SDGsを「環境」に結び付けているのではないかと思います。


考察

ここから、SDGs内における認知度の差についての考察を行っていきます。

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まず前提として、SDGsは「社会・経済・自然」の3つの環境に基づいて目標が設定されています。そして、それらの3要素は上図のように大まかに分類することができます。

所感ではあるのですが、私たちが最も理解しやすいSDGsこそ、知名度トップ3に挙がるような、自然環境に関するもの(SDG13,14,15)や、社会的に大きく取り上げられる課題に関するもの(SDG3,5)などではないかと思います。

特に自然環境に関する問題は、非常に理解しやすいです。なぜなら、環境破壊に繋がる行動を非難し、積極的に環境保護活動を行なえば良いからです。また、ジェンダー問題なども、何が課題でどうやって解決すれば良いかが、幾分明白なものが多いです。

つまり、問題が定量的に分析しやすく、「エコ」や「LBGTQ」といった、その目標を象徴するようなワードが広く人々に認知されている目標こそが自然や社会に関連したSDGsであり、認知度が高い目標だと言えるのです。

また、明確なゴールや道筋が見えており、数字や具体的な行動で語ることができる目標は、再現性が高く大学の講義などでも扱いやすい内容となっているのです。


では反対に、認知度が低いSDGsとはどのようなものなのでしょうか。

結論から述べると、経済活動に関するSDGsは、人々から非常に注目されにくい内容となっています。

自然・社会のSDGsと比べて、目標と関連した課題が見えにくいことが理解の妨げとなっており、そもそも経済活動の促進や働きがいの保全が、SDGsに組み込まれているということ自体も、あまり認知されていないように思います。

こうした認知の難しさを持つ経済に関連したSDGsですが、これらの目標は、企業にとっては最も身近な課題であり、そうした問題の解決に努めている企業も多いのです。

しかし、学生は基本的に経済活動を行っておらず、社会人にとっても経済活動がSDGsの問題として捉えにくいため、環境問題ほど注目されることが少ないと考えられます。

また、環境問題などと異なり、具体的にどのような活動を行なえば良いのかも不透明なのが、経済活動に関連したSDGsの特徴です。

例えば、「産業と技術革新の基盤を作ろう」と言われて、即座に自身の行動に落とし込むことは中々難しいと思います。

「社員の働きがいに対する意欲を向上させよう」と言われたところで、「働きがい」という概念的かつ抽象的な単位を、定量的な目標で測ることは難しいのではないでしょうか。

繰り返しになりますが、環境問題を解決するための行動は、私たちにも分かり易く、理解し易いものです。しかし、経済活動における問題の解決となると、一転して具体的に行うべき行動があやふやなものになるのです。

しかも、「エネルギー」や「技術革新」、「まちづくり」と言った経済目標に関するワードは、その分野の専門性を想起させ、より私たちにとって遠い存在であるように感じさせます


以上のように、経済活動と環境保護の両立が実現困難だというイメージを持たれていること、経済活動とSDGsの関連性が認知されにくいこと、経済に関連したSDGsはどれも専門性を感じさせることなどが、経済に関連したSDGsの認知度が低い主要な原因であると考えられます。


他にも、Twitterやニュースで環境・社会に関連したSDGsが取り上げられやすいのも、それらのSDGsの手軽さ・理解しやすさによるものだと私は考えています。

環境や社会に関連した情報は、日頃から私たちが頻繁に触れる内容であり、一般的な常識の範疇で語れる内容がほとんどです。結果、それらの情報をSDGsと関連させて語る・考えることも容易なのです。

一方の経済関連の情報は、難しい・難しそうな内容であるため、人々が気軽にそれらのSDGsについて語ることができないのが現状です。

「食べ残しをしない」や「相手の嫌がることを言わない」といった個人の発言は、SDGsの目標とズレることなく、具体的に行うべき行動も明確なため、発信者側も受け取る側も気軽に情報をやり取りできます。

しかし、これが「家屋にIoTを導入する」や「仕事に働きがいを見出す」となると、一気にハードルが上がったように感じますし、より個人に依拠した形の行動が求められるようになってしまいます(「働きがい」は人によって違いますよね)。

この両者の間にある理解の差が、そのまま各SDGsの認知度に直結しているのではないかと考えられます。


また、上述とは少し異なるアプローチとして、日本特有の認知度の低さを持つSDGsもあります。

例えば、SDG6は「安全な水とトイレを世界中に」となっています。世界には、安全な飲み水や、衛生管理がきちんと行われたトイレの確保が困難な地域が多く存在します。

一方で日本は、世界トップクラスに整備されたトイレと、非常に安全な水を常時入手可能な環境にあります。こうした状況下では、SDG6を自分ごととして捉えるのことは難しいかもしれません。

また、SDG1やSDG5やSDG10は、世界的に見ると人身売買の問題と併せて語られていることが非常に多いです。実際、世界では依然として人身売買がまかり通っている地域がいくつもあるのです。

日本でも、人身売買が皆無かと言われれば、実際のところは怪しいものがありますが、社会問題になるような大事には至っていません。それもそのはずで、日本は高度に整備された法律と、警察による治安の維持が保たれているため、問題自体が起こりにくいのです。

このように、世界的な約束事であるSDGsには、日本人にとっては馴染みのないテーマもいくつか含まれています。

しかし、馴染みがないというのは全く悪いことではありません。裏を返せば、SDGsに取り上げられるほどの深刻な世界的問題が、日本では解決されているということです。これは当然喜ぶべきことであり、SDGsの到達点の一つであるとも言えます。

しかし、日本にはない問題だからと言って見逃して良いというわけでもないのがSDGsです。SDGsの達成度をより高めていくためには、もちろん現状からの更なる改善を試みるべきです。

また、世界に蔓延する水問題や人権問題は、多くの人々がその問題を認知し、非難の声をあげることで、解決に繋がる可能性もあります。日本や自分には関係ないことだから、と割り切るのではなく、世界で起こっているそれらの問題に対して「認知」を行い、自分の中に知識を蓄えることこそ重要なのです。



まとめ

まとめとして、SDGs内の認知度の差は、以下のような原因に基づいて引き起こされていると考えられます。

①その目標に触れる頻度

②課題と解決策の具体性と、その理解のしやすさ

③「社会」「経済」「自然」が持つそれぞれのイメージ

私たちは、脳による情報の取捨選択によって、理解し易いものや自分に関心のある内容に目が行きがちです。意識しない限りは、難解なものや関心の向かない分野に触れ、それらを理解することは困難です。

そうした状況下では、多くの人にとって理解し易く、関心の向きやすい「社会」や「自然」に関するSDGsに注目が集まり、専門性が高く見えがちな「経済」に関するSDGsに対しては、理解が進まないと考えられます。

さらに、目標に触れる頻度が、その目標が持っているより明白な課題と解決策の理解に繋がります。

「経済」に関連したSDGsにも、解決策やそのための具体的な手段が存在します。それらは「自然」や「社会」のSDGsに比べると見えにくいですが、一度見つけることができると、他の目標と同等に重要な役割を担っている目標だということが分かるかと思います。

また、現時点で「経済」に関連したSDGsに対する注目が低いということは、それだけビジネスチャンスが埋まっている可能性も高く、単なる理解に留まらない良い影響を与えてくれる可能性もあるのです。

加えて、各SDGsの持つイメージも、認知度の差に直結しています。特に「経済」は、「自然」との両立が困難であるというイメージを持たれており、理解しやすい「自然」との対比的な文脈で語られることが多いです。

しかし、「経済」と「自然」のどちらか一方に注力し過ぎたところで、持続可能な開発は困難です。SDGsの達成のためには、「経済」と「自然」のバランスを維持しつつ両者の問題を解決していく必要があるのです。


おわりに

ここまで読了頂き、ありがとうございます。今回は、個人的な見解を踏まえた問題の考察に留めさせて頂きました。そのため、具体的な問題の解決方法などは取り上げていないことをご承知ください。

どのようなことにも言えるのですが、興味のない分野を無理やり学ぼうとしても、すぐに限界が来ますし、そもそも理解が浅くなってしまいます。

SDGsの認知度の差もその最たる例であり、「SDGs」と聞くとすぐに「環境保護」や「差別の解消」と繋げてしまい、他の目標が疎かになっていまう恐れがあります。

私がSDGsを学ぶ方に対して共通して言っているのが、SDGsの「自分ごと化のステップ」です。『①認識、②対象化、③ステークホルダーへの対象化、④システム化』を繰り返すことで、SDGsは驚くほど自分にとって身近なものへと変わっていきます。

興味のない分野を学ぶ際は、特に①認識を8割、②対象化を2割のつもりで十分です。認識、つまり知識を得ることが、学びの最初のステップであり、興味への第一歩でもあります。

関心のあるSDGsをより深堀っていくことは非常に大切ですが、SDGsの達成のためには、やはり17の目標に対する「理解」と「自分への当てはめ」も欠かせないのです。

読者の皆様が、これまでほとんど理解していなかったSDGsを、一つでも多く「認識」するきっかけになることができれば幸いです。


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