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【自己紹介】僕がSDGsを仕事にしたいと思うまで(1/2)

noteを20話ぐらい書いてきて、ふと気付きました。


そういえば、自己紹介記事をちゃんと書いていない!!(汗)

まぁ、誰も興味ないかもしれないですが。。。実はこの記事は自分の33歳の誕生日に書いているので、自分の人生を振り返るために書きます!(笑)

えーと、

自己紹介をしながら、現在の「SDGsおじさん」と自称する(ただただ自称しているだけで全然わかってないし、取り組みもまだまだなんです、すみません)ようになるまでの経緯を、ものすごくかいつまんで書きたいと思います。

あ、ちなみに今回の記事は全くためになる要素はありませんので、悪しからず(笑)


まず、生い立ち(?)を少しだけ。

京都府亀岡市の生まれ・育ちです。はい、長男です。

小学校のときは外でも遊んでいましたが、どちらかというとインドア派。
家の中でよく絵を書いていたようです。キャラクターの絵を書いて、それを友達がほしいというので学校とかで配っていたりしたのを今でも思い出します。(僕の絵心のピーク、そしてモテ期?は小学生だったようです)


中学はバスケ部に入りました。
休みの日でも家の庭でバスケをしたり、家の中ではプレステでバスケのゲームをやったり、バスケのマンガや雑誌を読んだり、夜はBSテレビでNBAを見たり。。。いま思えばよくあれだけ夢中になったなと思うぐらいのバスケ小僧でした。

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↑最近、地域の社会人バスケに参加しました。かなり体力きつかったけど楽しかった~ また行きたいです。


京都市内の高校へ進学しました。
進学校だったので、勉強のためと称して部活もせず(同じクラスのほとんどの人も部活には入っていませんでした)。。。なので自分としてはあまり良い思い出はなく、取り立てて書くこともございません(泣)
そして「男子校」だったというのもそれに拍車をかけました。生まれ変わったら公立でもいいので共学の高校へ行って思い切り青春を謳歌したい、という願望を抱いています(笑) 

ただ、やはり高いお金を出して私立の高校に行かせてもらった親には本当に感謝です。おかげさまで、高校のときの経験がきっと今にも生かされている(はず!)


そんなこんなで、高校は思ったように勉強がうまくいかず。。。最終的には志望大学のランクを2つぐらい下げて(まぁまぁ妥協してますね~ 友達は浪人しても高ランクな大学を目指していましたが、僕はそこまでの気力がなかったです)大阪にある大学の法学部を受けて何とか合格することができました。

法学部を目指したのは、おそらく弁護士のドラマか何かを見て「カッコいい」と思ったからだと記憶してます。どうしてもなりたいと思ったわけではないですし、後々に弁護士はあきらめるのですが。。。とにかくこのときに「将来は何か専門的な仕事で人の役に立ちたい」という思いが芽生えたようです。

さて、大学ではキャンパスライフを自分なりに楽しんでいましたが、2回生のときにふと「このまま自分は卒業して就職できるのか?」という不安がわき起こります。

そこで、せっかく高校のときからの思いで法学部に入っているので「やっぱり法律に関わる仕事につきたい」と改めて思うようになりした。

「法律の仕事といえば弁護士だろう!」という声もどこからか聞こえてきそうですが。。。いやいや、当時の僕には弁護士は能力的にも心理的にもハードルが高すぎたのと、その当時は今のような「予備試験」なるものもなかったので、「大学卒業して最低でもロースクールに2年間は通わないといけない」=「社会人になるのが遅くなる」ということで、弁護士はかなり早い段階であきらめていました。(もともと平和主義で人と争うのを好まないので、性格的にもきっと向いてなかったでしょう。。。)

そんな感じで将来のことを模索している最中、某資格学校のパンフレットに「司法書士」という資格を見つけました。

すぐに独立できて1000万円以上の収入が狙える、市民に身近な法律家


おぉ。。。いま見たらいかにも予備校が書きそうなキャッチフレーズだなと思うのですが、当時の僕はその甘い響きにまんまと誘われて、司法書士を目指すことに決めました。

ここで司法書士試験の奮闘記を書いてしまうと長くなりすぎるので。。。今回は思いきり省きます。(多分、これから書く予定もないかな。。。)
ただ、これだけは言っておきます。なんと、運良く2回目の受験で合格できたんです。まさかの大学在学中に受かったんです。これは僕の人生で数少ない自慢ポイントの一つです(笑)

で、司法書士試験に受かり、「資格があるし、これでまぁどこかには雇ってもらえるだろう」と若干浮かれた気持ちでいました。

ただ、ふと我に帰ると、自分の大学ライフが「司法書士試験の勉強」(大学で単位を取りながら資格の学校にも毎週通い、家でも勉強するという大学受験よりさらにハードな日々。。。)とその「学費を稼ぐためのバイト」(パチンコ屋の店員から始まり、レンタルビデオ屋の店員、個別塾の講師など、はたまた派遣で引っ越しとか工場の作業とか、割と移り気にいろいろやりました)にかなり費やされていることに気付きました。

おっと、このままだと、また高校ライフの二の舞になりやしないか!?

何か大学時代だからこその「思い出」を残せないか!?


焦った僕は、ある司法書士の先輩に相談しました。

すると、

「まだ若いんだし、1年ぐらい留学でも行ってきたら?」


。。。まさか!

そう来るとは思っていませんでしたが、僕は以前から英語には興味があったこともあり、素直にその言葉に従って留学しました。

何より安全な地域で、クリアな英語を話す、そして自然も多いという理由からカナダの「バンクーバー」を留学先として選びました。


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↑誰ですかね?これ(笑)

これはロッキーズを旅行したときの写真ですが、それにしても、湖の色が綺麗すぎますよね?
バンクーバーって海が近くにあって大自然が広がっていて、秋~冬は雨がすごく多いんですが、夏は快晴が多くてすごく過ごしやすいんですよね。。。

自分で書きながら、これっていま住んでいる京丹後とちょっと似ているなって思ってきました。実は京丹後にIターンしたのは、バンクーバーが原点になってるのかも、ということにこの記事を書きながら気付きました(笑)


さて、この留学は僕の人生観を大きく変えることになったので、またいつか書くかもしれないし、いや、書かないかもしれません。

一言でいうと、

「人と違っても全然問題ない。むしろ人と違うことこそが自分の価値になる」


これを強烈にインプットされたのがこの留学経験です。

もしいまの自分が「変わっている」と言われるなら、明らかに原因はこの留学です。なので、僕を責めないで留学を責めてください(笑)


あぁ、どんどん長くなっていきそうなので、続きは次回にさせてください。

次回は大学を卒業して司法書士事務所に勤務したときのことから書きます。


とりとめのない記事を読んでくださってありがとうございます!


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