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Vol.57「等身大の主人公」

『「偉大な人物の物語」に耽溺した者は、尊大な態度をとる様になる』
…のっけから小難しく!?書いてみましたが、「英雄(ヒーロー)の物語」の書籍を読んだり、映像作品を観たりすると、描き出される強烈なキャラクター性に引っ張られて、ついつい(読み手や観客である)こちらまで気が大きくなってしまう事はよくある訳で{…え、もしかして私だけですか?(笑)}。

では逆に、自分に近い等身大のキャラクターの物語を見るとどう感じるのか?
先日、映画館で鑑賞した映画『ACIDE アシッド』は、まさにその好例でした。

※下記は35秒の予告編です。

ざっとしたあらすじは…
異常気象により、南米で高濃度酸性雨が甚大な被害をもたらしている近未来。
フランスの地方都市にて、仕事中の中年男性ミシャルに元妻エリースから連絡が入る。高濃度酸性雨の雨雲が広がりを見せる中、娘セルマが寄宿学校で野外実習中だというのだ…
…というものです。

いわゆる『ディストピアもの』にして『サバイバルもの』なのですが、起こっている天変地異を俯瞰で(マクロで)見せることは無く、あくまでも主要登場人物とその周辺の描写で構成されている作品です。

その結果、描き出されているのは『(ヒーローではない等身大の)登場人物がとる、美しくなければ、賢くもない行動の数々』。
ある登場人物は「心が通い合うようになった」とまで言っていた、「とある動物」を(おそらくは)見捨てて逃げているし、他の登場人物も「助けを求める被害者」を全力で追っ払っているし、逆に「自分が助けられる立場」になっても ” 十分な援助が受けられない ” と知るや、助けてくれた相手に遠回しな嫌味を言う始末。

正直、そういった「浅はかな行動の数々」にはイライラさせられるのですが、その反面 心に湧き上がるのは『同じシチュエーションに居合わしたら、私も同じように「自己中心的な愚かな行動」をとるであろう』という予感。
なかなか自己犠牲を伴う利他的な行動はとれないだろうし、パニックに陥った時に賢い判断は出来そうにない。

…という訳で、鑑賞中は登場人物達の行動にイライラしつつ、記憶のフタが不意に開いて「そういえば ” あのピンチの瞬間 ” 真っ先に逃げたなぁ」と自己嫌悪に陥ったりと、なかなか心揺さぶられる鑑賞体験になったのでした。

では、今週の締めの吃音短歌(注1)を…

あいさつの 出来損ないを 道に置き しゃべるつらさを 抱えて帰る

※「逃げる」で言えば…スムーズに挨拶の発声ができないので、近所では人の気配を感じると、道を変えて人と会うのを避けるという「逃げ」を打つ事がよくあります。

【注釈】

注1)吃音短歌

筆者のハンディキャップでもある、吃音{きつおん}(注2)を題材にして詠んだ短歌。
この中では『「吃音」「どもり」の単語は使用しない』という自分ルールを適用中。

注2)吃音(きつおん)

かつては「吃り(どもり)」とも呼ばれた発話障害の一種。症状としては連発、伸発、難発があり、日本国内では人口の1%程度が吃音とのこと。

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