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子供と向き合う。子供と親の相性ってあるのかも。

親は子供を無償の愛で包み、子は親を無邪気に愛する。
本質をついてますか?
私にはよくわかりません。
私は既婚者で子供がおります。

子供とっていっても25歳で成人しています。
仲は悪くないと思っています。

映画に一緒に行ったりK-Popも彼女のお勧めを聞いたりしています。

だったら問題ないじゃん。
いえいえ、なんだか最近しっくりこないのですよね。

簡単に言えば大好きですし、いつも気にかけています。
でもなんだか最近気持ちが一致しない感じ、うーん難しいのですがすれ違っている感じがします。
今更の話ですが子供は子供ですよね。
でも、彼ら彼女らは子供から大人になっていきます。
何が言いたいかといえば、個人と個人がぶつかるようになるわけです。
かわいくて無邪気で思い通りになっていた子供が一人の人格として確立されてしまうわけです。
否定的に言っているわけではありません。
子供のある時期からアイデンティティを持つことは必要です。
いつまでもかわいいだけの子供ではだめなのです。

でも、寂しいですよね。
私は子供を支配下に置きたいのでしょうか。
そうなのかもしれません。自分の思い通り希望通りの反応が欲しいだけなのでは。
でも、これって怖いですよね。
子供のことを考えているといいながら、ベクトルは自分に向いています。
「自分にとって可愛い子供」そうなっています。
それって何度も言いますけどどちらにとっても怖いですよね。

下手すると共依存の関係になるかもしれません。
大げさかもしれませんが共依存関係の親子は最近増えていませんか。

共依存
共依存とは、自分と特定の相手が互いに過剰に依存し合い、その関係性に囚われている状態のことを指します。言い換えれば、お互いが相手に依存するあまり、自分自身を見失っている状態と言えるかもしれません。依存にも様々な種類がありますが、その中でも共依存は“関係性への依存”と言われています。元はアルコール依存症の患者とその家族の関係性から生まれた概念でした。飲酒の問題を抱える夫に対して、妻は自分を犠牲にしながら献身的に支え、世話をしますが、当事者の夫はますます酒に溺れて負のループに陥るといった具合です。今ではもっと広い意味で『問題を起こす人と、その人を支える人(問題を代わりに解決してあげようとする)という関係性に対して使われるようになりました。
https://www.womenshealthmag.com/jp/wellness/a36667255/mental-health-codependence-20210616/


人間って弱いですよね。あーごめんなさい。強い人もたくさんいましたね。
でも弱い人のほうが圧倒的に多いです。
そんな人は依存先を探します。
依存する関係に居心地の良さを感じそれが継続するのです。

子供がまだ幼児のころはある意味共依存でもいいのかなと思います。
そうしないとお互いに生きていけないからです。
でも、その関係はいつまで続くのでしょうか。

ごめんなさい。今私はGoogle先生にご意見を求めずに自分の思うまま間にKeyboardを叩いています。
多分、間違いも多いのではと思いますがぜひとも考えるきっかけになればと思いこわごわと自分の意見をPCに打ち込んでいるわけです。

話は変わりますが、人間は生きていくうえで絶頂期を人生の前半に迎えてしまいます。
16歳から18歳くらいが体力的にも気力的にも最高に充実しているのではないでしょうか。
それに対して「精神的な成熟」はどうなんだ。
そんな若いうちは精神的には未熟だというご意見が多々あるかと思います。

本当にそうでしょうか。
私自身のことを考えれば自身の精神年齢は13歳くらいから変わっていない気がします。
精神疾患を抱えているせいもありますが、未だに会社に行けなかったり、嫌なことから逃げたり・・・そんなんばかりです。
年を重ねると未熟な精神に今まで獲得した語彙を使ってなにか別の立派な形のように見せかけようとしませんか。
言葉は精神をだます。そんな感じです。
獲得してきた言葉に騙され、本当は幼いはずの精神は無理矢理に思い鎧を着せられます。
それを着て戦うわけですが、本質が幼いので負けっぱなしですよね。(これは私だけかもしれません。)
本当は私だって立派な鎧を着て勝利の雄たけびを上げたいのですよ。
でもないものねだりは止めます。
その無理が精神を病む引き金になっているからです。

ジェンダーレスのこの時代になんてことを言いだすんだとお叱りの言葉を頂戴するかもしれませんが、私は「父性」を信用していません。

逆に言えば「母性」はあると信じています。

実際、私が子供を可愛いと本心から思えるようになったのは子供が3歳くらい、ちょうど言葉を話せるようになったころだと記憶しています。
子供が生まれたばかりのころちょうど私の鬱がひどい時と重なり鳴き声を聞くだけで動悸、過呼吸になるほどでした。
酷い父親です。
当然、赤ん坊である子供にこちら側の都合など分かるはずもありません。
こちらが半泣きの状態で無理に幼児用の椅子に座らせ気を紛らわすためのに夕方のNHKをつける。
でも、子供はテレビには興味を示さず、食事も口には入れるが吐き出してしまう。
本当につらかった。(子供には話をしていません。)
その時は可愛いなどと1mmも思わず、悲しさとむなしさだけが残りました。

そもそも出産のときも(予定が早まったので仕方ないと思いますが。)
会社の接待で朝帰りをし、まだほぼ酔った状態で妻に起こされ
「破水した」と言われました。
正直、酔っていたので「破水」の深刻さは全く理解せず、とりあえず病院に行かなければと思い急いで酔い覚ましのシャワーを浴びました。
病院についてほっとしたのもつかの間、今度は激しい二日酔い(まだ、酔っていたかもしれませんね。)に襲われ酷い吐き気が間断なく襲ってきました。
妻は病室で戦っていました。一方私は病院のトイレで吐き気と戦っていたのです。
たしか病室に入ってから数時間で出産したと記憶しています。
私はその数時間のほとんどをトイレと廊下のベンチの往復に費やしていました。

そんな状態の時に、生まれたよとガラス越しに赤ん坊を見せられた時、正直に本当に正直に言えば

こんなもんか。

という感想しかありませんでした。看護師さんや義母は赤ん坊の顔立ちや、誰のどのパーツが似ているとかいろいろ話をしてくれましたが全く響きませんでした。
結論を言えば赤ん坊を見たときに私に「父性」は生まれなかったのです。

もちろん、医療技術が進歩しているとはいえ出産は女性にとって生死にかかわる一大事業です。一説によれば男性は女性が味わう陣痛や、出産の痛みを物理的に耐えられないそうです。

こんな状況で子供を手にしたら「母性」が生まれるのは当然ではないでしょうか。もちろん、子供が嫌いな女性もいるでしょう。でも、「母性」確実に生まれているはずです。
それを放棄するのは感情ではなく環境のせいではないでしょうか。

私が鬱で仕事ができないため一般的な男性に比べ育児には大きくかかわらせてもらいました。
今では貴重な経験だと思いますし、多分、死ぬときに思い出すことの一つなんだろうとも思います。

でも、私が子供を可愛いと思えるようになったのは、お互いに意思疎通がある程度できるようになってからでした。言葉をしゃべり態度で示し、時には意外な気付きを与えてくれる。
そうなってから急激に愛しく感じるようになった気がします。
つまりは「父性」は後天的であり、理屈です。
事例が私だけという狭い範囲なので事実とは言えないと思いますが世の中でそう感じている父親は多いのではないでしょうか
そこに母親とのギャップが生まれもめごとの原因にもなるのではないでしょうか。

改めて言いますが「私は自分の子供が大好きです」。でもこれは無償の愛ではなく後天的に形成されたものなのかもしれません。

母親は先天的に「母性」を備え、父親は後天的に「父性」を形作る。

これが私の中の一つ結論です。

さて、話は戻りますが、「母性」「父性」に見守られ大切に育てられた子供は、気づけば「子供」ではなく一人の人格を備えた大人になっています。

私の話ばかりで恐縮ですが、子供が高校を卒業したあたりから話す内容や接する態度に気を遣うようになりました。
妻に言わせれば「そんなの気にせずにどんどん話せばいいのに。」なのですがどうも違います。

予想したもしくは期待した反応や答えが返ってこなくなったのです。
これは普通の人間関係と同じですよね。
ということは今までの親子関係(戸籍上の関係は不変ですが)が人間関係に変わったということですよね。
子供も人間ですから機嫌が良い日も悪い日もあります。
自己主張もします。考えたくはないですが私のように精神疾患を患うかもしれません。
でも、それが人間です。

人間って面倒ですよね。
常に関係性の中でしか生きることができない。関係性を全て断ち切ったらそれは人間という存在ではないのかもしれません。

親と子供も関係性です。
人間関係と同じです。
関係性には相性があります。
お互いが+、+もしくは-、-では反発します。
+と-の関係であれば引き合うのでしょう。

親子の関係に悩んでらっしゃる方はたくさんいると思います。
私は悩むほどではないですが、最近迷っています。

ですが、親子関係<人間関係に変わっていませんか。今の状態は。
関係性が変わっても好きな気持ちは変わりません。
でも、腹が立ったり嫌味の一つも言いたくなることはあります。

私の結論。

親子関係<人間関係

それを踏まえてこれからもたくさん良い経験をして、素晴らしい思い出を作りませんか。
お金は死んだら持っていけません。素晴らしい経験を親子、パートナーと共有しましょうね。


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