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あの頃、あなたは、どこにいますか?

小さい頃、幼稚園や保育園の頃、もしくは小学生の頃かもしれないし、中学生かもしれない…。あのころ「あこがれた」職業や、「なりたい」自分ってきっとあったはず。
その夢は、いま、どうなっていますか?

1、将来なりたい夢

小学校の卒業文集なんかで、「将来なりたい職業」や「将来なりたい夢」という項目を書いたことだろう。覚えていますか?自分で何を書いたってことを。

あの頃描いた夢を、今実現している人。素敵ですね。ずっと持ち続けた信念をきっと叶えたことでしょう。
あの頃と違った姿になっている人。それも人生です。何か新しいことを身につけ、道を切り開いてきたことでしょう。
あの頃から何もかも叶えられなかった人。そんな人生もあるのかもしれません。すくなくとも、僕はこの最後に近い。なりたかった職業は、すべて叶わなかったし、その後は「なりたい」より「できる」を優先してしまったから…。

そんな憧れや夢を置いてきたしまった人生の時間は、あっという間です。やれなかった後悔よりやった後悔のほうがいい。本当に、振り返るほど、そう思います。

2、いくつかの夢と挫折

幼稚園のころ。身近に見た職業は「バスの運転手」でした。大きな車体を大きなハンドルを握って動かす。停留所にぴったり止める。かっこいいなと思いました。でも、そのバスが身近だったのは、幼少期に病気があって、毎週のように病院に通っていたからです。

人が遊ぶときに、帰宅してから病院に行く。ほんの少し遊ぶ時間が減る分、社会を見る時間があったのかもしれません。でも、そんなバスの運転手にはなりませんでした。

小学生の頃、勉強も運動もできなかった僕は、空を見上げることが多くなりました。ふと見ると、飛行機が飛んでいました。たまたま近くに空港があるような土地で暮らしていたこともあり、セスナや飛行船など、たくさんの空を飛ぶものを見ることができました。

そして、たまにやってくる巨大な旅客機。何もかも他人より背伸びできない僕は、そんな頭上はるか上を飛ぶ存在に憧れました。パイロットが次の憧れになったのです。

でも、その職業につくためには、勉強ができなきゃいけない。だから、それから一生懸命勉強することにしました。何から始めたらいいかわからないままに…。

3、「やりたいこと」「できること」

勉強はいくらやっても伸びない。50m走を走っても、女子にさえ負けてしまう。幅跳びもクラスで最も飛べない。そんな運動音痴を嘆いている時、たまたまあった持久走大会。

いつもこつこつやるしかない自分は、何も考えずに走る集団の中にいました。そして、ふと、みんなが遅いと感じたのです。目の前にも左右にも、同じ学年の友達が走っていて、このままでは躓いてしまう。その瞬間、さっと集団を抜けたのです。そして、ペースをあげました。

集団の先頭に立ち、先導車についていきました。集団はどんどん後ろに離れていきます。きっと、みなびっくりしたことでしょう。何も冴えない、学年の日陰者が、持久走の先頭を走っているのですから。

そして、学校の周りを走り、いよいよ構内に戻って校庭を一周したらゴールです。先頭のまま、先導車は体育館の角を曲がり、校庭でまつ全校生徒はいよいよトップが帰ってきたことを感じたことでしょう。僕はそのまま同じように曲がり、その瞬間、大歓声が上がったのです。

そして、その歓声は、すぐに止まったのです。

「あれは、だれだ??」

しばらく無音が続きました。きっと、全校生徒が困惑したことでしょう。一度も目立つことのなかった児童が、トップを走って学校に戻ってきたんですから。すぐさま、学年1のモテモテ運動神経バツグンスター児童がやってきて、ラストスパートで僕を追いつこうとペースアップしてきました。

校庭の第2コーナーを曲がり、第3コーナーを曲がったところで、抜かれました。大歓声が起こり、そして、スターの彼はトップデーゴールテープを切りました。僕は二番手でした。

4、「能力」はまだ開花していない

惜しくも二番手でしたが、一躍存在感を示したあと、同じ様の「持久力」を要するスポーツである程度活躍することができました。

体育祭の持久走でも、トップ集団。サッカーでは、走る体力を生かしたカウンターアタックで得点を稼ぐ。そんな風に、いままで全く役立たずだった自分にも、何か上に上がれるチャンスがあるのかもしれない、そう思ったのです。

ひとは、すぐに結果が出ることを求めがちです。でも、いつかはわかりませんが、コツコツ続けることで、花開くことだってある。それが何十年係ることだってあるのかもしれない。

自分はきっと、そういう人間だと思えたことが、人生のスタート地点であったことと改めて思います。

でも、その後、卒業論文に書いた「なりたい職業」はなんて書いたか。

「ハッカーで儲ける」

やっぱり、僕は、相変わらず、日陰者の人生を歩む運命にあるのかもしれません…。そして、今も、裏方のまま、日の目を見ることなくコツコツやることが、僕が唯一できる役割なのかもしれません。

あの時の自分は、今を予想したでしょうか。これが、理想の大人だったのでしょうか。決して華やかな人生ではないけれど、まだ開くものがあるのでしょうか…。

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