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「価値」とは「良い」ではない

「付加価値を付けて」なんていう教科書通りの答えはもう何度も聞き飽きた。そうはいうけどさ、価値って何よ。何かを足すんでしょ?他よりもいいところを示すんでしょ??えっ?違うの?だってプラスするから「価値」なんじゃないの??

1、「価値」を感じるとは何か

私達が、日頃の生活やあるいは買い物のときに感じる「価値」とはなにか。振り返ってみればいいと思うのです。例えば、よく「付加価値」として象徴的に言われるのが「ブランド品」なんかがそれ。

原価だけ見れば、革製のバッグだって、1万円もしない程度なのに、とあるブランド名の冠をつけることで(実際にはそれだけではないんだけれど)、10万円にも100万円にもなる。

その差は「付加価値」と言われる。では、その「価値」って何から構成されているのだろうか。

例えば、「価格」であれば、「高い」ことによって、誰もが簡単に所有することができないだろう。とすれば、そのブランド品をもつことは、他のが「持っていない」という差が生まれる。仮に、自分が買った商品が隣の人も、友達も、あっちもこっちも買って、皆同じものをもっていたとしたらどうだろう。

昔、ユニクロがフリースを売り出した時、日本中で大流行した。みんなお店にいって買った。そうしたら、街中はどうなったか。みんなユニクロのフリースだらけ。あっちもこっちも…そんな風景を見た瞬間に、急にその熱狂も冷めてしまったことだろう。

同じものをもつ安心感もあれば、同じだからこそ「同一視される」ことのデメリットもある。特に、服やバッグなど、ファッション性があるものは、この傾向がどうしても強い。もちろん、着られればいいという意識の人にとっては、そんなものは何の「差」も生み出さないのだけれど。

そう考えてみると、ブランドが作り出す「価値」には、「価格」という一定の障壁を儲けることによって「誰もが真似しづらい」状況をつくり、そして「普及することによる陳腐化」を避けることができる役割がある。それは、「買ったものを長く使える」という意味では「損をしない」という側面もあるといえるだろう。

2、「損をしたくない」=「価値がある」

だから、「価値」とはプラスの側面ではなく、「損をしない」ということをはっきりと訴える必要がある。例えば、肉の世界の「ブランド牛」なども、おいしいかどうかわからない牛肉の目利きや選択に、その印という基準や審査を経てきたものであれば「まずい肉を食べることがない」という損失を回避することができる。それが「ブランドの価値」といえるだろう。

「期待するものを裏切らない」とは、「期待を下回ることはしたくない」という欲求に応えるもの。だから、価値をつけるには「こういう”損失”は起こらない」ということをはっきり伝える必要がある。

なぜ、その店で買うのか。
なぜ、その商品を買うのか。
なぜ、そのブランドを買うのか。
なぜ、その人から買うのか。

すべて「価値」があり、その「価値」とは、「期待するものを下回らない」という損失回避行動によって、選ばれるものである。

だから、同じ効用といわれても、依然としてジェネリック医薬品が普及しないのもそこにある。価格はたしかに安い。特許が切れたものを同じ製法でつくるだけ。だから、化学的なステップを踏んでいるので、効果が下回ることはない。でも、大手製薬メーカーの方を選んでしまうのは、「万が一効かないということはないだろう」という損失を避けたいがための選択優位性と言える。

3,「価格安く」は「お金」に価値がある人

でも、安い値段を常に追い求める人も確かにいる。それは、価値に求めるもの、つまり「損失したくない」の対象が異なる人々。商品やサービスの品質よりも、何より「自分のお金が減ることが損失」という絶対的価値観に基づいて行動する人々。

だから、飛行機も「乗れればいい」ということで、LCCを選択するわけだし、激安商品を血眼に探して1円でも安い品を探して「自分のお金が減らない」ことが喜びなのである。それは、価値の考え方の違い。だから、価格が合わなければ、それはもう相容れないものとして、縁がないというしかない。

そう考えれば、
・品質やサービスが一番大事な人
・お金が減らないことが一番大事な人

という2つの人種がいると思っていい。自分が商売をするのであれば、どちらの人を相手にすべきか、合わなければ早々に去るべきかは、はっきりしている。

どっちがいいか悪いかなんていうことではない。これは合うか合わないかという話なのです。

だから、価格戦略はこうあるべきなのです。
「こういう損失をしないから、これは高いのです。」と。

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