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X(旧Twitter)が人を不幸にする


1,X(旧Twitter)を辞めた結果

 Xのアカウントを先日消しました。もう2週間以上立つでしょうか。そんな事も忘れるぐらい、SNSの存在から離れてみました。得られた結果は「幸福度があがる」ということです。

ほぼ毎日のように繰り広げられる「何が正しいか」論争。知識も背景も経験も違うのに、フラットに誰でも発言できてしまうことの温度差。これらがもたらす認識と誤解…関われば関わるほど、X(旧Twitter)は人を「こちら側かあちら側か」という二極化した分類を強要し、対立軸深めていくツールであると改めて思います。
 そして、その中に毎日埋もれることで、人との付き合い方や接し方も刺々しいものになっていく…。毎日のように流れるツイートを見ている間は気づきませんでしたが、いかに人を「分類し、レッテル化しているか」に気づかないことは恐ろしいものです。

2,ピンポンダッシュとスカートめくり

 Xの良くない点は何か。その一つは「いいね」という”ピンポンダッシュ”です。中学生ぐらいのこどもが、見知らぬ家にドキドキしながらチャイムを押してみたくなる。自制心と好奇心が逆転するとき、ベルを押して、さっさと逃げていく。怒られるかもしれないスリル感という好奇心が自制心を超えるとき、「やってはいけない一線」を超えるのです。
 そんな感じでお互いの接点やバックグラウンドも無関係に、たまたま巡り合わせた人に「いいね」をすることが、会わなければいい人と接点をつくり、そして小競り合いを引き起こす。
 SNSは気軽に、これまでのリアルではない「つながり」を持てるメリットがある一方、「出会わなければよかった」人や価値観も、あるいは対立することがわかっている人と距離感を無視して近づけてしまう。まさに、相手を知らずに「いいね」することが「ネットの世界のピンポンダッシュ」みたいなものだと思うのです。

 もう一つは「コメント」という”スカートめくり”です。これも、自制心と好奇心で「いたずら心」が勝ったとき、「相手が嫌がること」を通して「自分に注目を向ける」ことができる。そんな短絡的な行動にすぎないのかもしれません。
 ネット社会では、特にXでは匿名でコメントができます。それはリアル世界で透明人間になり、好き放題に”スカートめくり”ができるような無双状態にいる感覚に陥るのかもしれません。けれども、あちこちに「コメント」として、知りもしない人に”共通の話題”や”トレンドワード”という接点だけで接触を図る。それが”言い争い”や”勘違い”を生み、人の感情をかき混ぜていく…。それはまさに、「ネットの世界のスカートめくり」みたいに思えるのです。

結局は、「匿名」という存在で、「自分にもかまってほしい」と思う勇気のない人の「自己実現スペース」が、Xという場を日々占めており、同報性というツールの特性がこうした「負のエネルギー」で占められ、コミュニケーションの掃き溜めのような存在が増殖している、というのが実態でしょう。

3,議論は「SNS」ですべきでない

 SNSのうち、Facebookは「長文」が書けることで、意見のぶつける場所のない中高年の掃き溜め感が強まってから、一気に若年層は離れ、説教じみたご託宣ばかりが並ぶようになりました。
 X(旧Twitter)も文字制限がなくなってから、自己主張を一方的に展開するものが増え、一気に治安が悪くなりました。Facebookでは満たせなかった「匿名性」が気軽さを与え、自制心のハードルを下げ、「言わない方がいい」コメントが堰を切ったように溢れています。そんなやり取りを毎日のように目にすると、本当に嫌な気分になるものです。だから、X(旧Twitter)から離れて、本当に「人を傷つける言葉」から離れられ、とても幸福度があがりました。

 やっぱり、なにかの疑問や課題は、文字をただ投げ合うのではなく、「音の抑揚」や「顔の表情」など、文字以外の手段によって意味を伝えることで、感情のズレが少なくなるのだと思うのです。これは、メールのほうが冷たい印象を与えたりすることと同じ理由でしょう。「話す」ことの効用と目的は、やっぱりあると思うのです。

4,メッセージだけが課題

 そんな私は、SNS断捨離して、とても幸せです。自然の風景、人との出会い、共に汗を流すなど、「リアル」の占める割合が増えることで、今までなんとSNSに汚染されていたのだろうと思いました。
 ただ、唯一の課題は、DMとしてのメッセージは、連絡手段として有効ではあるため、SNSを「発信」や「コメント」としては使わず、単に「個別に連絡をとるためのもの」としてだけは確保しようか悩みどころです。

今日と言う日が訪れ、晴れやかな秋空に、肌寒い風を感じながら、移動したり出会ったり、そして「新しい仕事」をしたり、十分なほど生活は満たされる。こうした時間を奪うSNSはよほど自制心がないと付き合えないツールなんだと改めて思います。

「文字を発する」には、相応の「インプットとなる体験」が大事だよってこと。「文字をインプットし、文字をアウトプット」ばかりしてると、自分の存在そのものが空想で、妄想だらけになっちゃうよ。マジで。

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