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やりたいか、やらされているか。

物事同じ結果が得られるとして、そこに至るまでに、大きく2つの出発点がある。それは「やりたい」と思ってやった結果か、「やらされて」得られた結果か。目的を達成するためにはどちらでもよいだろうが、継続して結果を目指したり、自分の意思を反映するためには、やっぱり出発点は「やりたい」からはじめたほうがいい。

1、なぜ、あなたは「遊ぶ」のか。

人によって、様々な遊びがあります。身体を動かす運動自体が遊びのこともあるし、部屋にこもってゲームをするのでもいい。あるいは、クロスワードやコツコツとプラモデルを作るのでもいい。遊びというのは、其の人がやりたいことを「本気」で取り組む。それは「自分の意思」で決めているからこそ、できること。

でも、これが「人から強制された」遊びだったらどうだろう。やりたくもないスポーツをやれと言われたり、つまらないと思いながらやるお手玉に、やる気も意欲もきっとないはず。

だから、人間は「遊び」があるからこそ、自分の中にある「底力」に触れることができるのではないか、と思うのです。それは「本気」で取り組むからこそわかることであり、黙々と集中できるからこそ、達成できる領域。

昨今、将棋の世界では、5冠を達成した藤井聡太棋士が話題ですが、その偉業を成し遂げたとしても、未だ「森林限界」と発言するように、突き詰めることを辞めず、謙虚に立ち向かう姿勢。その深さたるや、「本気」で成し遂げたいと思う山に挑んでいるからこその発言だと思うわけです。

2、仕事は「楽しい」ものであるべきか。

学校を卒業して就職するにあたり「やりがい」や「達成感」、あるいは「自分の興味」などを優先して、就職や会社を選ぶ風潮がありますが、そもそも「仕事」の本質は、「誰かのために働く対価」が得られることが基本。

とすれば、「誰もがやりたくない(作業)」ことや「誰かが面倒くさいこと(手間)」をやったり、「誰もできないこと(技術)」をやるからこそ、売上ができ、給与が発生するというもの。

そもそも「楽しさ」をすべての出発点にして、仕事を探すものではないはずです。

大卒で社会起業家になりたい、ということも、本末転倒。そもそも「社会にインパクトを与えられる自分」が目的であって、誰かの何かを解決したいことはその「付随事項」や「手段」に過ぎない時点で、根本から間違っているはずです。

まずは、どんな仕事や環境であっても、「(自分の思い込みではなく)誰かが困っていること」に地道に取り組むことから、将来が決まっていくのでよいはず。大学を卒業した直後に何者かになりたがるシンドロームは、生活と時間に余裕のあるモラトリアム故に妄想ではないかと思います。

農業をどうにかしたい

農家を助けたい

フードロスや環境破壊をどうにかしたい

そう高らかに叫ぶ前に、摘果、採取で大変な果樹園の農家にでもいって、ひたすら時間に追われながら、手が傷だらけになりながら、手伝うほうがはるかに有益で、農家にも農業にも社会にもプラスになること。

根底から「楽して稼ぎたい、楽して有名になりたい、楽して称賛されたい」といういかがわしい動機が背後に隠されているように思われてなりません。

まずは「泥臭いこと」「面倒くさいこと」「単純なこと」「手間のかかること」「やりたがらないこと」をどんどんやることの上にしか、太くて高い幹は育たないと思ったほうがいいと感じています。

3、「仕事」は「志事」じゃない

目の前に毎日のように取り組むこと。それは、社会的意義もあり、志を持って大きな夢に向かって…聞こえはいいですが、そんな大義に溢れた仕事は、ごく一部。いや、ほとんどの人にとって、小さな幸せ、身の回りの人を幸せにする程度の積み重ねが社会を作っているといっても過言ではない。

だから、地味でいいんです。他と優れなくてもいい。ただひたすらに、自分が取り組む仕事が、誰かの役にたち、それは家族かもしれない、友人かもしれないし、たまたま選んでくれた会社の仲間や顧客かもしれない。そんな目に見える範囲だけの「幸せ」のために、愚直に取り組めることが「仕事」です。

ピラミッドもひとつの石がかけては成り立たず、自転車も歯車の1つがかけても成立しない。社会の一部のほんのひとにぎりを担うだけでも、それがどれほどこの世の中を幸せにしていることか。

もう一度「晴れやかでない当たり前の毎日」に目を向ける謙虚さが必要な気がしています。カタカナに溢れた新たな概念を有無よりも、まずは毎日毎事の積み重ね。それが「毎年」の知識と経験を産み、そして実りをもたらす。それが続くことこそが、人生そのもの。

晴れやかに、派手にいきるよりも、長く生きること。そのことは、わずか数年も持たずして、新たなものが消えゆく歴史と過去が物語っているではありませんか。

温故知新の深さを、改めて自分の胸に問い直すことが、大切な世の中になっているものと、思います。

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