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つながりは幸せを産まない


1、SNSから卒業します。

 結論から言うと、タイトルの通りです。数年前から感じていた違和感、コロナ禍ではっきりと見えてきて、そして確信に変わったいま、SNSをやることが、限りある自分の時間にとってマイナスでしかないと、自分の中ではっきりしました。

 匿名性がもつSNSのメリットとデメリット。今、リアルに生きる自分の立場や地位を隠して、好きなことが言える(言い放てる)。それは一種の”解放区”のようなものかもしれません。けれども、そうした特徴が、どんな人にも、関わりがあるなしに限らず、相手の立場や状況を無視して、言葉を投げることができる。これが、多くの人の傷つけ、そして悲しみを加速させ、場合によっては命そのもの価値をも否定することができる”見えない武器”にもなっていました。
 法律も規則もなく、お互いの「倫理観」だけで空間がある以上、悪い方に偏っていくのは必然です。SNSは”強い”人間か、”無礼”な人しか、存在することが難しい場所になりました。
これも、SNSを卒業する1つの要因です。

2、つながりは、メリットだけではない

SNSのメリットの1つに「遠く」や「違う」人とつながれることをあげることもあるかと思います。地方や過疎など、リアルな空間における人口減少目覚ましい所で生活する場合、あるいは見知らぬ土地に旅行に行き、誰も知っている人がいないときなど、SNS一つで”つながり”をつくることができるようになりました。
 一方で、それが犯罪の温床になったり、お互いをよく知らぬまま、温度感も合わないまま、言葉のやり取りだけでつながり、それがなにかのきっかけに相違が対立となり、攻撃になることだってあるのです。
「つながれば、あらゆる問題は解決する」
というのは、そのメリットだけを評した言葉であり、良くも悪くも、癖もある人間が、削ぎ落としたきれいなアカウントという「人間像」で接しても、いつかはボロやズレが生じるものです。むしろ、
「つながるから、やっかいな問題が発生する」
という方が目立つようになってきたとも思うのです。

 ある程度のやり取りを経て、フォローし合うのはわかっていても、何も知らずにフォローだけが伸び続ける中で、もしかしたら、誰かにとって不快や不安を生じさせているかもしれない。そう思うと、考えや意見を「発する」ことと、それらを「交換」「議論」「共鳴」することを分けることが、建設的なお互いを尊重する「交わり方」ではないか、と思うようになりました。
 お互いの立場を知らぬまま進めていくことの恐ろしさ、それは急激な注目を浴びるときなどに、自制のきかない集団や数の力を生み出し、結果的に「大勢こそが正義」という「コントロールできない力」をSNSは何度も生み出して来たように思うのです。

3、「経験」こそが幸せをつくる

 SNSの世界で、見聞きしたことであたかも自分もその当事者、同空間にいるような錯覚を得ることは、一生到達できなかったようや景色や視点を見ることができるかもしれません。でも、所詮それは「切り取られた情報」でしかなく、リアルな場所で、どれほど経験を積み重ねるかに勝るものはありません。全国いや世界の各地に存在するその場所、その時、その人との共有する時間こそが、人生にとっての「経験」といえるものです。

遠隔地の映像をシェアする未来の食卓(Expo2015 Milan)

 SNSに触れていると、様々な人がいます。特に、TwitterがXになってから、文字数というリミッターが拡張され、Facebookに顕著になっていた「長文」や「説教」「間違い探し」が異常に増えました。こうした「世の中を匿名で正すこと」に熱量を注いでいる人が、場を乱し、「指摘すること>発すること」の比率を高め、SNSの世界がますます駄文だらけになってきています。これもSNSを卒業したくなった一因です。
時間よりも、リアルな現場の時間に全振りしよう。SNSを通じて「つながる」「交わる」ことに私は価値は見い出せなくなりました。

4、発信することの価値

 少なからず、全国津々浦々、とある専門領域において、目の前で起きていること、わかったこと、これから起こること…それらが関わりのある人にとって何かのヒントやきっかけになればと思ってSNSに触れていましたが、それは単なる偽善であり、勝手な思い込みであったと反省しています。
 今後は、すでに接点がある人、これからリアルな場として接する人のみを対象していくことも一つのやり方ではありますが、直面した課題の認識、そのための解決方法など、第三者の視点を経てこそ、より適した考え方が生まれるのも事実です。
 発信することはやるとしても、せいぜいまとまった考えを「書き留めておく」ぐらいにしようと思います。(その点では、今後においてもこのnoteは唯一の公開の接点かもしれません)

5、どうか楽しい人生を!

 SNSのメリットのほうがまだ勝っている人にとっては、続けていくことが価値があることと思います。それはそれとして、利用することに問題はありません。単に「私」にとっては、限りある時間の中で価値を見いだせなくなったというだけです。
 今後は、SNSのアカウントを順次削除していく予定です。DMとして公私の連絡が必要な場合として残すこともありますが、SNSの場として発信することは無期限停止となるでしょう。

それでは、皆様にとってこれからの人生が豊かで楽しいものでありますように!

人生というよい旅を!

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