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針を置いたらあの海へ 第2話


 高円寺から帰路について、19時ごろに、ニットカフェおよびたっちゃんさんの店からほど近い、ばあちゃんちに帰宅した。一時的に「レオの部屋」にしてもらった客用寝室に荷物を置き、ベッドの上に大の字になった。そのまま寝入りそうになったら、ばあちゃんが階下から、
「レオ、お茶にしましょう」
 と呼ぶ声が聞こえた。はーい、と応えてリビングに行く。
 黙々と、好物の空也の最中を齧り、お茶を啜っている俺をニコニコ眺めながら、ばあちゃんが言った。
「どう、お買い物楽しかった?」
「あ、うん、いいお店だった」
「たっちゃん、優しくていい子でしょ」
「うん、そうだね」
 ベストを買ってもらったことを言っておいたほうがいいな、と思ったけれど、それを言うと、いざ着る時に何だかすごく気恥ずかしくなってしまう気がして、言えなかった。
「ちょっといいカレー屋さんでご馳走してもらっちゃった」
 ちょいと盛ってごまかした。値段十分の一ぐらいなのに。
「そうお、申し訳ないわねぇ。じゃあ、今度またうちでご飯ご馳走しないとね」
 また。たっちゃんさん、ばあちゃんちにまで来てるのか。
 いわゆる良家で育ち、嫁ぎ先も医者の家系、筋金入りのお嬢様のばあちゃんが、あのタトゥーだらけのたっちゃんさんをここまで可愛がってるのが不思議だった。
「ばあちゃん、たっちゃんさんのこと怖くなかったの」
「実はね、最初は怖かったのよ。1年半くらい前かしらね、不動産屋さんから、うちの土地の隣の物件、新しいお店入りそうですよって言われて。気になって見に来たら、ちょうどたっちゃんが内見に来てたの。びっくりしたわよ、あぁんなに大きい人が、たくさん刺青入れてるから。おヤクザさんでも来るのかと思って気が気じゃなかったわよ」
 そりゃまぁ、そうだろうな。俺もビビり倒したから。
「そしたらね、たっちゃんが『すみません、びっくりしましたよね』って。『こういう格好してるけど、ヤクザとかじゃないんです。ここでタトゥー屋さんやりたいと思ってて。すごく良い物件だから、多分決めると思います。でも、お嫌だったら別の所探しますから、今度詳しく店の事説明させてもらえませんか?』って。怖いなぁって思ってた人が、とっても丁寧な言葉で挨拶してくれたから、またびっくりしちゃった」
 たっちゃんさんは後日、事業計画書を見せながら、こういう風にやっていきたい、資金の目途もちゃんとついている、等々説明したらしい。タトゥー入ってる人がお客さんとして来るけれど、絶対に反社の人は受け付けません、とも。
「おばあちゃん、たっちゃんのことすっかり好きになっちゃったの。お店開いてからも、いつも店の前を綺麗に掃除してるし、顔合わせたらニコニコ挨拶して世間話するし、重い荷物もさっと持ってくれるし」
 別にたっちゃんさんの店はばあちゃんの土地に建っているわけではなく、しっかり説明までする義理はたぶんない、と思う。自分がどう見られているか分かった上で、相手の気持ちを軽くするには、という所まで考えるという発想は俺にはない。他人からマイナスな印象を持たれたら、そいつとの交流は諦める一択だ。
 でも勝手に熱くプラスの印象を持たれた時にも交流を諦めた結果、ここに居るんだけど。
 風呂から上がって、たっちゃんさんにメッセージを送った。

“今日はありがとうございました。ばあちゃん、たっちゃんさんに家でご馳走しないとねって言ってました。あと、フェアアイルの件も、嬉しかったです。ちょっとやり方考えてみます”
“どういたしまして!ていうか文章堅いよ…もっと親しも?
おばーちゃんのご飯美味しいから楽しみ!編み物もね。めっちゃいいの編も”

 まだ堅かったか。

“堅いかな。ばあちゃんから、良質なたっちゃんさん上げエピソードが投下されて、好感度は上がってます”
“えっ嬉しい。おばーちゃんLOVE。
左胸に『TOKIE Forever』って彫ろうかな……“

 市原時枝、ばあちゃんの名前。

“勝手に人のばあちゃんに永遠誓うな”
“えーん怒られちゃった”

 無意識にタメ口になり、頬が緩んでた自分に気が付いて、何となくもう返信やめよ、と思った。
 一週間後、たっちゃんさんが手土産にケーキを持ってうちに来た。
「あらあら、レオがお世話になってるお礼にご馳走しようと思ったのに、かえって気を使わせちゃって」
「いいのいいの、俺が食べたかっただけだから」
 たっちゃんさんは、やっぱりちゃんと大人だった。
 ばあちゃんが作った唐揚げ・エビフライ・グラタンを平らげ、俺が「もうギブ」と半分残したグラタンも、えそれ貰っていい?と食べきった。
「たっちゃんいつも食べっぷりがいいから作り甲斐あるわぁ」
「おばーちゃんの料理何でもおいしいからさぁ、食べすぎちゃうよねー」
 俺よりよっぽどいい孫している。
「お風呂あがったら、デザートにケーキいただきましょうか」
 たっちゃんさんは「オッケー」と言いながら二階に上がり、自分の下着と寝間着を持ってきた。これ、めちゃくちゃ頻繁に来てる人の行動だ。
「たっちゃんさん、うちに服置いてるの……?」
「うん、おばーちゃんが二階の部屋使っていいよって言ってくれたから。あっ、ごめんごめんレオが一番風呂だよね!お先どうぞ」
 何だか俺が客みたいな気分になってきた。
 ケーキを食べた後、ばあちゃんは早々と寝て、俺とたっちゃんさんだけになった。
「ねー、フェアアイル会議しようよ」
 と言うので、俺の部屋に招き入れた。へー、と言いながらたっちゃんさんは部屋の真ん中に座った。
「ねぇ、あの絵誰が描いたの」
 壁に掛けてある額を指さす。それは、母親に送ってもらったものではなく、もともとばあちゃんちに飾ってある、俺が描いた牛頭骨のデッサン。
「俺です」
「えっ!めちゃくちゃ上手いじゃん。レオ絵も描けるんだ、クリエイティブー」
 昔から絵を描くのが好きで、中学では美術部に入っていた。高校では入らなかったけど。
「わぁ、本いっぱいあるね。本棚見ていいの」
「はぁどうぞ」
 へえーと言いながら端から見ていく。
「これ、どうしたの」
 たっちゃんさんは、「萩・下関・門司」のガイドブックを指差して言った。
「ああ、下関行きたくて」
 たっちゃんさんが、その表紙を見て黙り込む。
「何、ですか」
「……レオはさ、どうして行きたいなって、思った?」
 妙に真面目なトーンだ。俺からはその表情が見えない。
「いや、唐戸市場の寿司テレビで見て、うまそーとか思って」
 また、沈黙が少しつづいた。たっちゃんさんがこっちを振り返ったその顔は、微笑んでいた。
「ね、俺も一緒に行きたい」
「えー……や、まぁ、ダメじゃないけど、寿司食べたいんですか」
「いや、前からさ、行きたいって思ってたんだよね……関門海峡を渡りたくて」
 よく分からない理由だ。関門海峡ってそんなに引きがあるんだ。俺は、寿司のことしか考えていなかったからよく分からない。
「何で関門海峡?」
「何か、良くない?自分の足で海渡るって、ロマンじゃない?」
 自分の足で、という言葉に引っ掛かった。関門橋に、歩道でもあるんだろうか。海の照り返しで全身照り焼きみたいになりそうだ。たっちゃんさんが、ここ、と言って開いたページには、出口の見えない明るいトンネルの写真が載っていた。海上の関門橋とは別に、海底に歩いて渡れる「関門トンネル人道」というものがあるらしい。
 その歩道の色は、パキっとした黄色。
 唐突だけど、まぁ悪くはない。ひとりで寿司を食べる、不可能ではないが、誰かと美味しさを共有したい気持ちはある。
「じゃ、旅行行っても気まずくないくらい仲良くなったら、声掛けます」
「レオ、今気まずいと思ってんだね。正直で助かるよ……あ、本題忘れてたね。フェアアイル会議!」
 こんなにたっちゃんさんがやる気だとは思わなかった。でも、手伝うよと言ってもらったのに俺がぐずぐずするのもおかしい。編み図を広げて、うーんと二人で考え込み、色々案を出し合った結果、
「全体のテーマとベースの色を俺が決める」
「それに合わせて、俺の意向を聞きつつたっちゃんさんがアクセントになる色を選ぶ」
「毛糸に番号を振って、色名じゃなく番号で覚える」
「編み始めたら五段ずつたっちゃんさんがチェックして、間違いがないか確認する」
 という方法に落ち着いた。結論が出るころにはもう一時になっていた。それでもたっちゃんさんは元気に
「いやーどんなのが出来るか楽しみだね!」
とばあちゃんが起きかねないでかい声で言った。
 二週間後、たっちゃんさんの店の定休日に、国立にある毛糸屋に二人で出かけた。そこは、俺が買ってもらったベストのブランドJAMIESON'Sの作っている、フェアアイルに最適な毛糸を全色取り揃えている。入り口正面の壁の端から端まで、全てJAMIESON'Sの毛糸が埋め尽くす。たっちゃんさんが
「うわ、これ壮観…」
 と呟いた。俺には分からないけど、きっと「色の洪水」というやつなのだろう。
 事前に俺がざっくり決めたデザインは、ベースカラーは濃紺で、柄は明るめの緑を基調にしつつ、赤と黄色をアクセントに点々と配置したい、というものだった。せっかく目を借りられるのなら、特に見分けのつかない赤と緑をしっかり使ってみたいと思った。
「緑色と赤は、黄色と青どっちに寄せたいの?」
「えっと、緑は青寄りだけど深すぎない、彩度が高い緑で、赤は黄色寄りが良いかな」
「おっけ、じゃあこのへんかなぁ。この緑は、小学校で使うクレヨンに入ってるような、超オーソドックスな緑。赤は、けっこう黄み強めの、朱赤っていうか、日本的な赤みたいな」
 はっきりした色味を使いつつ、懐かしさも出したかったから、その印象は俺のイメージに合っている、と思った。
「あ、それと模様のベースにグレー欲しいです」
 グレーは分かるから、ここからここまでグレーだよ、ということだけ教えてもらって、ちょっと青みよりの薄めのグレーの毛糸を、自分で手に取った。
「これ、そこのテーブルに並べて、たっちゃんさん的にバランスどう思うか教えて下さい」
 並んだ毛糸玉達を見て、たっちゃんさんはうーんと考え込む。
「赤がそんなに面積広くなくて、ほんとにポチっと差し色程度ならまとまると思う」
 拡大コピーして持ってきた編み図を広げる。
「じゃ、この使う量が少ない色Cを赤にします。で、地の色の次に量が多いBをグレーに」
 そうやって色の割り振りをし、必要な量を確認しながら買った。
「ありがとうございました、編むの、楽しみです」
「いいえー。俺も楽しかったよ。デザイナーみたいで。ていうかさぁ、敬語じゃなくていいよ?俺達バディじゃん!」
 バディ。そうなんだろうか。俺が一方的に世話になる感じなんだけど。まあでも、敬語じゃなくていいよは採用しよう、と思った。
「休みの日に悪ぃな。まぁよろしく頼むわ」
「高低差すごっ。全然敬わないじゃん!」
 たっちゃんさんが爆笑して、俺もニヤっと笑った。

 カフェで働き始めて1ヶ月、俺は優しき常連さん方のおかげで一応スムーズに働いては居る。勤務中も髪は後ろでひとつに括り、私服のTシャツとジーンズを着ている。腰から下だけのエプロンを着けることで、ただのプラプラしている十六歳から、カフェの店員に変わる。
 働き始めた日から、ご婦人方はなぜか俺のことをよく知っていた。
「あらまぁ、レオ君たらこんなに大きくなったの」
「昔は女の子みたいに可愛いお坊ちゃんだったけどねぇ。イケメンだわー、毎日来ちゃおうかしら」
 ばあちゃんが、もう毎日来てるじゃない、と笑った。俺が、ご婦人方の編み間違いのフォローをすれば、
「あら、レオ君に編んでもらっちゃったー。印付けておこうかしら」
 なんて言われる。きゃあきゃあ言われるのは好きじゃないが、同世代の女子みたいな怖さというか、熱量はない。若干の安心感は、まぁなくはない。
 もう冬に片足突っ込んだなという寒い日の昼過ぎ、こんにちはぁ、と言ってたっちゃんさんが顔を出した。
「おばーちゃん、来週の水曜さ、レオにちょっと手伝って欲しいことがあるんだ。力仕事しなきゃいけないかもでさぁ」
「あら、うちはそんなに忙しくないし、いいわよ。レオ、大丈夫ね?」
 あ、うん、と答える。たっちゃんさんを見てご婦人たちが盛り上がり始めた。
「たっちゃん久しぶりねぇ」
「たっちゃんもお茶していきなさいよ。紅まどんな持ってきたから食べてちょうだいよ」
 たっちゃんさんは、いただきまぁすと言ってひと切れ口に入れる。
「甘ー!ゼリーみたい、すっごい美味しいー」
「でしょ、毎年愛媛の親戚が送ってくれるのよ」
「たっちゃん座って座って」
「ごめんなさい、この後予約あるんですよー」
 ばあちゃん同様、ご婦人たちもたっちゃんさんのタトゥーを物ともせず、孫のように可愛がっている。たっちゃんさんのこの感じ、おばあちゃん子なんだろうか。
 約束の日、俺は十四時前にたっちゃんさんの店に行った。たっちゃんさんの店には初めて入る。インダストリアル、って言うんだろうか。ホーロー製らしき黒いペンダントライトや、金属の脚のついた木のテーブルが醸し出す骨太な雰囲気は、たっちゃんさんのいかつい見た目によく似合う。でも、窓の近くの棚には所狭しと、海外製っぽい木の動物のおもちゃや、ソフビの怪獣たち、鉄道模型が飾ってあった。
「おもちゃ、好きなの」
「だねぇ。ちっちゃいころ、自分だけのって買って貰えなかったから、大人になってお金自由になると欲しくなっちゃって」
 この店のインテリアのバランスは、たっちゃんさんの雰囲気によく似ている。
 たっちゃんさんは、ラフで大らかに見えるけど、自分というものをよく分かっている。言葉が素直に出るのと同様に、自分の好きなものをそのまま選び取るタイプなんだな、と思った。
 予約の時間にやって来たのは、両足の膝から下の無い、ツンツンと髪を立てたショートヘアのお姉さんだった。リサさん、という名前だった。お友達がここの常連さんで、「腕がいいし初めて彫るならこの店がいいよ」と紹介してくれたらしい。
「入口段差あるから、ちょっと車椅子持ちますね」
 二人で両側から車椅子を持ち、そっと店の床に下ろした。
 その後も、人手が必要な場面があるかもということで、俺も店の中のイスに腰掛けて、カウンセリングする様子を眺めていた。
「よろしくお願いしまーす、たっちゃんって呼んで下さーい」
 これみんなに言ってんだ。リサさんも微妙に戸惑って笑っている。たっちゃんさんはお構いなしに続けた。
「えっと、事前に聞いていたのは、両太もも全体に入れたいと。で、モチーフは、左が金魚で、右がクジラ……ちなみに、何でこのモチーフがいいんですか?」
「んー……魚、足なくてもどこでも行けるじゃないですか。だから。まぁクジラって魚じゃないけど!」
 リサさんがニコっと笑った。
「あぁなるほど!じゃあ、絵柄、どんな雰囲気が良いとかあります?あと、メインの魚さんたちの周りに描いてほしい物とか」
「雰囲気は、ポップでちょっと毒々しくて。あの、普段描かれてる図案とは系統違うと思うんですけど、アニメ的っていうか……全然リアルじゃないやつが良いです。周りはなぁ…うーん、ファンタジーぽいって言うかぁ……あー!全然まとまってなくてごめんなさい!」
「いやいや、大丈夫、一緒に考えていきましょー、ってでも、俺アニメとか良く知らないんですよねぇ…」
 それに、たっちゃんさんがいつも彫ってるデザインは、結構クールな感じだったり、いかつかったり、あるいは写実的だったりと、ポップでアニメ的、とはだいぶかけ離れていた。二人ともうーん……と考え込んでしまって、若干膠着状態だなぁと思った。
「あの、好きなアニメ、ありますか」
 我慢できなくて、俺は聞いてしまった。
「えっ、あ、えっと……メジャーどころだと、まどマギ、とか?」
「ま?まど、まぎ?」
 たっちゃんさんがポカンとしている。
「「まどか☆マギカ」」
俺とリサさんがハモった。
「へ―君知ってるんだ、世代じゃないでしょ」
「いやぁ、流石に有名すぎるから」
『魔法少女まどか☆マギカ』は、俺が保育園児くらいの頃に放送された超人気アニメで、何回か映画化もされている。絵柄は、びっくりするぐらい大きい目が特徴的。
「まどマギっぽい感じだったら……」
 たっちゃんさんの方をちらっと見る。
「あ、レオ何か描く?どうぞ」
 本職の前で申し訳ないと思ったけど、紙と鉛筆を借り、顔の三分の二を目が占めるような金魚を描いた。まどマギの絵柄だと、アニメ的だけどポップさはちょっと足りないから、目の中に星をいっぱい入れて、まつ毛もぱっちりと生やし、唇を強調する。
「えーかわいい!こんな感じこんな感じ!」
「すごい、レオよくこんなのサッと描けるね!これに合わせるなら、周りどんな柄が良いかな?」
「ファンタジーっぽく、ですよね?えっと……じゃあ、不思議の国のアリスみたいなのとか?ベニテングダケとか、イモムシとか、可愛いけど毒々しい」
「いいかもいいかも!」
 金魚よりはラフにだけど、丸っこいベニテングダケとその上にイモムシ、ティーセットやトランプをごちゃっと描いていく。
「わーすごい!イメージ通り、ってイメージ超あやふやだったけど」
「右脚は、たっちゃんさんにバトンタッチ」
「えーすごいなぁ、こんなの見たことないわ俺。えどうしよ、クジラは金魚みたく目ぱっちりキラキラにするとして、左脚の背景がファンタジー系だから、右はいっそ現実の街並みとか?街の中どんどん進んでく感じ」
「あっそれいいー!」
「好きな街ってあります?」
「んー、中野とか。ていうか、中野ブロードウェイ」
 たっちゃんさんがまたハテナの顔になった。
「えっ、中野ブロードウェイって何?」
「あのー、漫画とかアニメのグッズ売ってたりするんですけど」
「サブカルのデパートみたいな商業施設」
「へぇ、漫画とかの他には何があるの?」
「「なんでもある」」
 また俺とリサさんがハモった。
「ほんと、何でもあります。同人誌とかフィギュアはもちろんだけど、アイドルのポスターとか写真とか」
「時計屋とか、アンティークのぬいぐるみとか、切手とかもある」
「ご飯も食べられるし!」
「へえ……なんか情報量多くて逆に想像つかないかも。これいっぺん行ってみないとだなぁ」
「あー、いいなぁ……」
 リサさんが言った。たっちゃんさんが、最近行ってないんですか?と聞くと、
「車ぶつけられて、脚なくなっちゃってから、行ってないですね。もう二年かな。ブロードウェイ、車椅子だと厳しそうだから」
 確かに、中野ブロードウェイはメインの通路は広いしエレベーターもあるけれど、各店舗内は通路が狭い所もある。それにプレミア物のフィギュアなんかもザラにあるから、ちょっとぶつかっただけで大事になりかねない。なかなか勇気は出ないかもしれない。
 俺が「あーそうですよねぇ」と応えながらたっちゃんさんを見ると、たっちゃんさんは「車、ぶつけられて、ですか」とぽつりと言って、どこか見てるけどどこも見てない、みたいな目をしていた。
「ね、たっちゃんさん!」
 俺が大きめの声を出すと、ビクッと肩を上げた。
「あーゴメン、ぼーっとしちゃってた。何?」
「一緒に行けばいいんじゃない?中野ブロードウェイ」
「え?誰が誰と?」
「や、だから、リサさんと俺らと、三人で行けばいいじゃん」
「えっ」
「ちょっ、それは申し訳ないです!」
 大人二人は困惑している。
「でもさ、リサさん行きたいでしょ久々に。それにリサさん居ないと、リサさんの好きな店とか分かんないよ?」
「まぁ……正直、行けたら嬉しいし、男の人二人もついてたら心強いですけど…」
 たっちゃんさんは、うーん……としばらく考え込んではいたが、
「おっけ、行こう!行きましょ!三人で!できれば、うちの定休日の月曜が良いんですけど、お仕事ありますよね?」
「いやいや、全然休み取ります!行けるなら」
「え、いいんですか?ほんと大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫、有休溜まってますし!」
 話がまとまった、というかまとめた。翌週の月曜に行こう、という話になった。
「ちなみに、二人が言ってた、まどまぎ?って、面白いの?」
「めっちゃ面白い」
「絶対観るべき」
「今からまどマギ初視聴できるの羨ましい」
「とにかく三話までは観て」
「俺ブルーレイ持ってるから貸す」
 俺とリサさんに圧倒され、たっちゃんさんは「お、おっけー……」 と呟いた。
 リサさんを見送った後、たっちゃんさんは
「レオ、アニメとかサブカル詳しいんだね。今日すっごい喋ったじゃん」
 と言った。好きな物のことだけノリよく喋る、俺の良くない所が出た。まぁね、と小さく言う。
「俺じゃ描けないよ、あれは。見たこともないものができそうだわ、ありがと。ありがとなんだけど。……お客さんと出かけようとか気軽にいわないでえー!」
「え、なんで」
「や、だって今日会ったばっかで、その場のノリでさぁ」
「俺とは会ったばっかなのに高円寺行って、その場のノリでニット編む約束までしたけど。なんで俺ならOKでお客さんだとダメなの」
「いや、それは、他のお客さんにも同じようには出来ないし、してないし……」
「へー、お客さんそれぞれ要望とか事情違うのに、対応は一律なの」
「で、でも、同じお金払ってもらってるのに」
「じゃあ、デザイン料に上乗せさせてくださいとか言えば良かったんじゃない?俺ボランティアでとは言ってないけど」
 たっちゃんさんが、眉間に皺を寄せてハァーっと長めのため息を吐いた。こういう顔を見るのは初めてだ。でも、俺は、リサさんと会ってリサさんの希望要望を聞いた結果、こうするのが最善だと思った。
「出過ぎた真似したのは謝る。ごめんなさい。でも、リサさんの脚に一生残すんだよ?事故から守り切った太ももに。リサさんが一番いいって思える形にしたいじゃん」
「うん……まあ、レオの言う通りではある。商売的な考えは一旦置いておいたら、その通りだとは思うよ。それに、楽しそうでもある。だいたい、中野ブロードウェイのタトゥーなんて、誰も見たことないと思う。一生で一回しか作らない図案だろうし、ちゃんと納得いくものにはしたいね」
 ていうか、もう約束したからねー、と言ったたっちゃんさんの眉間に、もう皺はなかった。
「でもほんと、こういうことは俺に決めさせてよ!俺店長さんだよ!」
「最終決定したのはたっちゃんさんだったと思うけど、わかりました」
 たっちゃんさんは、イーッと言って目をぎゅっと瞑った。
「レオが考えた図案だから」と言って、たっちゃんさんは、左足の図案は仕上げまで俺にやらせてくれた。こういうポップな物をしっかり描くのも久しぶりで気合い入れて描いた結果、普段のたっちゃんさんの画風と真逆になった。これ、右脚描きづらいかなと不安になって、恐る恐るたっちゃんさんに見せた。
「おお、すごい!やっぱ俺じゃ絶対描けないやつ!めちゃくちゃいいよ、ありがとう。右脚、この画風真似しちゃうけど大丈夫?」
「いや、もちろん。やりづらいかもだけど」
「全然、思い切ってやってみるわ」
 たっちゃんさんの笑顔を見て、俺はずいぶん緊張していたということに気付いた。自分の描いた絵を、誰かに気に入ってもらえるだろうかという視点で見るのは、初めてかもしれない。そもそも、誰かの希望を聞いて描くことも。彫り師を一生の仕事にするんだったら、彫る腕がいいだけじゃなく、相手の気持ちを汲み取れなきゃやっていられないだろう。
 
 月曜日は、あいにくの曇天で、今にも雨が降り出しそうな様子だった。
 中野駅北口、商店街の入り口でリサさんと落ち合って、どんどん奥に進んでいく。
「わー懐かしいー!どきどきしてきたぁ!」
 リサさんが子供みたいにはしゃいでいて、俺まで嬉しくなる。あの中野ブロードウェイのシンボルともいえる、真っ赤な入り口が見えた。いや、俺には色は分からないけれど、知識として知ってはいるから、これは赤。
「おお、何か入り口から圧がすごい…」
 たっちゃんさんが、カシャと写真を撮った。
 事前に調べていた通り、エレベーターに向かう。一旦四階まで行って、それから降りてくることにした。たっちゃんさんもテンション上がって
「リサさん、行きたいお店どこですか?どこまでもお供しますよっ」
 とか言っている。
「行きたいお店すっごいあるけど、コスプレ衣装の店と、アイドルのカードとかの店と、映画のポスターとかの店と、フィギュアの店は絶対!」
「え、リサさんコスプレやるの?」
「やらないけど、見てるだけで楽しいんです」
 リサさんの希望のお店をあっちこっち回りつつ、みんながここ気になるねとなった店や、俺が行きたかった同人誌や自主制作本の店にも寄った。
「へー、同人誌って二次創作とかだけじゃないんだ」
「手芸のレシピだったり、小物の編み図が載ってる季刊誌があって、まとめて買ったりするんです」
 たっちゃんさんは、鉄道模型や鉄道グッズの店に釘付けになっていた。一万円弱の蒸気機関車の模型を買っていた。店の棚のおもちゃコレクションに加わるんだろう。
 狭い店内で、俺とたっちゃんさんが周りを確認しつつ、時に車椅子を押したりして、じっくり商品を見ることが出来た。人とすれ違う時のバックも、三人でなら余裕だった。この機会がなければ、リサさんがここに来るのはずいぶん先だったかもしれない。たっちゃんさんの仕事に口出ししてしまったけれど、俺はひとつも後悔していない。
 昼時を少し外して、レトロというか古いままと言うか、な喫茶店に入った。
「私ここのナポリタンが大っ好きで。めちゃめちゃ食べたかったんです」
 椅子を一脚どけてもらえれば、難なく席に着くことが出来た。こうやって、「できる」を確認することがきっと大事なんだ、と思った。
「じゃあ俺もナポリタン、大盛りにしてもらお」
 たっちゃんさんがリサさんに続く。俺は、目玉焼きを乗せたカレーライスにした。想像通りかつ期待通りの味で、みんな「これこれ~」と言いながら貪った。
 遊び尽くした一日が終わり、みんなくたくたで、でも興奮冷めやらぬって顔で、中野駅の改札で別れた。
「レオ、ありがと。絶対リサさんと行くべきだった。リサさんの、タトゥーへの気持ちが全然違ったと思う。いいもの作れるように頑張るわ」
「ううん。俺すごい楽しみ。どんなのが出来るか、想像つかない。図案、見せて」
 三日後、たっちゃんさんのデザインが出来上がった。金魚よりも優しくつぶらな瞳のクジラは、青色ベースで、背中の部分からピンクのグラデーションを入れたらしい。クジラが中野ブロードウェイの赤い入り口を通り抜ける、その周りには、ガチャガチャあり、アイドルのチェキあり、テディベアあり、寅さんっぽい男性が描かれた映画のポスターあり。おもちゃ箱みたいな、中野ブロードウェイのカオスをそのまま濃縮したような、わくわくする図案だった。
「うわ、これリサさん絶対喜ぶよ」
「いいかな、大丈夫かなぁ」
「絶対大丈夫。早くメールしなよ」
 図案のデータを見たリサさんから
「最高、最高、最高。これが私の脚に彫られて、毎日眺められるなんて幸せです!」
 と返信があり、俺とたっちゃんさんはお互いの功績をたたえて、手が痛くなるようなハイタッチをした。
 完成したリサさんのタトゥーの写真が、たっちゃんさんのお店のインスタに掲載された。物凄くバズる、とかはないけれど、普段とは違うタイプのアカウントからたくさんいいねが付いたらしい。たっちゃんさんは、
「俺も、店も、デザインとかお客さんの幅広がったよ。リサさんとレオに感謝だよ」
 そう言いながら、引き出しから封筒を取り出した。
「これ、デザイン料。お疲れ様、ありがとうございました」
「えっ、俺、そんな大したことしてないし…」
「何言ってんの。おっきな目の金魚とか、アリスとか、あんなの俺じゃ思いつかないよ?それに、クリエイティブ職はちゃんと対価貰わなきゃ。あれは、レオの仕事だよ」
 何だかくすぐったいけれど、母親やばあちゃんから貰う小遣いとは全く違うお金を貰い、ちょっと俺は大人になったような気がした。
「レオはさ、写実的なデッサンも上手いけど、イラストも上手いし、レオにしかないオリジナリティがあるよ。将来レオが有名になったら、俺にも絵売ってね」
 たっちゃんさん、俺が絵やデザインで有名になる日なんか来ないよ。今はたっちゃんさんの力を借りてお客さんの要望に応えられたけど、一人だと、クライアントの要望に叶う色の絵はきっと描けないから。でも、そんなこと一切気にせず、俺の絵を気に入ってくれたのが何だかうれしかった。結果、こんな言葉が口を突いた。
「別に、今描くけど」
 うわ、偉そうだなと思って、慌てて
「有名になることなんかないし」
 と付け加えた。たっちゃんさんはそんな俺の取り繕いなんて意に介さず
「いいの?嬉しいー!店に飾っちゃおうかなー」
 とウキウキし始めた。
「じゃ、たっちゃんさんの顔描くわ」
「それ嬉しいけど絶対店に飾れないやつじゃん!」
 その通りだ。飾ったりなんてされたら、恥ずかしくて二度とこの店には入れない。
「コピー用紙とかある?」
「ええ、そんなんでいいの?デジタルで描いてよせっかくだし」
「紙の方が好きなんだ。あと、鉛筆」
 窓から差し込む西日が、たっちゃんさんの顔の左半分に大きな影を作る。その分陰影が表現しやすい。
 たっちゃんさんは、背が高いだけあって、ごつくはないが全体に骨格がしっかり感じられる顔立ちをしている。額が丸くないところや、鼻筋が通っているけれどやや太めなところが男性らしさに繋がっている。それと対照的に、目は少し垂れて、優しげな印象だ。一番特徴的なのは、薄い唇の口角がきゅっと上がり、自然にしているだけで微笑んでいるように見えることだ。この口元が、無邪気な性格にマッチしている。
 写実的ではあるが、あえてしっかりとは描き込まず、十五分くらいであっさりと描いた。できましたよ、と言って渡すと、たっちゃんさんは片手を自分の頬に当てて、うわぁ……と言った。
「それは、何のうわぁだよ」
「いや、すっごい良いけど自分の顔の絵ってすっごい恥ずかしいんだなって思って」
 まぁ、でしょうね。描きながら散々あなたのことを分析したからね、と思ったが言わない。
「でもでも、ほんとすごい良い絵だ。初めて描いてもらうのがレオでよかった」
 こんなに喜んでもらえるなんて、思いもしなかった。たっちゃんさんは恥ずかしがったけど、俺だって何か恥ずかしい。
「俺もいつかレオ描こっかな、お返しに」
「え、ヤダ。何か鉄球でキャッチボールしてるみたい」
「嘘っ、俺全然軽々と受け取っちゃったんだけど?! 強肩目指して鍛えよっかな……」

 あれからしばらくして、リサさんからたっちゃんさんに
「今度は一人で行ってきました!おふたりと行かなかったら、きっと勇気が出なかったと思います。魚たちみたいに、私もずんずん進んでいきます!」
と、多分真っ赤だろうナポリタンの画像を添えたメールが来た。俺とたっちゃんさんは、今度は静かに笑って握手した。




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