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針を置いたらあの海へ 第10話(終)



 羽田空港の出発ロビーで、俺は、ポーン、ポーンという音を聴いていた。この音聴くと、あぁ空港にいるなぁ、って気持ちになる。でも、これってどういう意味がある音なんだろう。多分調べれば分かるんだけど、こういう疑問って、ネットのブラウザ立ち上げた瞬間に忘れちゃうんだよねぇ、なんて考えながら、左の席を見た。
 「同行者」は、離陸前どころか、出発ロビーのベンチの時点で寝てる。昨日は遅くまで、大学の友達と遊んでたらしい。旅行前はしっかり休んでよって思うけれど、楽しそうだし、まぁ、いいか。
 今、俺が荷物全部持ってトイレや売店に行って、この席を空けている時に目を覚ましたら、どんな顔するだろう。ちょっと見てみたいな。でも、そういうことすると、新千歳空港どころか、札幌駅辺りまで口をきいてくれなさそうだからやめておく。
 下関に経つ朝、この辺りのベンチに座って、こそこそ大きいおにぎり食べたなぁ、と懐かしくなった。懐かしむついでに、SNSで #関門トンネル  を検索してみて、驚いた。あの、たくさんのクジラで彩られたエレベーターは、この二年の間に何があったか分からないけれど、無機質な銀色の扉になっていた。クジラさんたちのおかげで、あの時のちょっと重い空気が晴れて、助かったんだけどな。クジラさんたち、海に帰って行ったんだろうか。約三十頭が一気に放たれたら、関門海峡は大混雑だったんだろうなぁ、なんて考えると、ちょっと可笑しくなる。
 緩んだ顔で前を見ると、若いママさんの背中越しに、一歳か二歳か、くらいの小さな男の子と目が合った。笑って小さく手を振ると、男の子もニコッと笑ってくれる。人懐っこいな、嬉しいなと思っていたら、振り返ったお母さんが俺を見て、そっと男の子を前に抱き直した。
 そうなるよねぇ、分かりますよと思うし、慣れてはいる。でも、毎度ちょっと寂しくなる。まぁ、初対面の時の警戒ぶりはこれの比じゃなかった人が、もう三年も隣に居て、無防備に寝ているんだから、人って分からない。警戒されまくったあの時も、やっぱり寂しかったけれど。
 彼は大学に入って早々、新歓の時「彼女いるの?」と聞かれ、「彼女は居ないが彼氏は居る」と返したらしい。
「今どき珍しくもないだろ」
「妙に喜んでる女子もいたぞ。それもよく分からんけど」
「大学生にもなって他人の恋愛にどうこう言うやつの方がヤバいだろ」
 と言っていた。珍しくないのは今どきだけじゃないし、後段も「その通りですね」って思うけど、俺には多分できない。そりゃあ、世代が違うし、世の中も俺が十九の時とは違う。でも、俺が同じ年に生まれていたとしても、多分できないと思う。俺とは、やっぱり全然違うなぁと思わされる。

 下関で花火を見ていた時、俺はただただ綺麗だな、楽しいなと思って、「すごいねぇ」と言いたくて右を向いた。彼は、静かに涙を溢していた。その時にも、俺たちは別の人間だ、と思った。それが嬉しかったんだ。
 ちょっとだけ似たような道を辿って、同じものを見て感動しているんだけど、その心の揺れ方や表れ方は全然違う。それでも、心を許して、隣で素直に涙を溢してくれる。違う人間だからこそ、二人で並ぶことが出来る。十九歳から九年間の苦しみと後悔と償いと、その先にあった嬉しさと。この人生は、もしかしたら悪くないのかもしれない、そう思ったことを覚えている。
 あの旅行から帰って、兄弟子に彫ってもらった鳥のグラデーションは、まだちっとも色褪せる気配がない。お花に囲まれた、綺麗な色の鳥さん。いよいよ左腕だけ可愛いけど、まぁ俺可愛いもの好きですから、と開き直って店を出たっけ。
 「札幌・小樽」のガイドブックを開いた。旅行の時は、ちゃんとガイドブックを買った方がいい。ネットで情報見つかるけどさ、ブラウザいくつも立ち上げて小さい画面で見てると、何が何だか分からなくなってくるし、電池も消費する。
 何より、俺はここに行くんだ、行こうとしたんだ、行ったんだ、その証になるから。
 久しぶりに旅行でも行きますか、という話になり、門司では頑として焼きカレー食べさせてくれなかった人が、「スープカレー食ってみたい」と言い出したから、行先は札幌になった。もちろん、寿司も食べる。北海道は回るお寿司屋さんもかなり美味しいと聞くから、楽しみにしている。
 出発ロビーなのに、隣の人が鼾をかき始めそうな気配がしている。そうやって顎上げて寝るから鼾かくんですよ、と思いながら、後頭部を少し持ち上げて、顔を下に向かせてやる。俺も随分、鼾の対応が上手くなったもんだ。この先のことは分からない。でも、きっと短い付き合いにはしないだろうから。俺は、快適な睡眠環境を確保する術を身に付けたんだ。
 定刻の三十五分前になった。もう少し寝かせてあげたいところだけど、保安検査場が混みそうだ。俺は
「レオ、行こうか」
 と、声をかけ、軽く肩を叩いた。


 end.



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