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「俺みたいなんがおるってことが」

私が書く理由は、ほぼ無いに等しい。
強いて言うなら、楽しいから、というとても陳腐な理由はある。

同量の砂糖と薄力粉と卵とバターを混ぜて完璧なカトルカールを作ること。
新宿オカダヤで最適解と言える毛糸を買い込み、一目も誤ることなくカーディガンを編むこと。
服地屋のCheck & Stripeで今月分のカートオープンを待ち、選び抜いたハリのある青地に白のストライプ生地で、パフスリーブブラウスを仕立てること。
こうした、いくつかの趣味と同一線上に、書くことが存在する。
全て、成果物よりも制作過程を楽しむものだ。

執筆、特に小説においてその程度が強い。
まずキャラクターを産む。彼らを好きになる。頭の箱庭で遊ばせる。それを指から出力する。言うなれば、脳内お人形遊びのようなものだ。
シンプルすぎる言い方だが、「物語が積み上がっていくのが楽しい」、それだけだ。
伝えたいテーマは、書いた後に見えてくる。

要は、書くことは自分の娯楽であり、それによって誰かの何かを変えたい、という思いが基本的にはない、ということだ。

だが、たった一度だけ、それが覆されたことがある。

2024.2.18、夫が「オードリーのオールナイトニッポンin 東京ドーム」のプラチナチケットを当て、九州の片田舎からはるばる上京し参戦してきた。
そこに至るまでの夫の青春と、今の私たちの暮らしを絡めて、私のオタ活アカウントでひとつのエッセイ――と言うには非常に軽いノリの記事を書いた。

バズ、と言うほどではないが、そこそこの人数の目に留まった。

スキをくれるnoteユーザーのその中に、「石井玄」「飯塚大悟」両人が居た。
石井玄氏は、オードリーのオールナイトニッポンの元ディレクターである。
飯塚大悟氏は、オードリーのオールナイトニッポンの現構成作家である。
共に、チーム付け焼き刃(オードリーのオールナイトニッポンスタッフ陣の総称)である。

「りょうちゃん。やばい。石井ちゃんと飯塚さんからスキきた」

え、まじ?と言った夫は、そう大袈裟には驚いていなかった。
私の方が、100倍動揺していた。

チーム付け焼き刃はローラー作戦的に、オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム関連記事にスキやいいねを付けて回っているのかと訝しんだが、違った。
両人とも、少なくとも「in東京ドーム」に関しては、一般人の記事をスキしてはいない。
かつ、石井ちゃんも飯塚さんも、だいたい同じタイミングでスキをくれたのである。
こういった情報を夫にしどろもどろで伝えると、夫が冗談めかした様子で言った。

「これ、チーム付け焼き刃の間で共有されてるんやん?」

その声は、いつものこもった喋りよりも幾分張りがある。

当該記事冒頭で私はこう書いていた。

前置き。
この記事を目にしてるかもしれない夫へ。
お察しの通りこれはあなたの話で、これを書いているのは私です。
悪口は書いてないけど、読まれたくはないので、さっさとブラウザバックするかアプリ落としなさい。
長旅お疲れ様。

フリでも何でもなく、いや若干狙ってはいたけれど、本心から、夫に読まれたくは無いと思っていた。
彼の人生を勝手に切り売りしているような後ろめたさがあったからだ。
しかし、こういう事態になったからには、是非とも読んでもらいたい……と逡巡していたら、

「ねえ、明らかにいっちゃんの書いた記事っぽいの流れてきたけど」

と夫が笑って言った。
私は、LINEで夫に記事のリンクを送った。
目の前で読まれるのはさすがにしんどい。各自何でもない顔で、距離を取りながらスマホを弄りながら、歯磨きをした。
夫が歯磨き粉の泡を吐き出し、うがいをする。いつも通り丹念にする。

電気を消したキッチンは、続き間のリビングのLEDのお陰で薄明るい。
電気ケトルが白く湯気を吹く。カチリ、と音を立てて、電源が切れた。
麦茶のパックを入れたボトルに湯を注ぎ終えた夫は

「俺みたいなんがおるってことが、付け焼き刃に届いたんやなぁ」

と、ぽつりと言った。

人間こういう時、泣いたりしないものだ。
そう、人間簡単に泣かないんだから、小説でも登場人物を簡単に泣かすなよ、私よ。

付き合って最初のデートで4時間聴かされたオードリーANN。
週末車でどこかに行くなら必ず聴いていたオードリーANN。
県庁所在地にある新しい産婦人科に通院する時。
安定期に「向こう20年は2人きりの旅行はないだろう」と言って近県を訪れた時。
実家からアパートに娘を連れて帰る時。
なお、2人目の娘の陣痛が来た時には、三四郎のオールナイトニッポンを聴いていた。

もう、夫の人生の三分の一以上の期間、オードリーANNが傍にある。
それでいて夫は、オードリーANN好きであることを、家族友人知人の誰にも、私以外の誰にも話したことがない。

でも、石井ちゃんが、飯塚さんが、チーム付け焼き刃が知っている。

夫みたいなんがおるってことが、
夫みたいな奥ゆかしくてでも愛に溢れてて、一途に一つの番組を聴き続けて、それで人生を繋いでいった奴が、この海辺の片田舎におるってことが。
私の文章で、付け焼き刃に届いた。

私の書く文章で、意味があるものなど、後にも先にも、きっとあれ以外はないだろう。

私が書く理由は、後付けで、しかもあの件においてのみ適用されるが、
「夫みたいなんがおることを伝えたい」
だと、そういうことにしたい。


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