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ニンジャ読書感想「私の愛した主人公」

前書き


 この記事は、ダイハードテイルズ様が主催されたイベント、『ニンジャソン夏』への参加作品として書いた読書感想文です。
 対象の作品は、ニンジャスレイヤー第一部のエピソード、『アット・ザ・トリーズナーズヴィル』です。


本文

 私が読書感想文を書くために選んだ作品は、「アット・ザ・トリーズナーズヴィル」です。この作品は、私にニンジャスレイヤーを追い続けようと決意させたものであり、物語の主人公、フジキド・ケンジを深く印象付けました。

 時系列は第一部、全体を通しても初期の作品に当たり、フジキドが亡き恩師の孫娘であるユカノが身を置く革命組織「イッキ・ウチコワシ」を見極めるべく、彼等の活動に携わるという展開ですが、この話で私が何より衝撃を受けたのは、フジキドがフリックショットを殺害するシーンです。

 フジキドが、ブルジョワなら子どもすら殺そうとするウチコワシの邪悪さを目の当たりにし、敵対の末にウチコワシのエージェントであるフリックショットを打ち負かして素手で絞め殺す。凄まじい場面ですが、その時のフジキドはとても苦しそうに独白を漏らすのです。
 「感傷こそが、人を人たらしめるものだ」、「感傷こそが、殺戮者を人たらしめる最後の」、最後まで言葉を紡げないほどに、激しい苦悩が滲み出る言葉です。

 私怨のためだけに暴力を振るう、思想なき無意味な殺戮。フリックショットは、フジキドの行動をそう詰りました。それを、フジキド自身も紛れもない事実と認めます。しかし、その上で感傷を捨てず、残された人間性を己の最後の拠り所とし、自らの身勝手さに打ちのめされながら、それでもフジキドはフリックショットの命を奪うのです。

 物語の主人公が、利己的に他者の命を奪う存在である、そのような作品は恐らくは万人受けしないでしょう。読者に共感され、エンターテイメントの世界で現実の辛さを打ち砕き、困難に立ち向かっていく、魅力溢れる存在。それが多くの場合の主人公というものです。

 フジキドは、そういったタイプの主人公ではありません。身勝手に命を奪い、自分のためだけに力を振るいます。ですが、それだけではないのです。彼の中には、無数の葛藤があり、確かな感情があり、人間性があり、迷い、苦しみ、それでも突き進んでいくのです。

 そんな彼が、行動の結果として人の命を救っても、感謝されないことも多いです。フリックショットが殺そうとしていた幼稚園の園児や職員たちも、単なる襲撃者の仲間割れと考え、逃げていきます。
 フジキドは、そんなことにいちいちショックなど受けません。彼は、自分が無慈悲な殺戮者だと自覚しているからです。それでも、彼は戦うことをやめません。それが彼の決めたことであり、選んだ道だからです。

 私は、彼に惚れ込みました。何て苦しそうに敵を殺す主人公なのだろう。迷い続けながら、それでも戦いの中に身を投じる意思の何て硬いことだろう。フリックショットの首を情け容赦なく締め上げるその手の、何て力強く、それでいて苦悩に満ちていることだろう。その苦しみを知った上で、繰り広げられる彼と強敵たちの極限の戦いの、何て美しいことだろう。

 フジキド・ケンジという男の、人間性と苦悩、その果ての戦い。違う立場に身を置く者同士が掲げる、それぞれの身勝手なエゴのぶつかり合いが生み出す輝き。「ニンジャスレイヤー」という作品の骨子、その一側面が「アット・ザ・トリーズナーズヴィル」には、ぐっと凝縮されているのです。

 「ニンジャスレイヤー」は群像劇であり、フジキド以外にも多くの人物が登場し、それぞれの物語を紡いでいきます。連載が第四部に入った現在では、主人公はマスラダ・カイにバトンタッチされ、フジキドは裏の主人公といった存在に回りました。

 しかし、それでも彼の放つ意思の輝き、作中でいうカラテの強さ、美しさは私を魅了して止みません。またフジキドに会える機会を求めて、私は何度でも「ニンジャスレイヤー」の世界に入り込んでいくのです。

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