『価値』と『評価』について
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こんにちは。週一コラムをいつもご覧いただきありがとうございます。
S.C.P. Japanの井上です。『評価』するのも、されるのも苦手な私ですが、今回はその『評価』というものや『価値』について考えてみました。
是非最後まで読んでいただけると嬉しいです。
ブータンのユニークな価値の評価基準
ブータンは世界一幸福な国で有名です。その理由の1つにGNH(国民総幸福量)があります。
「GNHはGDP(国内総生産)より重要だ」とブータンの前代国王が発言した通り、ブータンは国づくりの柱としてGNHを掲げています。国の経済力を示すGDPに基づいてではなく、GNHを指標として国民の生活への充足度を高める社会づくりを目指しているのです。世界中の最も多くの国がその国の発展や価値を経済力の観点からGDPで測るのに対し、なぜブータンは独自の指標を設けたのでしょうか。
それはGDPでは測れないことこそ、真に価値あるものだとする国の信念があるからです。
GDPでは測れないものの価値について、元アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの実弟ロバート・F・ケネディがかつての演説で以下のように述べています。
“私たちはもうずっと前から、個人の優秀さや共同体の価値を、単なるモノの量で測るようになってしまった。この国のGDPは、8000億ドルを越えた。しかし、もしGDPでアメリカ合衆国の価値を測るのなら、GDPには、大気汚染や、たばこの広告や、交通事故で出動する救急車も含まれている。GDPには、ナパーム弾や核弾頭、街でおきた暴動を鎮圧するための、武装した警察の車両も含まれている。GDPには、玄関の特殊な鍵、囚人をかこう牢屋、森林の破壊、都市の無秩序な拡大による大自然の喪失も含まれている。GDPには、ライフルやナイフ、子どもにおもちゃを売るために暴力を美化するテレビ番組も含まれている。一方、GDPには、子どもたちの健康や教育の質、遊ぶ喜びは入っていない。GDPには、詩の美しさや夫婦の絆の強さ、公の議論の知性や、公務員の高潔さは入っていない。GDPには、私たちの機転や勇気も、知恵や学びも、思いやりや国への献身も、入っていない。つまり、GDPは、私たちの人生を意味あるものにしてくれるものを、何も測ることはできないのだ。”
※当時はGNPという言葉を使っていましたが、GDPに置き換えて記載しております。
【本人肉声】
【英語原文】
GDPのような指標で測れば、ブータンは幸せな国とはいえないかもしれません。インフラは十分に整ってはいないし、物やサービスの量や質だって先進国に比べたら劣っていると言わざるを得ません。しかし、人々の主観的幸せ、例えば人と人との繋がりや、自然との調和、国や自分達を誇りに思う気持ち、個々人の幸福感など、そういった目には見えないものを測ろうとするGNHという指標であれば、別の答えがでてきます。ブータンを幸せの国と信じて止まない人もいれば、そうでない人もいるのは、両者の評価基準が違うからなのです。
すなわち、価値というものはその評価の仕方で全く異なってくるようです。
評価社会を生きる私達
私達は評価社会を生きていると言えるでしょう。会社でも学校でも、家庭でも、そこにはそれぞれの評価基準があり、常に私たちは評価されます。そういった私達を取り巻く評価の基準は、嫌でも私達個々の生き方や考え方に影響を与えます。
『彼女は優秀ですよ!』
『あの子は使えないよね。』
『誰か良い子紹介して?』
『あいつは、ダメなやつ。』
こういう他愛もない会話の中にある、なんてことのないやり取りが私はとても苦手です。
誰の何目線で一人の人をそう簡単に評価できるというんでしょうか?
それでもこれらの言葉に影響を受けてしまうことがあります。
一方で、評価しなければならない局面は仕事においては多々あります。
仕事の成果は?得られた利益は?損失は?それらに見合う報酬は?組織の、或いは社会の評価基準を理解して、その基準に基づく行動規範をまとって生きていくことも大切なのでしょう。それでこそ立派な大人というものなのかもしれません。
しかし、いくら立派な大人的なものになれたって、その評価で測られる『価値』について納得がいっていなければいずれは苦しくなる、
そんなこと分かっているのに、外部の評価に縛られてしまうのはなぜだろうと不思議に思います。
そもそも評価の対象となる『価値』とは何なんでしょうか?
価値の明確化理論(L.E.ラス、S.B.サイモン、M.ハーミン、H.カーシェンバウム)
価値の明確化理論でいう価値とは?
それは与えられたり、教えられたりするものではなく、以下のような5つの過程を歩みながら価値付け(valuing)されたものであると捉えられます。
①思考
⑴ 様々なレベルでの思考
⑵ 批判的思考
⑶ より高いレベルでの道徳的推論
⑷ 発散的、創造的思考
②感じること
⑴ 尊重し、大切にする
⑵ 自分自身のよさを感じる
⑶ 自分の感情に気づく
③選択すること
⑴ 複数の選択肢から
⑵ 結果を考慮すること
⑶ 自由に
⑷ 達成計画を立てる
④コミュニケートすること
⑴ はっきりとしたメッセージを送る能力
⑵ 共感-傾聴すること、他者の参照の枠組みを用いること
⑶ 葛藤の解決
⑤行為すること
⑴ 繰り返して
⑵ 一貫して
⑶ 私たちが行為する区域内で巧みに行為すること(コンピテンス)
※価値の明確化理論:カーシェンバウムによるバージョン(中野, 2013)
例えば『仲間』というものが、私にとってとても価値あるものであるとしましょう。
それはなぜか?
それは私が仲間について様々な視点から考え(①)、仲間を好きになったり、嫌いになったりしながらも大切にしてきて(②)、複数の選択肢から仲間とやることを自ら選んで(③)、だけれども仲間に価値を置く故の様々な葛藤とも闘い(④)、それでも仲間を大切にする(したい)という行動をとってきた(⑤)からです。
こうして、『仲間』が私にとっては価値あるものとなったのです。
自分自身や自分が大切にするものの価値は誰かがそう決めたからではありません。
自分が自分で考え、感じ、葛藤しながら選択して、それに基づき行動してきたから価値あるものとなったのです。
もし、自分が大切にしてきたものを、易易と他の誰かに評価されたら、その評価は参考にしても良いかもしれませんが、あなた自身の評価を覆すものとなる理由はありません。
社会や誰かの基準で生きるのではなく、それぞれが自分の基準で生きられること、その生き方をリスペクトし合えること。
自分らしく生きられる社会ってそんな社会なんじゃないかなと思います。
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