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『竹本義太夫伝 ハル、 色』を読んで、初めて文楽を見に行く


『竹本義太夫伝』に出会うまで

 今年の3月、新作歌舞伎ファイナル・ファンタジーXを見に行きました。舞台も素晴らしかったのですが、私はここで義太夫節にすっかり魅了されてしまいました。特に召喚獣が紹介される場面。舞台に現れた太夫(竹本)たちが独特の節回しに現代の言葉を乗せ、歌うようにお話を語る楽しさ。歌舞伎では何度となく聞いているはずなのに、義太夫の部分でこんなにも気持ちが高揚するのは初めてのことでした。

 それにしてもなぜ義太夫節というのだろう、浄瑠璃とどう違うのだろうということが気になり、検索しているうちに、実在した人物、竹本義太夫に興味がわきました。過去に何人もの名人が存在したにも関わらず、浄瑠璃=義太夫という代名詞になるほどのセンセーショナルな存在。1650年から1700年頃の江戸時代に生きた彼のことを調べているうちに、岡本貴也さんの書いた『竹本義太夫伝 ハル、色』という小説に出会いました。

 歴史小説の面白さは隙間埋めだと思います。わかっている史実の部分、伝承されたエピソードの部分、その隙間。膨大な空白を作者の想像力が作り上げる面白さ。どこまで話が膨らむか、どこまで生き生きと人物を描けるかで、読む楽しさも変わってきます。『ハル、色』に登場する竹本義太夫は、行間からパワーがにじみでるような存在感があります。すぐ泣くし、人として足りない部分も多く、決して満点の人格者ではないのですが、浄瑠璃にかける情熱とエネルギーで周りの人々を彼の世界に巻き込み、人生まで変えていきます。

 大阪の農家に産まれ、声が大きいだけが取り柄の若者が、身分制社会を超えて浄瑠璃語りになり、晩年には天子から従七位を賜るほどのサクセスストーリー。簡単な歩みではなく挫折の連続でしたが、義太夫は最後まで本当の芸とは何かをひたすらに追い求めました。彼が開拓した独自の語りは『新浄瑠璃』と呼ばれ、それ以前は『古浄瑠璃』と分けて扱われるほどになります。小説では彼が生涯恋い焦がれる女性も描かれ、義太夫が芸を深めていった原動力とされています。

 『ハル、色』というタイトルを見て春、色事、艶めかしい話?と思った先入観を見事に打ち砕く『ハル、色』の意味。ぜひ手にとってその意味を見つけてほしいです。

初めての文楽鑑賞

 ところで、この小説を読むまで、私は人形浄瑠璃(文楽)に行ったことがありませんでした。半蔵門駅に掲示されたポスターの前を通るたびに、一度は見てみたいなと思いながらも、なんとなく敷居が高いと感じていました。そんな私の肩を押してくれたのがこの『ハル、色』でした。読んでいるうちにどうしても、人形浄瑠璃と義太夫の熱をこの目で確認したくなったのです。ちょうど国立劇場で『菅原伝授手習鑑』の初段と二段目が上演されていました。菅原道真を題材にした概要は知っていましたが、最初から通して見るのは初めてのことです。

半蔵門駅のポスター

 文楽は節をつけて話を語る太夫と、彼に伴走する三味線弾き、そして人形をあやつる人形遣いの3組のセットで構成されています。1つの人形は3人の人形遣いがあやつります。顔を出して右側に立つ主遣い(おもづかい)と、黒子の衣装で左側を支える左遣い、足元を担当する足遣い。世界中に人形を遣う芝居はたくさんありますが、文楽のように3人で人形をあやつるのは珍しいのだそうです。

 義太夫節の言葉が理解できるか不安でしたが、入場時に床本(ゆかほん)という台本が無料で配られ、舞台の袖には字幕が出るので、初心者にもとても親切です。向かって右に床と呼ばれる、太夫と三味線弾きが座る場所があります。太夫の語る段が終わると、この床がくるりと周り、次の太夫と三味線弾きが回転して現れる様はなんだか魔法のようです。

国立劇場・小劇場

 初めての文楽は勝手がわからず、前方の席を取ったら字幕が近すぎて読みにくかったり、字幕と舞台と床をあちこち見てるうちに集中が切れて、うっかり居眠りしてしまったり。そんな調子だったので、文楽ってすごい!といきなりハマったわけではありませんでした。初段は『筆法伝授の段』で意地悪な希世が良いキャラだったな、くらいな感想でした。

 ところが別の日に続けて見た二段目(杖折檻〜宿禰太郎〜宰相名残の段)がものすごく面白かったのです。字幕と舞台に目をやる配分もわかってきたので、物語の世界に入りやすくなったのかもしれません。刈屋姫の姉にあたる立田が、夫と義父に殺される場面。人形は刀でぐいっと刺し貫けるので、思わず声が出そうなほど衝撃を受けました。歌舞伎にも殺される場面は多々ありますが、文楽で感じる痛みはさらに強烈なものでした。そもそもが無生物な人形、しかも人が人形を動かしているのが観客席から全て見えています。それなのにこんなにも命を感じるとは。人形の指先や首の傾げ方、人形遣いの足拍子の音、義太夫が低く唸る声、三味線の一音、全てが素晴らしい。気がついたときには涙を流し、すっかり文楽の魔法にかかっていました。

 その後、『曾根崎心中』も見に行くことができました。『ハル、色』の中でも重要な位置づけとなる作品です。実際に文楽の舞台を見て、また小説を読み直すと、最初に読んだときは気がつかなかったことがわかり、さらに面白さを感じました。読んで、見て、また読んでと、何度も楽しめる小説なんていいじゃありませんか、ねえ、義太夫さん。


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