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欲求に素直になると感謝できる、かも。

こないだ、「理想の母親になれない悩み」に対してどうカウンセリングしていくか、という勉強会をしていた。

その中で一例として、こんなのが出てた。

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2歳の娘が危なっかしい手つきで、牛乳をコップに注ごうとした。危ないからとイライラしてキツく怒ってしまった。本当は優しく諭したいのに、こんなキツく当たってしまう自分が嫌になる。

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私はひとつ前の記事で「子ども自身に失敗させて、後始末させよう」というようなことを書いたんだけど、当然失敗されたら嫌な場合だってある。

時間がない時だったり、その時着ている服がお出かけ用のすごく良い服だったり、その牛乳でシチュー作ろうとしてた時だったり、私もこれからその牛乳飲みたいんだ(だからぶちまけられたら困る)って時だったり。

このお母さんだって、牛乳をひっくり返されたくない理由がなんらかあるはず。

でも、それって「危ないから」ではないんじゃないかな?

牛乳ひっくり返したって、濡れて牛乳くさくなって、なんか色々めんどくさくなるだけだ。

別に危なくはない。

だから、「いい母親たるものそのめんどくささは我慢してあげなさい」という話ではなくて、

「めんどくさいから嫌なんだよー!!」という自分の本音を認めて肯定してあげるのはどうでしょう?というご提案。

ここで本音に対して「危ないから」という「理屈」を被せると色々ややこしくなる。

いいのよ、めんどくさいものはめんどくさいもの。

嫌なものは嫌なんだもの。

そんな自分の本音を認めた上で、娘さんに協力を求めるのはどうでしょう?

「危ないから、それはやめて」だとやめてもらって当然だけど、

「こういう都合で私はそれがすっごく嫌だから、協力してほしい」だとやめてもらった時、子どもに対して感謝の念が湧くと思う。

子どもも命令されるより、お願いされた方が気持ちがいいはず^^

だから、私は世の中の親御さんたちには「正しさ」よりも「自分の欲求」に素直になってはどうかな?というのを提案したい。

「理屈」の下に何か本音はないかな?って見てあげてほしい。下からどんな本音が出てきたとしても、せめて本人だけは優しく受け止めてほしいな、と思う。



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