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自己肯定感を育む為に

「自己肯定感の高い子に育てよう」とよく言われます。

自己肯定感が高ければ、色々なことにチャレンジする意欲だって湧いてくるし、人間関係だって上手くいきやすいし、挫折にも強くなる等、良いことだらけですね。

何よりも、自分という存在を肯定しながら生きることのなんと幸せなことか。

誰にとっても「自分」という存在は、一生(80年くらい)毎日24時間一緒にいる存在ですから、そんな存在が「嫌いな人」か「好きな人」かはとてつもなく大きな違いですね。

だからこそ、我が子にも「自己肯定感」を高めて欲しい!その為に何をするか?というと「子どもをほめる」という親御さんが多いんじゃないかな?と思います。

私が今勉強中のモンテッソーリ教育ではちょっと違うアプローチをとります。

それは「自分の意思で何かを始め、自分の力で何かを試行錯誤し、成し遂げること」です。

なんかこう書くと大袈裟なんですが、簡単に言えばちょっとした成功体験を積ませてあげることです。それは「算数ができた」とか「逆上がりができた」とかそんな大きなことじゃなくていいんです。もっと小さいうち(1歳とか2歳とか)から「パンツ履けた」とか「ブロック積めた」とか「自分で鼻拭いた」とか傍から見て全然すごくないことで良いんです。自分の意思で始めたことなら。

あ、でも日常生活に即していることだと本人のポイントは高いかもしれませんね。「自立」を感じることができますから。「自分で生活できる(生きていける)」と感じることができるのは非常に大きいなポイントです。

ここで重要なのは、

・手を出さない

・口を出さない

・できてもほめない

こと。

優しくて共感性の高い親御さんほど、色々とやってあげたり、声かけたり、ほめたりしたくなっちゃうんですけど、子どもの集中力と達成感の為に優しく見守るに留めてあげましょう、というのがモンテ的対応です。

そして最後の「ほめない」に関しては、「え?」と思われる方もいるとは思うのですが…

ここすごく重要ポイントです!

なぜかというと、ここでほめることで「自分でできた達成感、自己効力感」→「他の人にすごいって言われる喜び」にすり替わっちゃうことがあるからです^^;
要は、最初は自分の楽しみの為にやってたのに、いつしか人にほめられることが目的になっちゃう現象ですね。

なので、私は「認める」という対応をしております。

「ほめる」が人からの評価なのに対して、「認める」はただ事実を指摘するだけです。

「できたね」「(ブロック等)積めたね」「食べられたね」というように。

それが良いことかすごいことか、たいしたことないことか、というのは子ども本人が意味づけたり解釈したりすることであって、大人がしなくてもいいかなーと思うのです。

だからただ事実と本人の感じてそうな感情を共有する。本人が嬉しそうだったら、自然と私の「できたね」も嬉しそうになる。「嬉しいね」なんて言葉も出てくる。

そんな私の姿は、他の人から見ると「ほめてる」ように見えるらしいです。でも私の中では明確に線引きしております。気を抜くと、たまにぽろっとほめちゃうことがあるのも事実ですが^^;

ただ、称賛を与えられるのを待つよりも、自分で自分を認められる力を得て欲しいなと思って、そんな風に接しています。

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