自分語り

 今を去ること35年ぐらい前、その大学にはコンピュータがあり当時珍しく学生全員にIDが配られていた。しかし機械はいわゆる汎用機という奴で実は地味にマルチタスクではあったがマルチウィンドウではなく日本語入出力機能もグラフィックも大変しょぼかった。
システムにログインするとプログラムやテキストファイルを書いてそれをファイルに保存したり、IDを持っている者同士でメールをやりとりしたり、プログラムを実行させて結果を出力させたり、ログをプリンタに送って印刷させることができた。
 ゲームもいくつかバンドルされていた。もちろんジョイスティックとかマウスとかで操作してリアルタイムに反応が返ってくるような高級な奴ではない。そもそも端末についているのはキーボードとカラーモニタだけで、マウスもジョイスティックもついていなかった。ゲームは、キーボードから数値コマンドを入力するとテキストファイルで結果が返ってくる類のやつだった。スタートレックとか。
 だが他にもバンドルされていたものがあった。国会図書館の蔵書目録だ。JAPAN-MARCという奴である。日本語でキーワード検索をかけると、蔵書目録のデータからヒットした書籍の簡単なデータが出力される。もちろんタイトルとか著者とか出版社とか発行年とかページとかがわかるだけで、本文が読めるわけではない。しかし私はこれに大変魅せられた。適当な単語を入力すると、見たことはおろか、そんな本があることさえ想像したこともなかった図書のデータが表示される。できることならずっとこれで遊んでいられたらいいと思った。
 ふと、今の仕事はほぼソレなのではないかという気がする。出版社や書店や図書館の蔵書目録を検索して適切ではないかと思われる本を予算の範囲内で購入する。そういう意味では私は大変幸せな人生を送っているのだと言えるのだろうと思う。
 今でも出版社や書店や図書館の目録を観るのは楽しい。私にはそれを目にするまでそんなトピックがあるのだとは想像さえもできなかった様々な知識や記録や論考が書籍にまとめられて出版されている。
 しかし図書を選ぶのは苦しい。私には知識が少なすぎるし図書は多い。何を選んでも自分の選択は間違っているのではないかという気持ちが常につきまとう。私のような甘ちゃんが選書などすべきではないのではないか、もっと優秀な人が世間にはいくらでもいるだろうになぜ私のような無能がこの仕事をしているのだろうという気持ちがどうしても抜けない。
 まあ、甘ちゃんということですね…。orz

すいませんそれだけです…。

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