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親子のコミュニケーション

中学校でスクールカウンセラー をしていたり、思春期の子たちへの家庭教師などをしていると、親子の会話が随分少ないなぁ、と感じることがある。

よくよく話を聞いてみると、親は「何を話したら良いのか分からない」「(子が)何を考えているか分からない」と言い、子は「話しても聞いてくれない」とか「別に話すことがない」と言う。

思春期の子どもを持つ家庭では良くある現象だ。


確かに自分自身のことを思い返してみても、中高生の頃、家に両親がいると妙に気まずかったのを覚えている。
特に父が発する「娘と何か会話しなければ」という雰囲気が苦手だった。リビングで父と2人っきりになるとケータイを側に置き、たびたびメールボックスを開いては気を紛らわせていた。

「勉強はどう?」
「学校はどう?」

そんな、びっくりする程のオープンクエスチョン。思春期だったこともあり、内心『別に興味ないくせに。無理して話そうとしなくても良いのに』と思ったりもしていた。私の返答に対して上手く話を広げられない父に妙に苛立ち、勝手に失望したりもしていた。なんて嫌な娘だっただろう。

しかし、よくよく思い返してみると、父は私の話の中で登場する友人の名前やその子とのエピソードを良く覚えていた。「〇〇ちゃんが…」と話すと「ああ、この前一緒に遊びに行ったって子か」と返したりしていた。

父が娘との会話を広げることが出来なかったのは、私に関心がなかったのではなくて、単純に、一緒にいる時間が少ない故に、私に関する情報が少なかっただけだったのかもしれない。
そんな中で、私の無愛想で適当な返答から得られる数少ない情報を、父はきっちり覚えて、蓄積させていたのだ。

私が大人になってからも、会話の中で高校時代の友人の名前が出ると「高2の時にクラスが一緒やったあの子やな」とか「大学の文化祭に一緒に行った子やろ」と反応していた。
その時は「そうそう!良く覚えてんなー!」と、会話に夢中で何も感じなかった。

しかし今こうやって思い返すと、父は父なりに我が子の学生生活を会話からイメージしたりしていたのかな、と思う。そう思うとなんだか嬉しくて、涙が出そうになる。


心理士として子どもたちに接する際、親ともっとたくさん話をしてほしい、といつも切に思う。親は、子が思っている以上に、子を思っていたりもする。

しかし、世の中には色んな親がいる。だから、残念だけど「親は必ず分かってくれるよ。だから、あなたの気持ちを素直に話してみて」とは言えない。

でも、これだけは言える。
あなたが話さなければ、親はあなたの気持ちや状況を知ることは出来ない。親はエスパーじゃない。

そしてこれは、親に対しても言える。
親が子を思う気持ちは、親にしてみれば当然のことなのだろう。でも、そんな気持ちは、子には伝わっていない。「親が子を思う気持ち」。それが分かるのは、子どもが心身ともに成長して、随分経ってからだ。

だから親も、子どもを思う気持ちを素直に表現する必要があると思う。

もし言葉にできるなら、それが一番子どもに分かりやすいだろう。
でもそれがどうしても小っ恥ずかしいのなら、せめて、その気持ちを何かしらの形で表現しよう、と意識してみるだけで良いと思う。
親のちょっとした変化に、子どもも何かを感じるはずだ。

今すぐではなくても、数年後、数十年後、子が「あの時、お母さんはこんな気持ちだったのか」「親が言っていたのは、こういうことか」とじわじわ響く日が来るかもしれない。
必ず記憶のどこかに残っていて、それが生きる力になったりもするだろう。

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