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30数年ぶりに氷川丸を見学し、子どもの「体験」とは何かを考えた

子どもと横浜に行った。横浜駅から山下公園の方へ、秋が戻ってきたような暖かさの中を歩いてきた。

みなとみらい方面へ行くのは、かなり久しぶり。以前来たときは、近未来風のロープウェイなどなかった気がする。

用事を済ませて山下公園に来た。山下公園といえば、氷川丸。中を見学することにした。子どもは初めて。私は、自分が子どもだったとき以来、30数年ぶりだ。

氷川丸

氷川丸が竣工したのは1930年。北米シアトルとの間を結ぶ客船として運行された。シアトルまで、大体12日ほどかけて太平洋を渡ったらしい。

船内は、床が木でできていたりと、90年以上前の雰囲気が感じられるつくりだった。一般の人が乗ったであろう三等船室は、相部屋で狭いベッドだけが自分のスペースといった感じのところだったけど。

操舵室

私が子どもの頃に乗った氷川丸のことで、強く記憶に残ってることが一つだけある。それは、船内の一角にあったラジコンの船を操作できるコーナーで遊んだことだ。実を言うと、氷川丸について覚えているのはそのラジコンボートのことだけだった。あとは、氷川丸の中を見学したという事実。船の中の様子とかは全く覚えていなかった。

ラジコンコーナーは、水を張った区画に船が何隻か浮かび、100円とか200円払うとそのひとつを数分操作できる、というものだったと思う。ラジコンの船という珍しさが、心に刻まれたのだろう。自分でラジコンボートを動かした経験その後一度もないから、たしかにレアな経験だった。

今回、子どもにもそれを経験させたいと思っていた。けれどラジコンボートはどこにも見当たらなかった。私が訪れたのは30年以上前、どこかの時点で撤去されてしまったのだろう。残念。

大昔と今を比べても仕方ないし、文句を投げかけるつもりは全くない。でも、大きな船のほんの一角にあったささやかなラジコンコーナーが、少なくとも1人の子どもにとっては船全体の記憶よりも強烈に記憶に留まることがあるんだなと思った。

見ることもその場にいることも、体験なのは間違いない。でも、自分で何かを動かしたというのはさらに強烈な体験なのだろう。「何かを作った」とか、「斧で薪を割った」というのも、それに類することだと思う。

作ると言えば、こんなのもあるな。

ひとくくりに体験といっても、その「刺さり方」には色々な強度がある。それを今回の氷川丸見学で強く感じた。もちろん、全く同じことをしても人によって受け止め度合いも変わるから、「こうした方が心に残る」と言い切れるような基準があるわけではない。見るだけでは意味がないとか、そんなことも思ってない。ただ、子どもに物事を体験させる立場となっている今、どんなことがより印象深く伝わりやすいだろうかってことは、考えていく価値があるんじゃないかと感じている。

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