「穀物法論争」から考える初期コロナショック

 交易が疫病を運ぶ、これは人類文明の発達にとって宿命的かつ不可避的に繰り返されてきた悲劇である。かつてペスト(黒死病)が流行した際には、ヨーロッパ人口の約三分の一が死亡したという。当時は医療環境が未発達だったことはもちろん、糞尿を道端に捨てているなど衛生環境が劣悪であった。現代はペストが大流行した14世紀に比べると、医療・衛生環境はかなり改善し、疫病に対する迷信的な信奉も減少し、状況は改善しているかのように思える。しかしながら現状でも医療は不足し、さらには差別的な発言も垣間見える。私は医療に関しては門外漢であるためこれに関しては言及を避けるが、差別的な発言に対してはここで憤りを示しておきたい。
巷ではコロナウィルスのことを「武漢ウィルス」などと呼称している連中がいるようだが、疫病の流行は交易の代償であり、殊にヒト・モノ・カネ・情報が世界中を飛び回っている現代社会においては自然・必然的な帰結であると思う。中国当局の対応には些か不十分な点もあったかもしれないが、疫病の発生源に対する生産性のない差別的な発言は徒に軋轢を生むだけである。
話が逸れた。表題の通り、今回は「穀物法論争」という経済論争の観点から、現在の社会―国際的な貿易の脆弱性が発露し、日用品の需給バランスが崩壊しかけている状態、あるいは観光産業等の外国需要に依存していた企業・経営者が危機に瀕している状態-を分析する。

穀物法論争とは

 今回は可能な限り専門性を排した端的な説明を行おうと考えている。この論争は19世紀前期(第一次産業革命最盛期)のイギリスにおけるデービット・リカードウ(1772-1823)とトマス・ロバート・マルサス(1799-1834)による、穀物法という法律を巡る論争である。穀物法とは穀物の輸入に対して関税をかける法律であるが、なぜ歴史に残るような論争を引き起こしたのか。

 英仏戦争の際にフランスが大陸封鎖令(1806年)を出したことによって、イギリスは大陸との貿易を制限された。これによって穀物の価格は高騰したが、戦争の終結が近づくと共に穀物の輸入が増大し、1814年には穀物価格は暴落した。これを受けて穀物法の改正問題が議論されることとなったのである。

リカードウの主張

 リカードウは関税引き下げを主張した。リカードウの考えでは、労働者の賃金は穀物の値段に左右される。穀物の価格が上がれば労働者の生活費は上昇し、支払わなければならない賃金が上昇するからだ。しかし、土地は使えば使うほどやせていくため、労働賃金は必然的に高くなる。労働賃金が高騰を続ければ、工業生産も利潤が上がらなくなり、イギリスの経済成長はやがて終焉を迎えるというロジックである。これを回避するために、他国から穀物を輸入することで穀物価格を低下させようと考えたのである。
 また、羊毛の生産が得意な国とワインの生産に長けた国があった場合、前者が羊毛生産のみを行い後者がワインの生産のみを行うことが最も効率が良いというのがリカードウの国際貿易に対する態度である(比較生産費説;実際はこれ以上に複雑であるが、簡単のために簡略化した)。各国の得意な分野に特化して国際分業と自由貿易を行うことが、両国にとっての利益となると考えたのである。この観点に対しては、イギリスの帝国主義的な観点であるという反駁がある。工業国であるイギリスに対して、後進国は国際貿易において比較優位な農業生産ばかりを行っていると、いつまでたっても工業化が進まないのである。ドイツの経済学リストの主張がこれに詳しいが、本論との相関が弱いため省略する。

マルサスの主張

 一方でマルサスは食糧の安全保障の観点から、関税の引き上げを主張した。食糧を海外に依存した場合、戦争の勃発等による国際関係の悪化によって、国民の生存が危機に瀕することになる。更に、その状況を利用され、外交における優位を他国に掌握されかねない。
 また、輸入によって穀物価格が低下した場合、農業生産者の賃金は低下し、雇用も縮小することになる。そうすると農民や地主に工業製品を買う余裕がなくなってくるため、工業製品の国内の需要も減少し、工業製品が余る。生産が過剰になれば工業生産物の価格も低下し、工業においても雇用の縮小と賃金の低下が発生する。結果国内市場は縮小する、こう考えたのである。工業製品が外国に売れればこのような事態を避けることができるが、先述の通りそれは脆弱性を孕むものであるというのがマルサスの前提である。


論争の帰結と現在

 結果としては1846年の穀物法廃止によってリカードウが勝利したことになったが、リカードウの主張が絶対的に正しく、マルサスの主張は唾棄すべき不毛な意見であるということを意味するものではない。現在、マスクの輸入が従来通り行われず、国内生産が需要に追い付いていない状況である。この状況は、マルサスが穀物法論争の中で示唆していた。すなわち、生活必需品の生産を諸外国に依存することの危険性である。

 更にマルサスの主張を掘り下げれば、国内需要の大切さを訴えていることが伺える。”グローバリゼーション”などと言った言葉がはやりであるが、”国家”という枠組みを人々が持っている限り、それは”インターナショナル”な社会、すなわち国家と国家の関係によって築き上げられる社会にすぎず、国と国の構造的な分断は避けられない(ここでナショナリストと呼ばれるドナルド・トランプ氏が米大統領に当選し、関税の引き上げ政策を施行したことを想起するのも面白い)。このような状態で世界規模の問題が発生すれば、外国需要に依存した産業や生活必需品の供給が危機に瀕するのは当然の帰結であり、それは驚くべきことに既に2世紀前から予測されていた。問題はグローバルに発生するが、それに取り組むのは国家単位のインターナショナルな同盟なのである。そして今回は国内市場にも甚大な被害が出ている。これを機に量的な経済成長のみならず、安全保障という観点から経済活動・政策を熟慮すべきである。 

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