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書籍紹介『組織の経済学』



0.はじめに

 先日、専門書読書会というものに参加しました。

参加者が各々専門書を持ち寄り紹介、それについて質疑や感想を共有するという形式でした。自分の知らない世界についても知ることができたり、会が終わった後の雑談も話題が様々な分野に広がっていったりと、非常に楽しい時間を過ごすことができました。
 読書会に向けては、紹介用のメモを作成しました(アドリブで話すのが苦手なため)。その甲斐あってか、多くの方に興味を持って頂くことができました。このままメモを破棄してしまってもよかったのですが、せっかくなのでnoteにでも投稿しておこうかと思い立ちました(投稿したからといって、何がどうなるという訳でもありませんが)。そんな次第で、私は久方ぶりに記事を書き、今あなたがこの記事を読んでいるという訳です。

紹介した本:伊藤秀史,小林創,宮原泰之,『組織の経済学』,有斐閣,2019

1.そもそも経済学とは

 「経済」は、広辞苑によると

1.     国を治め人民を救うこと。経国済民。
2.     (economy)人間の共同死活の基礎をなす財・サービスの生産・分配・消費の行為・過程、ならびにそれらを通じて形成される人と人との社会関係の総体。転じて、金銭のやりくり。
3.     費用、手間のかからない事。倹約

『広辞苑 第七版』岩波書店

経済学は
(economics)経済現象を研究する学問。

『広辞苑 第七版』岩波書店

よって、経済学の「経済」に最も一致するものは二番目の意味となる。
(語源はギリシア語:οίκος vνόμος→οίκονομικά)
 経済学は、「経済という目に見えないシステムを体系的に説明しようとする学問」であると換言することが可能。経済学に数理モデル(比率や数式)が導入されることで、経済に関わる現象の定量的な相対化や、数式やグラフによる説明が可能になった。
・   企業や消費者行動に着目した分析(価格、個人の利得)→ミクロ経済学
・   一国の経済を巨視的に見る(物価、国民所得)→マクロ経済学
上記二つを合わせて「近代経済学」と呼ぶ(狭義の「経済学」は近代経済学を意味する)。
 モデルが前提とする状況や、包括する範囲(内・外生変数)によって、結論が変わることがある。単純すぎるモデルは説明力不足、複雑すぎるモデルも汎用性が低く個別現象の説明に終始してしまう。現象の本質を必要十分に説明する最もシンプルかつ蓋然性の高い仮説(モデル)を定説としている。このことから、モデルの研究はまだまだ発展途上にあると言える。

2.組織の経済学(Organizational Economics)

経済学の歩み

 20世紀以降、近代経済学では説明のつかない経済現象に対しての研究も進んでいる。最も人口に膾炙しているのは、「行動経済学」であろう。行動経済学は、人間の一見「不合理」だと思われる行動を、脳科学や認知心理学の研究成果を取り入れながらモデル化している。その成果物がビジネスや実用に適うため注目されており、「既存の経済学を否定する学問」として誤解されることもあるが、あくまでもその根底にはミクロ経済学の基礎理論があり、数理モデルもそれを応用したものが用いられている。
 組織の経済学(Organizational Economics)も、ミクロ経済学(そのうちの主にゲーム理論)の派正分野である。

近代経済学における組織

 組織は「単に人間が複数人集まったもの」では無い、とういのは誰しもが日常レベルで感じることであろう。
・   「社風」や「雰囲気」「結束」などは、目には見えないが人間の集団の中に確実に存在している。
・メンバが変わっても「伝統」や「精神」は受け継がれている。このような「見えざる力」が経済主体(市場の中で意思決定を行う人間)の行動を変更しうる。しかし、経済学の「市場」に登場する企業は、その組織やマネジメント等については言及されない(ブラックボックスとなっていた)。

3.本書の特徴

本書は、(奇妙とも呼べる)組織内での意思決定について、経済学の観点から解説がなされている。具体的にはミクロ経済学のゲーム理論をベースに・  ・組織ではどのような問題が発生するのか
・   問題をどのように解決するか
・   組織の違いとはどのように説明が可能か
を数理的に解説している。以下ではそれぞれについて、本書で扱われている議論の一部を紹介する。

組織ではどのような問題が発生するのか

 各人が合理的に行動することで、組織にとって理想的な状態(パレート最適)が満たされないことを示す。例えば、二人の従業員(A,Bとする)が「努力す:生産4」「怠ける:生産0」のどちらかの行動を選択できる状況を考える。
 成果の合計はAとBで等分され、努力を選択した従業員の利得は労力(2)を差し引いて考える。
①両従業員が努力をした場合:両者の利得は2、組織の合計利得は4
②片方の従業員(A)が努力をし、もう一方(B)が怠けた場合:努力した従業員の利得は-1、怠けた従業員の利得は2、組織の合計利得は1
③両従業員が怠けた場合:両者の利得は0、組織の合計利得も0

組織に取って望ましいのは①の状態である。しかし、従業員の立場で考えれば
・   相手が努力していた場合:自分が怠ける方が得
・   相手が怠けていた場合:自分が怠ける方が得
ということになり、A,Bが合理的な選択を取れば組織は③の状態に陥ってしまうことが分かる。これは、ナッシュ均衡と呼ばれるゲーム理論の基礎的な理論であるが、このモデルをベースにして
・ゲームが複数回(有限回/無限回)繰り返される場合
・Aの選択を見た後にBが行動を選択する場合
・2種類の仕事に対するお互いの得意な仕事と苦手な仕事、ベテランと若手などのコーディネーション問題
・従業員の努力する/怠けると、上司がボーナスを払う/払わない
 →上司は部下が怠けたか努力したかは業績に対する確率でしか分からない     
  例)努力した場合80%、怠けた場合60%で好業績
等、様々な問題をモデル化することができる。

問題をどのように解決するか

 業績に応じてボーナスを支払う、というのは従業員に努力を促すインセンティブとなる。この際に、業績を絶対評価とすべきか、相対評価にすべきか、という問題が発生する。
 各従業員の業績が相関関係にある場合は絶対評価が望ましく、一方では雇用主にとっては相対評価の方が望ましいであろう。このような直感でなんとなく理解できそうな結論に対しても、本書においては数理モデルを用いて説明がなされている。またそれに加え、抽象的な議論と具体的な議論の橋渡しとして、日本の終身雇用制度を例にとった説明がなされている他、モラルハザードなどの問題にも触れられている。

組織の違いとはどのように説明が可能か

 本書の説明を一つ例に挙げれば、組織の違いは「過去にどのような選択がなされてきたか」という組織の"歴史"として説明されている。組織は時代と共にその構成員が入れ替わるが、それでも組織の歴史がメンバの意思決定を変え得るということがモデルを通して説明されている。

5.結び

 組織内の意思決定についての理解は、心理学や脳科学等の別の学問からの視点は不可欠であろう。例えば、組織内の自分だけが得をしている場合の「申し訳なさ」は、心理的コストとして勘案されているが、なぜそのような「申し訳なさ」が生じるかという議論は組織経済学上の焦点からは外れていると言えるだろう。だが、目に見えない組織内部の(意思決定)システムを体系的に説明し、モデルとして可視化することが組織経済学の役割であろう。

 本書は、組織経済学の入門として研究や議論を行う十全な下地を提供することに成功している。書店で[経営学]や[ビジネス]の棚を見渡せば、組織にまつわる本は数多出版されているが、本書は表面的な説明や事例集に終始することなく、経済学の一分野として組織のシステムが論理的に解説されており、個人的に非常に価値のある一冊であると考えているため、この機会に紹介させていただいた次第である。

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