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デザインは宇宙である

私はデザインが苦手だ。

そもそも美大に行きたかったのに行けなかった理由の一つにデザインが苦手過ぎて断念したという理由がある。

今でこそはっきりした線に抑揚のない塗りというともするとデザイン的な画風だが、もともとは油絵や水彩のような方向性を志向していたのである。(実は)

そして今でこそデジタルなので苦ではないがそもそも定規を使うのが苦手過ぎてデビュー作の一つ前の作品まで背景作画に定規を使ったことが無かった。デジタル作画になって一番嬉しかったのはリアルの定規を使わなくていい所だと今だに思っている。デザインが苦手なのはおそらくその基礎の基礎である平面構成において定規を多用するからだ。あとポスターカラー。さっきも書いたように私は元々水彩や油彩志向だったため、ぱっきりとしたムラのない塗り方が好きではなかったし、そのための技術を訓練するのにも抵抗があった。それにハサミとノリ。昔から図画工作の時間は好きだったが、ノリを使うと人間性の問題で持ち物をなにもかもべたべたにさせてしまうし、はさみで切ったパーツは高確率で無くす。だからハサミとノリを使った課題だと憂鬱だった。

デザインの授業になるとどうしても以上の4つは頻出になる。その上に好きな作風の作品も作れないし、私はデザインが嫌いだった。

しかし突然それは起こった。ある時デザインの重要さに急に気がついたのである。いろいろな要素が重なってのことだったのでここで全てを説明することはできないが、その一つの切っ掛けが高校の時に作っていた同人誌だったのは覚えている。絵の上手い知り合いの作る同人誌が、同人活動の制作物がめちゃくちゃオシャレだったのだ。

それは一言で言うとめちゃくちゃデザインや装丁に工夫を凝らした同人誌であり、グッズだった。彼女の作るものを見るといつも同人活動…つまり素人でここまでできるのか、と度肝を抜かれた。グッズは一般的な商業的なグッズと遜色無いし、本も枠外にテクスチャを配置したり、装丁だけでもこれを所有したい、と思わせるものだった。

そして、ほぼ同時に私はここでよく言っているオシャレにも目覚めた。そして今までの、絵を描くキャンバスの外の世界の美に無頓着だった自分を激しく悔いた。美はいつもそこにあるのだ。


つまり私はデザインという概念に関しては辛うじて途中で見えるようになって独学で訓練した人間なのだ。このデザインという概念こそ私がオシャレと呼んでいるものに近い気がする。私が言うオシャレとはデザインがうまいということとほぼ同義だ。

これは私の思い込みかもしれないが彼女のような人は生まれつきデザインのバランスを理解しているのだろうと思った。生活の中に常にデザイン性という概念があり、これをああしたらもっとオシャレだろうな、とかそういうものが即座に思い浮かぶタイプの人間。

対して私はむしろ苦手としている。辛うじて美はいつもそこにあるという部分には目覚めているので無頓着なのはよくないと無理矢理なんとか考え出す程度。かといっておしゃれコンプレックスまみれなのでとにかくダサくはしたくない。いつも使っている脳の領域ではないので考えると本当に疲れが酷い。

だから未だにグッズや同人誌を作るときに滅茶苦茶苦悩する。

特に昨今の同人誌や自作グッズ、装丁は自分の思うがままだ。そう、結論から先に言うと自由過ぎるのだ。この中から何個か選んで作りなさい、とかではない。無限の可能性だ。そんなこと考えだすと頭が天文学的可能性で宇宙になってしまいパンクしそうになる。

なので、とりあえず私は同人誌を作るときは基本的にB5フルカラーでクリアppという縛りを設けている。

その縛りを設けることによって表紙のデザインもそれに合ったものにできるしある程度の指針ができる。間違ってもここで特殊な紙を使ったり二色刷りとかを解禁してはならない。その瞬間選択肢が広がり過ぎて頭が宇宙になる。

特殊な紙?紙の色は?どれが一番質感がいい?いいってそもそもどういうこと?

この時点で選択肢が100とかになっている。

だとすると合わせるインクは?特殊な紙が色も含めて100種類として、インクの種類を組み合わせた全ての場合の数は?一体何万通りあるんだ!

さらにそこから角を丸くするとか、pp加工を他のものに変えるとか、本文の紙を…だとかもう天文学的な場合の数すぎて比較検討する以前に私の頭の容量を超えている。とても考えられない。

こういう時に生まれながらのデザインができるオシャレな人はこの中なら紙はこれかこれかこれでだとするとインクはこれかこれのように多分5×5×5通りくらいに即絞れるんだと思う。私には絞れない。経験が少ないのもあるが、そもそものセンスが無いのだ。

そしてそもそもデザイン畑の人間ではないのでそこに確固たる信念が無いということも弱点の1つだ。

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上の二つは最近発行した拙著の表紙裏表紙見開きなのだがこれらは自分でデザインしている。「魔法少女☆コンプレックス」もそうだ。素人仕事丸出しで申し訳ないが、これらは電子書籍という縛りと本体が漫画であるから何とか成し遂げられたと思っている。紙やインクという概念がないので純粋に絵やロゴの配置をするだけでいい。ロゴの作成もかなり苦悩したが、一度作ってしまえば最終巻まで使いまわせる。それに何より漫画が主体であるので漫画の雰囲気や内容を伝えられるようにする、という大前提が決まっているのでいうなれば確固たる信念がある。なので、なんとか見様見真似でなんとかなったのだ。

だがグッズはどうか。

グッズは不味い。

何が不味いってそれそのものがデザインの塊だ。デザインという概念が形を成したものがグッズといってもいい。

絵が先にあってグッズを作ろうとすると私の場合はオシャレに作れないので先に作るグッズを想定して絵を描く必要が出てくる。そしてグッズと言えば勿論物理だ。材質やインクを考える必要が出てくる。さらにグッズの場合それを世の中で所持した時にどう思われるのか、どういう印象を与えたいのか、というところまで考える必要が出てくる。とりあえずギリギリ内容を説明できてればいい自己出版電子書籍の表紙とは違うのだ。そしてそう考えるとまず絶対に思うのだ。私の絵とか描いてあるグッズなんてオシャレじゃない!!なんかちゃんとしたオタクっぽくないイラストじゃないとオシャレじゃない!でもそれじゃ自分の絵の必要ない!どうしたら⁉

そんな根本的問題は見ないふりすることにしても考えることが多すぎて最適解を見つけるのに物凄く時間と思考錯誤が必要とされる。

以前Tシャツを作ったことがあるが、これはTシャツをつくるぞ!と予め決めて、Tシャツに一番映えそうな構図や処理を考えて絵を描いた。そうして描いたのでTシャツに合った絵もかけたし苦労したので結構気に入っている。しかし、その時の苦悩を思いかえすと本当にしばらくはやろうという気にならない。因みに作ったのは以下の物だ(宣伝)。


…というかここまで書いて思ったが私が述べている頭が宇宙になってしまう現象、きっとそれこそがデザインが好きな人は楽しいと答えるのであろう。いうなれば私にとっての画材みたいなものだ。この画材を使って描いたらいったいどんな風に仕上がるんだろう…これの場合は?こんなの見たことない!楽しい!…みたいな。同人誌を作るときに本文よりも装丁を考えるほうが楽しいという人を何人か見たことがあるが、つまり彼女らはデザインセンスがあるのだ。私は持ってない!

私は出来ればデザインに使う絵とか漫画を作ることだけに集中したいのだ。もともとキャンバスの外に興味がなかった人間だから当然と言える。

でも…でも…それじゃオシャレになれないんだ!!私はセンスが無くてもそれでも少しでもオシャレに近づきたい!!

あとグッズとかもっと仕事で作るような人間にもなりたい!なりたいのだ!

先日、友人がカレンダーを作ると言っていたが、本当途方もなさ過ぎてよく死なないなと思った。カレンダーとかまず日付の部分のデザイン(天文学的選択肢)と絵自体(天文学以下略)である。数秒考えただけで頭が宇宙だ…。

本当に凄すぎて尊敬に値する。

なんかもっとデザインとか得意になりたい。そんな小学生のような事を考える今日この頃である…


ここまででも随分長くなったが以下はマガジン購読者様向けにもっと具体的なデザインに関する話でもしようと思う。

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