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順調じゃないことだらけ

子育てで一番学んだことは、
「予定通りには、全く進まない!」
ということです。笑

私は自分自身のことを、とっても不安が大きいタイプだと感じていて、予想がつかないと安心できず、嫌な想像ばかりを繰り広げてしまうので、とりあえずできそうな範囲で予定を立てて、何とかその中で「できる」を積み上げてきた学生時代だったように思います。
というか、就職、結婚、子どもが生まれると理由での退職くらいまではそうだったかもな。

子育てでは、自分の想像を超えたことがたくさん起こりました。
子どもって、みんなで楽しく遊ぶのが大好き!遊園地とか、楽しいものがたくさんあるとワクワクして走り回る!って思っていたのに、
「自分のペースを乱されるくらいなら一人で遊びたい。」
「疲れてるから家でのんびりしたい。」
「お母さんがやりたいなら、お母さんがやってきていいよ。」
みたいな感じで、全然私の子どもは私の想像していた子どもではありませんでした。
頭の中で理想を作っても、子どもとの関係はうまくいかないんだということを、少しずつ少しずつ理解して、腑に落として、実践できるように心がける日々です。
私って、全く完璧な人間じゃないし、うまくいかないことばかりなんだな~と痛感する日々です。
絵に描いたような、みんなにあこがれてもらえる親子像とは、思いっきりかけ離れてるよな~、なんてふと感じることもあります。

話は昔に戻って。
子育てに入る前のわたしは、自分の安心できる範囲の中で、それなりの結果が出て、それなりに周りの人から「すごいね~。」って言われる優越感みたいなのを「そうでもないよ。」って言いたかった私がいたんだな~、ということも、子育ての中で気が付きました。「そうでもないよ。」という言葉の中で、本当はもっとできるはずなんだよという自分への期待と、いつまでもそれなりにしかできない自分へのもどかしさもあったんじゃないかな、と振り返って想像しています。でも、どうやってその「それなり」を超えたらいいのかは、ずっとずっとわかりませんでした。

子育ての中で、自分の安心できる範囲の中には、子どもたちが到底収まるわけがないことを痛感するたびに、私自身は自分の安心できる範囲の枠を広げるしかありませんでした。枠を広げても、広げても、子どもたちとの生活の中で直面する彼らの可能性は、「それなり」なんて言っている余裕をどんどんと奪っていって、とにかく私が人として成長するしかないんじゃない⁉と気が付き続ける日々でした。

どこかでちょっと自分を誤魔化していると、しっかりとその部分をつつくような現象が子どもたちを通して現れる。
学校に行かない選択もまた、その一つでした。

今は、学校に所属することを辞め、高卒認定試験の合格を目指し塾通いを始めた高1の学年の息子ですが、その生活になじむための彼なりの試行錯誤に、親のわたしが勝手にワタワタしていたり。
中1、中2の不登校の時期にハンデを感じつつ、今自分にできることを一生懸命に取り組んでいる中3受験生の娘のマイペースさに、自分の経験と照らし合わせて粗さがしをしてしまったり。

親にできることって、自分の経験で生まれた自分の中の当たり前を子どもに伝えることじゃないんですよね。もちろん、経験したからわかることを伝える大切さもあるのですが。子どもにとっては、親から聞いた話は選択肢の1つでしかなく、彼らなりに経験したこと、集めた情報などの中から、自分が今必要だと思うことを選択して進んでいく。

相変わらず、自分の経験してきた常識と比較して、揺れて、子どもに心配を押し付けて、「またそれやるの?」的なことを子どもに言われて、「てへっ💦」といいつつ、今の子どもたちのそのままの状況に焦点を当て直して、「うん。今はここなんだね。」と確認をするという一連のすったもんだを繰り返しています。
同じことを繰り返しつつも、そこで動く感情は大きく変化してきて、以前は親子でお互いに振り回されて心身ともに疲弊していたのが、そんなに激しいものじゃなくて信頼関係の中でやりとりができるようになってきたな~と感じています。

そして、最近は、私自身、子どもたち自身の中にある、キラッとした光を大切にできるようになってきました。外から見たらわからないかもしれないけれど、自分たちの内側に見え隠れしているキラッとしたもの。
その輝きが少しずつでも増していくんだろうな~なんて、ふわっとした予感さえあれば、それだけで十分大丈夫。その実感を、持てる時間が増えてきたことが、いまのわたしにはとてもうれしいことなのです。

まとまりがない文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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