エアシーバトルvsオフショアコントロール
以前勉強会のために、資料を読み色々考えたのに、その後まとめもせず卵を温めてしまった。温めすぎで雛が孵りそうなので、覚悟を決めて纏めます。
さて、勉強会のテーマはタイトルの通りで「対中国アプローチはどちらが望ましいか?」と敢えて、この2つの立場に絞って議論した。私の考えは以下の通り。それぞれ定義とか、メジャーな議論はほっぽり投げて、あくまで私の意見を羅列しただけなので、悪しからず。
■エアシーバトル
・問題点としては、海空(空海?)での戦いがメインとなるため、お金が掛かるということ。
・また一度、米軍がグアムあたりまで後退する可能性もあるため、日本(の米軍基地とおそらく自衛隊駐屯地、基地)は間違いなく巻き込まれる。
・そもそも海軍(海自)、空軍(空自)、(陸軍、陸自)、政府間で統合作戦を行う能力があるのか?これはアメリカ軍でも、日本の自衛隊でも同じ。本当に出来るのか??
・ミサイル基地および通信基地を叩くという、本土攻撃込みのため、全面戦争になる。
・相手方のミサイルを脅威がないレベルまで破壊できたとの担保は、いかに行えるのか?
・核と通常兵器の線引きをどうするのか?(攻撃対象としても、攻撃手法としても)
■オフショアコントロール
・問題点は時間がかかる。効果が出る前に、反撃にあう可能性が高い。反撃にあった時、こちらも更に反撃するのであれば、それは結局エアシーバトルになるのでは?
・本国が離れているアメリカならいざ知らず、日本は近い。インド洋など、中国から離れた地点で紛争が発生したとしても、米国の同盟国日本は、残念ながら中国本土から近く、その距離は決して変えられない。
・経済的に中国を封じ込めたとしても、その影響は中国だけで済むのか?現在、どれだけの製品がmade in Chinaなのか。
・多国間同盟が前提になるだろうが、その場合どれくらい強度な同盟を維持できるのか?中国に影響が出るまで、時間がかかる中で、全ての同盟国がぐらつかず、足並みを揃えられるだろうか?
結局、この2つの立場って「vs」にはならないんですよね。エアシーバトルは中国が先に手出しをする前提、逆にオフショアコントロールはこちらが先の前提。特に「オフショアコントロールはこちらが先」と定義されているわけでもなさそうだが、常識的に考えて、中国からミサイルが飛んできていたり、サイバー攻撃されてる中で呑気にバリケードもあるまい。またエアシーバトルでこちらが先に仕掛けるというのは、こちらが奇襲攻撃をかけることになり、国際社会上、それは出来ないと思われる。そういう意味では、こちらの「お前は一線を超えた。許さん」という意志を、ミサイルぶっ込むよりは穏便なオフショアコントロールというやり方で、見せた方がマシなのかもしれない。ただし、そういう風に経済的に締め付けられて、ハワイに奇襲攻撃をかけた国もあるので、戦争の抑止にはなるまい。
■その他
・ソフトパワーはアメリカの得意とするところ。youtubeなどを通して、民主主義や親アメリカ、親日本の価値を、中国国民に植え付けることが出来れば、少なくとも戦争する気は下がるのではないか?
・とはいえ、中国の拡大政策は、共産党政権の正統性に利用されているとは言え、厳密には「党のイデオロギー」とは関係なく、中国の国としての経済的、愛国心的要求である。なので、民主主義を植え付けたところで、変わらない可能性もある。(多少鈍化はするでしょうけど。)
・共産党政府高官子息、上流階級(共産主義国家のはずなのに、上流階級とは笑える。)子女の多くが、アメリカやカナダに留学や在住している。彼らに対して工作できないか?
・ロシアを外交的に味方につけられないか?インドとともに、中国の視点を内(陸)に向けさせるために。どちらも国境線は長く、紛争の経験もある。ただし、ロシアのウクライナへの態度を承認してはマズイ。中国への「併合オッケー!」という間違ったメッセージになる可能性が高いため。
ここで考えたいのが、ルトワックの言う「中国は他国を理解できていない」ということ。「できていない」のか「しようとしていない」のか。なぜ、中国は国際法や通例を無視できるのか?地理的にも歴史的にも、領有権を主張しようがない島嶼について、自分たちのものだと一体どうして言えるのだろう?国際法を守っている国を蔑ろにして、その国が怒り、反中国と化すとは思わないのだろうか?
もちろん中国が我々を理解できないのと同じように、我々も中国を理解できていない。中国がここまで海洋政策にアグレッシブで、軍事的能力を高めようとしているのは何ゆえか?単純に領土への欲求か?水不足だから綺麗な水の流れる日本を手に入れよう!とか?そんな併合、いまの世界で許されるのだろうか、と言いたいが、残念ながらロシアが実証済み。貿易、経済的な要求は間違いなくあるだろう。シーレーンや海底資源を軍事力で守る、奪うのが動機というのは想像しやすい。とは言え、やり過ぎると近隣諸国にまとめて包囲網を作られる可能性もあるわけで、これはどちらかと言えば、どこまで軍事力を拡大しても許されるか、今は試している状態なのかもしれない。また、共産党中国では、国内の不満を他国との紛争で誤魔化すというのもありがちなパターンと言える。誰だって、外に悪者がいれば、自分の身内には甘くなるものなのだ。ついでに、中国の唱える「超限戦」とは、端的に言えば、無差別の総力戦であり、西洋も日本も二度の大戦で懲り懲りだと思っているのに(正直アメリカは別だと思っている。あの国は別に懲りていない。)、中国自身も無傷ではなかったのに、これを明言できるのは、なぜだろう?この「なりふり構わなさ」の源泉はどこにあるのだろう?歴史なのか国民性なのか、それとも「敢えて」なのか。一体何が中国の望みなのか、想像の世界ではなく、はっきりとこちらも認識しなければ、落とし所もわかるまい。
では、逆に我々は中国に何を望んでいるのか?今の中国の何が気に食わないのか?非共産化というのは安易な考えで、ソ連からロシアに変わった、かの国をみる限り、あまり有り難みのない状態と言える。海洋進出の阻止というのは、間違いなく我々の望むことのひとつだろう。その中でも、海洋資源(石油、ガス、レアメタルだけではなく、魚やサンゴなども)の独占、乱獲については、明確に線引きできるのではないか。ただ、なんせ国と国とが近いので、お互いの権益が重なり合う地域も多い。そういう場合に中国に望むのが、国際法の遵守である。国際法でなくとも、他国と取り交わした約束は守る。その態度があれば、話し合いで解決する余地があるわけだ。その他、環境保全だとかも望むところだし、戦争になって中国からの難民が押し寄せるというパターンは日本も、国境を接するロシアやインドも御免被りたいだろうから、それもこちらの望みと言える。結局「礼儀正しい大国であれば良い」というのが本当のところではなかろうか?歴史上の恨みつらみは簡単に消えるものではないし、消えていいものでもない。だが、それを乗り越えて一緒に国際秩序を守れれば良いのだ。
とはいえ、中国の真意がわからない上に軍事的拡大が続いている状態での、宥和政策はよろしくない。それでは単にミュンヘン会議の二の舞になってしまう。というわけで、軍事的な手法に頼る前に、まずは「これ以上は許さない。法を守れ」と意志を明確に、間違えたり別の解釈をしないように、中国に伝えることが一番最初にやることで、その上で現在の中国の戦力をきちんと分析し、いざとなった時(中国と戦うという決意をしたのならばの話だが)戦える準備をしておけば良いのではないか。「遺憾の意」ではなく、「今度小笠原のサンゴをとったら、ゴジラけしかけるぞ」くらい言えばいいのだ。
最後に夢も希望もない話になるが、結局ある集団がおとなしくなるのは、疲れ切った時なのだ。国際社会では、戦争で疲れ切った国はしばらく平和を求める。ただ、これを素直に中国に当てはめるのは、隣国としてありがたくないシナリオである。元気(でルールを守る)中国が一番なのかもしれない。
■追記■
大事なことを忘れていた。対中国について考えるとき、参考になるのはキューバ危機だと思う。あれも、最初は空爆(&侵攻)か海上封鎖かの議論だったし、大国間の意志や目的の読み間違い、と同時に意志を見せる重要性に学ぶところが多いのではないか。
軍事行動を支持する者からすると、海上封鎖は軍事作戦を遂行する過程で当然実施されるはずだと考えられたのである。このため、本当の選択肢は以下の二つであった。ほかの軍事行動を控えた上で海上封鎖を行なってフルシチョフに撤退に応じる機会を与えるか、事前通告なしで攻撃を行うかである。(P111 「キューバ危機 ミラー・イメージングの罠」ドン・マントン デイヴィット・A・ウェルチ)
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