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若者

その若者とは敦煌市内から莫高窟に行くバスの中で出会った。
地元の人しか知らなそうな路線バスだったため、彼は私が日本人だとは気づかなかったと言っていた。
私はと言えば、観光地で話しかけてきた彼を少し疑っていた。けれども大男なのに温和な笑顔の彼と言葉を交わすうちに彼を信じることとした。
安徽省の地方都市出身。今年地元の大学を卒業したばかりという。
私は中国語がある程度できるが、完全に自由とは言えない。そのことに気づいた彼はこの後、ずっと私に付き添ってくれた。

莫高窟のツアーの手配は全て彼がしてくれた。ツアーが始まるまで彼とコーヒーを飲んで待つことにした。両親は国営企業に勤務していて、日本のアニメが大好き。日本語の勉強をしていつか日本に行ってみたい…。
ツアーの最中も早口のガイドの話したことを一つ一つスマホアプリで翻訳してくれた。これでは彼自身がゆっくり観られないだろうと思ったが、言い出せないままこの若者の好意に甘えることとした。

ツアーが終わって市内に戻る途中、夕食を一緒に取ることとした。彼が探してくれた食堂は美味しかった。さすがに勘定は私が持とうとしたが、彼は固辞しようとする。ここは負けてはならないと思い押して私が払った。

初めて中国を1人で旅したとき、私は彼と同じ歳だった。旅先で知り合った中国人の男性が、私の食事代を全て払ってくれた。結構いい値段したのでなんとか半額は出したいと申し出た私に、その方はこう言った。「どうしてもというなら、いつかあなたが若い中国人と食事をしたとき、その勘定を持ってあげてほしい。私はそれで十分だ」と。
その話を彼にしてその場は収めた。
恐縮する彼に翌日の予定を聞いてみたが、特にないと言う。ホテルの近くに旅行社があって、郊外ツアーを募集していた。郊外のシルクロードの遺跡を巡るツアーだ。彼がもしかしたら気にいるのではないかと思ったのだ。
その話をすると、彼は少し何か考えている風だったが、私と一緒に旅行社に行ってくれるという。結局彼に交渉を任せ、良さそうなツアーに申し込んでもらった。翌朝の再会を約して早々に宿に帰った。
彼とその後の旅程を一緒に旅することになるとは、その時の私は思っていなかった。

写真は敦煌の黄麺。日本のラーメンのような麺だった。

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