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最近毎年行っている中国の旅の記録を公開していきます。

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最近の記事

敦煌莫高窟へ2

 行きのバスの中で知り合った大学生の王くんが予約してくれた中国語ツアーに参加して、あちこちの石窟を見て回った。1人のガイドに20人くらいがついていき、配布されたマイクロフォンでガイドの説明を聞くスタイルである。 莫高窟とは岩肌に掘られた洞窟の集合体の名称である。 その時代の有力者が職人や僧侶に依頼し洞窟を1つ掘らせ、内部に絵を描かせて仏像を安置したものだ。描かれているものは仏教に関する寓話であったり、飛天や菩薩などである。同じものが描かれていても各時代ごとに図柄や色彩が全

    • 敦煌莫高窟へ

      莫高窟へは2回行ったことがある。何年か前に来たことがある訳ではない。この旅行で2回目行ったのだ。 なぜそんなことになったのかは、前回の若者に関係する。 敦煌に来て2日目、持参した「地球の歩き方」を信じて莫高窟行きのバスを探したところ、案外簡単に見つかった。運転手に聞くとこのバスで良いと言う。早速乗り込んだ。 しばらくすると続々と人が乗り込んできた。市内用のバスであり、地元の人しか知らないような雰囲気だった。最後に乗り込んできた若い大男が彼だった。 料金の支払い方を

      • 若者3

        敦煌の旅つづき。 旅先で知り合った若者は、話せば話すほど人の良い青年だった。 どこかあどけなさもあり、面白さもあった。 敦煌市内で見つけた中国人観光客向けのバスツアーで一緒になった同年代の女の子たちに気に入られていたのだが、気に入られていることにすら気づかない、素朴な青年だった。彼女たちを追いかければ良いのに、私が困っていることがないかいつも気にしていた。 玉門関などを巡り新疆ウイグル自治区との境までバスはやってきた。 残念ながら新疆へはこのツアーでは行くことが

        • 若者2

          ホテルの近くにあった旅行社主催の郊外ツアーに、莫高窟で知り合った若い彼と一緒に行くことになった。 外国人の参加は想定されていない中国人向けのツアーだ。私1人だったら参加をためらったかもしれないが、若い彼の好奇心のために半ば付き合うような格好で参加することになった。行き先は玉関などのシルクロードの史跡だ。 ツアーバスの集合場所は私の泊まっているホテルの向かいだ。朝7時発にもかかわらず敦煌は時差の関係で真っ暗だ。旅行社の受付の方が声をかけてくれなければ、危うく置いてい

        敦煌莫高窟へ2

          若者

          その若者とは敦煌市内から莫高窟に行くバスの中で出会った。 地元の人しか知らなそうな路線バスだったため、彼は私が日本人だとは気づかなかったと言っていた。 私はと言えば、観光地で話しかけてきた彼を少し疑っていた。けれども大男なのに温和な笑顔の彼と言葉を交わすうちに彼を信じることとした。 安徽省の地方都市出身。今年地元の大学を卒業したばかりという。 私は中国語がある程度できるが、完全に自由とは言えない。そのことに気づいた彼はこの後、ずっと私に付き添ってくれた。 莫高窟のツアーの手

          砂漠

          とにかく砂漠が見たかった。 地理の時間に習い、テレビでしか見たことがない「砂漠」。 鳥取砂丘は見たことがあるが、だいぶ違うだろうとは思った。 敦煌についた翌日、朝早く起きて路線バスで郊外に向かった。 ガイドブックによれば30分程度で着くとある。 「30分で砂漠」とはちょっと信じられない。 だがこの街ではこれが日常なのだ。 砂漠は平らではなかった。 大きな砂丘がどこまでも連なっていた。 そのうちのひとつの砂丘に登ろうとしたが、砂に足が取られてしまう。 中腹で立ち往生した私

          中国の砂漠

          中学校まで最も好きな教科は社会科だった。 特に地理。地図帳は穴が開くほど眺めた。 街から街へ旅をすることを夢想しては、地図帳に線を引いていた。 敦煌はかつてシルクロードの途上、中国世界の西の出口であった。 2019年の年末、ようやくこの地に来ることができた。 乾燥し、何もないこの地をかつて大勢の人々が訪れ、この地を巡って血を流した。 敦煌の郊外ツアーに参加し、教科書にあったいくつかの遺跡を訪れた。 かつての軍事拠点が砂漠の中に残っていた。 少しずつ風化しながら、砂になるその

          中国の砂漠