見出し画像

「三方良し」から「四方良し」へ;優れた教育事業とは何か

よく(経済学というよりは、本来の意味での)経世済民の文脈において重要であると語られるのが国民経済(national economy)であり、古くは日本でも「三方良し」の概念で語られてきた概念です。

三方良しとは売り手よし、買い手良し、世間良しの3つを満たす商いが最も上質であるとする理念です。まず売り手が妥協や偽りのないものを提供することで、顧客も安易であったり、その場しのぎのものに満足することを防止し、その関係が至る所で成立しては、正の外部性が生じることで社会全体の幸福度=効用が上がる、という考え方です。

四方良し;教育事業の特殊性

ですが教育の場合、この買い手が二手、つまり学生と父兄に分化することで四方良しとなり、さらに関係が複雑になります。

受験指導の害悪の一つに、世間良しを全く無視しているという現実があります。

よくあるのは、「面倒見がいい学校」や宿題付けにする受験塾の例です。取引を提供する指導の提供者と、とにかく合格実績を望む保護者の二手のみが満足するものを取引すればそれでよいとする構図で、この場合世間はもちろんのこと、実際に指導を受ける学生の意向も踏み倒す形となり、きわめて質の低い事業であるといえます。東大受験塾や予備校化してる中堅のスパルタ校がこれです。文字通り学生に人権はありません。

割と「自由な校風」で知られる軒並みの上の方の学校も、上の二手に加えて学生が満足するものを提供することは、とりあえずはできる傾向はありますが、その指導効果が世間に波及することはまずなく、むしろ学校単位で自閉しては障壁を立てる、隔離施設のようになっています。当然この場合正の外部性は期待できません。進学校で奇人変人が量産される傾向があるのもこうした体質によっています。

khan academy&cousera

では本来あるべき具体的な姿はどうあるべきなのか、1つの解を与えているのがkhan academyやcouseraです。それまでの指導経験やノウハウの一部を映像講座、しかも場合によってはフリーで公開し、それを世間が享受できる仕組みを作っています。まずこれがアメリカで取られている教育格差是正の試みです。他方で日本のそれは、衛星予備校がまさにそうですがーむしろ地方や中下位校の学生から踏んだ食ってくる構図になっています。当然ながらろくでもありません。

ネットワーク外部性

COCではどういうスタンスでやっているかといえば、学校単位の文化障壁を超え、互いの良さを持ち寄ることをまずは意図しています。これにより学校間で外部性が生じます。特に電話と同じで、学校の数が増えれば増えるほど、その効用が増します。これをネットワーク外部性といいます。

中でも同質化の激しい男子校・女子校の学生にとっては極めて消耗するプロセスで、居心地が良いとは言えません。共学の学生は対人が強くなる傾向はありますが、特定の科目に対する強さは前者に劣る傾向があるため、学力で頭を殴られる思いにさらされ、その意味ではしんどさがあります。ですがこれを超えられれば与えられた環境では手に入らない多くの競争力ー具体的には、認識の仕方の質的な変化とrealityを手に入れることができます。と同時に、それをできないと上記のような事業なり社会全体のゆがみが生じることになるわけです。

安定した社会と経済の成長のために

カリキュラムやコンテンツを外部に公開するという点においては、しばしばサンプル授業なり問題解説を映像の形で上げていますが、それ以外の面においても、例えば先のRISDの学生の映像もそうですが、学生自身の考え方をそのまま伝えることで、彼らが宿すidentityの洗練度を伝えるようにしています。identityが洗練されていかなければ社会と向き合うこともできませんから。むしろ科目指導よりも優先順位ははるかに高いのは、結局優秀な学生なり、将来恵まれたポストに就く可能性が高い人材が、世間に与える影響が大きいからであるためです。

四方良しを実現しつつ、かつ世間良しを実現する姿勢を崩さないことが、教育の難しさだと考えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?