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【感性】僕の不思議な「こども時代の習慣」とは何か

今思い返すと、思わず首を傾げたり笑ってしまう、自分の子供の頃の変わった癖や習慣に関して、皆さんも思い当たる節があるのではないでしょうか。

僕自身にも大小ありますが、特に印象的な子供の頃(小学生)の自分の習慣として「人形遊び」があります。

その方法がまたユニークな習慣だったのですが、思えば我ながら素敵な感性だったと思うし、今の自分に大きな影響を与えているのではないかと思うので、触れてみたいと思います。


【1】 人形遊びとは


僕の「人形遊び」は、指人形を使って会話をしたり、リカちゃん人形やシルバニアファミリーのような、人形を使った遊びをするために作られた既存の商品を使って物語を展開するものとは若干異なります。

人形遊びと言っていますが、厳密には「人形劇」と言った方が近いでしょう。

使うものは、①1枚のマット、②複数の人形(鑑賞用の人形、時にはカードも使用)、③ウォークマンで、1〜2時間程度のオリジナルのストーリーを毎日作っては、1人で遊んでいました。


【2】 具体的にどのようなことをしていたのか


当時は携帯電話を持っていなかったので、下校後は自分の世界にどっぷり入ることが出来ました。

家に帰ると、はじめにマットを用意します。

マットは、人形遊びの舞台(フィールド)用です。

それは白いマットだったのですが、使い込みでやや黄ばんでおり、体育で使うものよりは柔らかい素材のものでした。

この時点で、ある程度のストーリーのイメージはあったはずで、二つ折りのマットを広げて床に敷き、時にはストーリーの世界観に合わせて舞台を立体的にするため、リビングからクッションを持って来てマット上に配置しました。

これでフィールドは完成です。

次に、人形を用意します。

当時、この人形遊びが好きだったこともあり、家には様々な種類の人形がありました。

ポケモンやドラゴンボール、ナルトなどキャラクターはまちまちですが、どれも子供用のガチャガチャやイトーヨーカドーの子供コーナーで買えるようなもので、どちらかと言うと鑑賞用にデザインされたものが多かったです。

習い事や学校のテストを頑張ったご褒美に、コツコツ買ってもらって貯めていました。

これらが入ったカゴを引っ張り出してきて、ストーリーのイメージに合った人形やその日登場させたいキャラクターを選んで、下準備は完了です。

うまく思い出せませんが、たしか第一話、第二話みたいな感じで、連続のストーリーになっており、ひとまとまりのストーリーが終われば、次のシリーズを考える、そんなサイクルでした。

ストーリーは、人形同士が戦うアクション系が多かったと記憶していますが、不思議なのがアクションシーンの前後に、アクション無しのストーリーがあったことです。

つまり、登場人物同士の出会いや別れ、他愛も無い会話シーンが結構長尺であり、アクションシーンを「ハレ」だとすると、そのような「ケ」のストーリーも含めて、全てオリジナルで作っていたのです。

また、その他の特徴として、僕はこれらの人形劇に音楽を付けていました。

小学校高学年の頃に念願のウォークマンを買ってもらい、それを使って各シーン(「ハレ」と「ケ」)の雰囲気に合わせた音楽を流していました。

当時流行っていたイナズマイレブンなどアニメのサントラを使ったり、あと何故かウォークマンに入っていた『炎のランナー』のテーマソングとかもよく使いました。

これを毎日1~2時間。

映画もそれくらいの時間がありますから、1年間で相当数の脚本を書く名キッズ脚本家だったと思います。

あ、言い忘れていましたが、僕はこれを幼稚園後半から小学6年生くらいまで続けていました。

家での遊び方はプライベートなこともあってか、敢えて周囲に聞いたことはありませんが、インターネットで見る限り、人形遊びを含むごっこ遊びは小学校低学年で終わることが多いそうなので、僕はかなりその期間が長かった、少し特殊な例なのかもしれません。


【3】 今の自分にどのような影響を与えたのか


人形遊びの経験は、今の僕にどのような影響を与えているのでしょうか。

まあ、結果論と言うか、後から振り返った時のこじつけになるかもしれませんが、2つくらいあるかなと思います。

まず、僕は1人でいることに抵抗が無いのですが、これは関係しているのではないでしょうか。

自分のご機嫌を自分で取れるというか、他者との関わりも大切にするけれど、人間関係に依存する部分が、周りと比較して非常に小さい方だと思います。

SNS等で自分の日常をシェアすることに関心が無かったり、悩みの9割は人間関係と言われる中で(周囲の悩みを聞いていて、この仮説は確からしいと思いますが)、僕にとって人間関係の悩みは、悩み全体の1〜2割程度だったりします。

一方で、その弊害でしょうか、よく「Schumpeterは、私に心を開いている?」と聞かれることが、しばしばあります。

いや、僕としては開いているつもりなんですけど、指摘されることが多いため恐らく事実なのと、少しコンプレックスだったりもします。

以前、「人と心通わせると人生変わるぜ!」と言われ、僕は心を閉じていて、人と心を通わせられていないように見えるのか、、と絶望したこともあります。

自分のことを100%分かる人なんていないと思いますが、僕の場合はこの点に関して、自己理解の必要性がありそうです。

もう1つは、僕は常に何かしらの「シナリオ」を考えています。

人形遊びをしていた頃と違い、今はノンフィクションの題材がほとんどですが、自分のキャリアや、仕事で扱う案件に関するシナリオに常に思考を巡らせています。

能力に凸凹がある僕ですが、とりわけ他者から評価をいただくのが、仕事の進め方だったり計画性の部分です。

計画性と言っても、大きな地図を描くというよりかは、その時々で次に何が起きるかを想像して、そのために必要なアクションを他者を巻き込みながら進めることです。

この点は群を抜いて能力がある、とお褒めの言葉をいただくことが多く、きっとこれは人形遊びで培ったイマジネーションの力が一定関係しているのではないかと思ったりします。

特にキャリアなんて、プランドハプンスタンスなところがあるので、計画したって仕方が無い部分も多分にあるわけですが、本能的に思考(想像と言った方が近いかもしれません)が止められないのです。

今は頭が固くなったのか、以前ほどのイマジネーションや独創性は無くなってしまったかもしれませんが、「人形遊び」が今の僕の一部になっていることは確かだと思います。


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