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【告別①】あなたは「ブラボー!」と言ってくれますか

以下の記事の後日談です。



【1】 あなたは「ブラボー!」と言ってくれますか


1つの使命をくれた恩人との「別れ」は、思うほど簡単ではありませんでした。

ある日、携帯に1つの連絡が入りました。

それは、「祖父が亡くなった」という旨を伝える連絡でした。

当時の僕は不思議と落ち着いていて、その時の気持ちは上手く言い表すことが出来ません。

なんとも言えない複雑な気持ちを抱え、早速その週末、僕は告別式が行われる関西へ向かいました。

その告別式は、祖父が生前通った教会で執り行われました。

葬儀の話はプライベートなことだし、詳細を語るつもりはありませんが、総じて素晴らしい時間となりました。

親族が文字通り全員、国内外から駆けつけ、これは僕の人生の中でも経験がないことです。

祖父は、自分の命と引き換えに、あの日の濃密な時間を用意してくれた、そう思わざるを得ないほど、恵に満ちた濃密な時間でした。

ちなみに、火葬場に向かう霊柩車は、道を間違えました。

後続の車を散々惑わせた上で、左に曲がらねばならぬところを、気持ち良いくらい思いっきり右にハンドルを切ったのです。

「葬儀場の人達は、祖父がよく散歩した川沿いを、最後にドライブしてくれたんだろう」と親族と言葉を交わしました。

実はこの夏、僕は会社を休職し、高齢者施設で実習を行っていました。

わざわざ2ヶ月分の給料を捨て(お陰様で、正直貯金はあまりない)、僕は会社を飛び出しました。

なぜなら、祖父母から使命をもらったからです。

その使命とは「介護をする人の負担を減らすこと」でした。

しかし、祖母は介護する側である一方、祖父は介護される側だったはずです。

なぜ「介護する人の負担を減らす」という使命を彼からもらったのでしょうか。

それは、介護される側の人の中には、介護する側の人に対して少なからず、「申し訳ない」という気持ちを抱えながら生きる人がいて、介護する側の負担を減らすことで、最終的には彼の様な人達の精神的負担を減らすことが出来ると気付いたからです。

人間だから、介護されるという日常が当たり前になれば、日頃から感謝をすることを忘れることがあるだろうし、依存先が少ないからこその甘えがあるでしょう。

コロナが落ち着いた最初の正月、親族で集まった際に、祖母のテンションが爆上がりし、1人1人に1年の抱負を語らせる時間がありました。

祖父はコロナが落ち着き、皆で集まれた嬉しい気持ち、そして集まったくれたことへの感謝を述べ、最後に謝罪をしました。

「迷惑をかけて申し訳ない」と、か細い声で親族に自分の気持ちを伝える祖父の頬には涙が流れていました。

僕はその光景を忘れることが出来なかった。

大変なのは祖母だけだと思っていたからです。

それから、祖父母を助けたい一心で学校へ飛び込み(解決策の糸口を探るため、ある意味「介護の現場に潜入調査する」ような形で実習に取り組むことを決心し)、今に至ります。

そうです、お察しの通り、僕は祖父母を助けることが出来ませんでした。

これは「無念」とか「情けない」とか、そんな言葉で言い表すことの出来る感情ではありません。

よく「人のために動いてえらいですねー」なんて言われますが、それは僕の動機を誤解していると思います。

目の前に大切な人が溺れている中、もしあなたがそれを無視して肘枕をつくならば、おそらく僕とあなたが理解し合うことは難しいでしょう。

僕は、失敗を繰り返す訳にはいきません。

この課題は、親の世代で再生産になるからです。

パブリック・プライベートの両面から誰がどのような痛みが発生しているのかを1つずつ押さえ、仕組みだけでなく、取り組みを短期的に進めながら対策を考える必要があります(介護業界は、その他業界と比較して行政の介入度が圧倒的に高く、仕組みとか制度ばかりに頼っているとタイムスパンが長期化する傾向があります)。

ちなみに、祖父の死因の詳細には言及しませんが、とにかく苦しまずに天国へ帰ったとのことです。

親族の多くは口を揃えて、「これは神様の”御心”だね」と言いました。

このことは、自分の信条に関して、僕自身最も好きな考え方です。

つまり、全てが神の下で「最善」ということです。

出会いも、選択も、それらのタイミングも、偶然に見えることは全て、根底に僕達の自由意志がある「最善の必然?必然の最善?」だと僕は思います。

実際、祖父は治療が困難な病とこの十数年闘い、これからも生き続ける場合、精神的・肉体的に辛い日々が続いたに違いありません。

親族が全員クリスチャンではありませんが、その時は彼らも「最善の時」の意味が少し分かったとのことです。

これで本編を締め括ろうと思いましたが、最後に少し祖父の話をさせて欲しいです。

きっと許してくれるはずです。

僕は祖父のことを「じーじ」と呼んでいました。

彼は、何か演奏を聴いたり芸能を体験する中で感動すると、必ず「ブラボー!!」と大声で叫ぶ癖がありました。

海外では最高の賞賛に値するのかもしれないですが、ここは日本。

そんなことをする人も珍しく、特に祖母(祖父からすると奥さん)に嫌がられていた、なんてのは今になれば笑い話です。

じーじは、僕の歩みに天国から「ブラボー!」と言ってくれるでしょうか。


【2】 パートナーと弁図


約3年前に遡りますが、冒頭に紹介した記事の「7日間」、僕は祖母と多くを語り合いました。

数年のコロナ禍を経て、当時22歳になった僕は少しばかり大人に見えたのでしょう。

祖母は僕に対して孫ではなく1人の大人として関わってくれたように思います。

その時に受け取った多くの言葉のうち、僕の中で印象に強く残ったものが2つあります。

1つは、「(精神的に)何かに頼らずに生きるには、世の中には辛いことが多すぎる」ということ。

もう1つは、「親子には血縁関係があるから強い"縦の糸"で結ばれている一方、夫婦やカップルは"横の糸"であくまで他人であり、それは脆く、両者の努力を要する」ということでした。

様々な修羅場を経験した、御年80歳を超える祖母の血の通った言葉でした。

前者は恐らく、この混沌とした世界の中でクリスチャンとして生きることへの言及でしょう。

しかし、この記事では後者に触れようと思います。

僕は結婚の経験は無いけれど、多少は異性との交際経験があって、祖母の言葉には思い当たる節があり、それは多くの場合、残念ながら痛みを伴うものだったりします。

人間関係の中でも、例えば「友人」関係の多くは、個々の存在が独立しており、弁図が重なることはありません。

だから、自分を相手に投影したり、相手を自分に投影したりすることはありません。

子供の頃は、自分の親しい友人が他の子と親しくすると、何だか複雑な気持ちになる、みたいなことが多少あったかもしれませんが、大人になるにつれて、それは少なくなるはずです。

一方、交際関係にある以上、弁図の重なる部分が発生します(重なる部分をAエリア、重ならない部分をBエリアとしましょう)。

図:パートナーと弁図

夫婦関係になれば、精神的・肉体的・経済的にもAエリアは大きくなるでしょう。

弁図が重ならない以上、それは友人水準以下の関係性であり、敢えて夫婦や彼氏・彼女などの関係性を選び取る必要はありません。

そして、お互いのBエリアに足を踏み入れるには、相手の許可を取っていく必要があるでしょう。

所謂「束縛」は、相手のBエリアに一方的に侵攻することを指すのではないでしょうか。

もし、何かを一方的ではなく、お互いのルールとするならば、それはAエリアに該当し、束縛にはならないはずです。

Aエリアにお互い何を持っていき、擦り合わせ、合意するか。

これも各々の関係性の中で決められることです。

お互いのBエリアを受け入れ、ある意味勇気を持って手放していくことの根幹にあるのは、相手への「信頼」と多少の「自己肯定感」だと思います。

僕自身、Aエリアに持っていきたい事柄は複数あり、ものによっては直感的な理解が難しいことは理解していますが、どれもこの「信頼」を、肉体的側面や経済的側面からではなく、「精神的側面」から獲得するためのステップだと思っています。

まあ、どれも思考途上なのですがね。。仕掛状態で思考をアウトプットする理由はこれです。


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