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新しい事をする≒文化を受け入れるって事

僕は音楽活動をしている。
最初はバンドをやっていて、仕事で忙しくなり練習も何もできなくなって休止。でも音楽を諦められなくてボーカロイドに手を出した。
それで実感したのは、「バンド活動に伴う文化」と「ボーカロイド界隈の文化」は全く異質であるという事だ。

例えば日本国内で転職して職場を変えたとしても、それは日本の労働慣習の中での移動なので、転職先が以前の職場と異なる企業風土だとしても「異質」ではない。常識は一緒だし共通言語も一緒だ。つまり異なる企業同士でも文化をかなり共有しているって事。

しかし「バンド活動に伴う文化」と「ボーカロイド界隈の文化」は異質だった。これってあれだよね。「バンド活動」そのものがすでにサブカルではなくなって常識化してるって事だと思うんだ。一方で新しい文化であるボカロ文化というものはそのカウンターになってると思うんだ。
僕もボカロ界隈とバンド的価値観と行ったり来たりするのはつらい。例えるなら縁側でお茶を飲みながら老人のよもやま話の相手をするのと、哲学を研究するのと同じくらい異質なのだ。

つまるところ、僕がボカロ界隈に参入するというのは「新しい文化を受け入れるという比較的大きな行為」であったのだ。
しかし僕の場合にはバンド活動の延長線上の事だったので当然浮く。
それでもボカロ界隈のTwitterアカウントを次々にフォローして自曲を宣伝していた。で、バンド活動の延長線上であったために異質な文化である他の作曲者の曲に興味があまりなく、それゆえに褒め合う事がなかった。当然浮く。そうすると人気は落ちる。

そして今。僕はそんな状態から非ボカロ、つまり親しいボーカリストに歌ってもらう方向に舵を切った。そうすると「自分に人気がないボカロ好きの界隈で非ボカロ曲の宣伝」などをする事になって余計人気はなくなるわけだ。音楽という共通項を頼って両文化を行ったり来たりする事はかなり難しい。そのくらい文化の差がすごい。その差が大丈夫な人はいるけど、僕には無理。

ボカロでの活動を始める前の僕に一言いうとすれば「外国に行くような気持ちで行け」という事だろう。生水に気をつけろ

サポートして頂ければ頂くほど調子に乗って色々書いて、人気が出たり、炎上したり変化していくと思いますので、よろしくお願いします。