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SECOND LIFEは本当に失敗した?

2003年からスタートしたこのゲーム/メタバースは、日本では多くの場合「失敗した」と言われる。
では、本当に失敗したのか?

結論から言うと「失敗した」である。
他のMMOとは違って戦闘はなく、自由。実に平和・・・
のように見えるのだが、やる気のあるプレイヤーはモノ作りに夢中になる。
それは3Dモデリングソフトを使って造形をし、スクリプトを書いて動かしたりなど、そしてそれを売ったりなど、クリエイティブな事が楽しめる。

だが、問題はそれが出来ない人達である。つまり見様見真似も出来ない人たちである。
確かに通貨はゲームの世界内で流通しているのだが、基本的には現金で買って、ゲーム内で使う。
現実の世界では多くが「生産者であり、同時に消費者であるがゆえに経済が回る」のであるが、ゲーム内の消費者は一方的に消費者なのである。
 そういった人々の一部は「DJ」として活躍したりするのであるが、基本的に権利関係が無法地帯であり、曲を無断で流してチップを貰う(ちなみにゲーム内通貨は換金も出来る)。その上、許可なく改竄する者もいる。
親告罪を盾にとって「別にいいんだ」と強弁する者もいるが、残念ながら2018年に非親告罪になったので、無意味である。それ以前に倫理作曲者を始めとする作り手へのリスペクトはどこへ行った?という具合である。
これが一つ目の「失敗」である。「怠慢への肯定」を筆者は否定しないが、「倫理への怠慢」は罪深いものがある。

(個人的に言うと作曲を趣味にしているものとしてこれは唾棄に値する)

次の失敗は「敵がいない」である。
一般的なMMOゲームは戦闘がある事によってプレイヤーたちの「かすがい」になっている。「子はかすがい」の「かすがい」である。
これは仲間内で多少不和があっても「同じ目的、同じ敵を倒す」という「かすがい」がある事で人間関係のガス抜きとして機能している。
だがSecondLifeにはそれがない。
無いとどうなるか。不和一直線、喧嘩一直線、いじめ一直線である。
確かに「平和でクリエイティブ」なのは良き事なのだろうが、そこには現実では隠蔽されている剥き出しの「人間関係」が顕れた。
人間は敵を作りたがる上に、他人をコントロールしたがるのである。
筆者の経験上、このMMOの中では新しくプレイし始めた者が潰されていく事が多い。
考え方が違うと、唯一確かなレガシーと言っていい「人間関係」によって潰しにかかる。こういった例が多すぎる。
これが第二の「失敗」である。大失敗である。
(意地悪く言うと人間の本質を暴く一助になった事に関しては大成功である)

最初の問い「本当に失敗したのか?」に関しては重ねて言うがYESである。

自由を夢みたのはいいとして、しかしそれは非常に有限でその有限さは人間自身が制限しているという事に目がいかなかったのは大失敗である。
良かったらこれを読まれた方もプレイしてみるといい。剥き出しの人間に対する絶望を味わうことになるであろうから。



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