スクールロイヤー、教育ネグレクトを考える

けっして、不登校の全てが教育ネグレクトではない。でも確かにその中に存在する、教育ネグレクト。その線引きの難しさ。

学校教育だけが教育の全てではない

今では少しずつだけど、子どもたちの学校以外の学びの場所が増えてきていて、その多様性も同様に増えてきている。子どもたちの持つ多様性に対してみれば、まだ十分なバリエーションとも数とも言えないけれど、その子ども自身の意思によって「学校に行かないで学ぶ」という道が選ばれたとすれば、それはけっして間違いではなく、否定されるべきものではない。

学ぶ権利と学ばせる義務

子どもたちに学ぶ権利というのは認められている。しかし、子どもは生まれた時に知識はない。だから、自分の人生にとって将来何を学ぶべきか正しく取捨選択することができない。学ぶこと、学んだことの本当の価値は、学んだ人にしかわからないものだ。得るまでは役に立たなそうだったり、必要無いとさえ思えるものでも、実際得てみたら、とても役に立つ知識というのもある。

義務教育というのは、子どもの義務ではなく、親の義務だ。教育基本法には次のような定めがある。

学校教育法17条
2 保護者は、子が小学校又は特別支援学校の小学部の課程を終了した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満15歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを中学校、中等教育学校の前期課程又は特別支援学校の中学部に就学させる義務を負う。

勉強しなければならない、のではなく、勉強をさせなければならない。

就学義務違反という制度

あくまで、就学義務というのは、「就学する義務」ではなく、「就学させる義務」だ。

だから、子どもが就学していない場合に責任を問われるのは、勉強をしない子ではなく。勉強をさせて(させられて)いない親の方だ。

では、(どういうケースかさておき)親が就学義務を果たしていないといえる場合、どのような法的整理になるだろうか。学校は、行政は、どのような働きかけができるのか。

この点、かなり対応が悩ましいケースが実際にあったため、教育ネグレクトについて虐待対応はしないのかと、管轄の児童相談所の担当者とがっつり話したことがある。

これに対する担当者の回答はノーだった(令和2年度時点。ちなみに児相もときどき体制が変わるので要注意)。しかし、その担当者は、児童相談所が関わらないから何も手がないわけではない、と一つの手段を示してくれた。それが次の規定だ。

教育基本法144条(就学義務違反の罪)
第17条第1項又は第2項の義務の履行の督促を受け、なお履行しないものは、10万円の罰金に処する。

この規定をどう使うのかというと、実際の大まかな流れは次のような感じだ。

①学校が、保護者に、子どもを通学させるように(繰り返し)促す

②教育委員会が、保護者に、子供を通学させるように(繰り返し)督促する

③教育委員会が、警察に、就学義務違反の保護者がいるとして、通報をする

④警察対応がはじまり、検察が起訴し、裁判所が罰金刑を科す。

なお、罰金刑のあとも就学させなければ、更に新たな就学義務違反として検挙はされ得る。

もちろん、教育現場の目的は④ではない。こうなり得ることを伝え、就学させる積極的な意思がない保護者に重い腰を上げさせ、子の就学に向けて具体的に動いてもらうことにある。

親の就学義務違反はどこからだろう

冒頭に、不登校の全てが教育ネグレクト(就学義務違反)ではないと書いたけど、その線引きがどこにあるかは難しい。

一番の典型例は、子どもが勉強したいと思っているのに、家事や仕事を手伝わせるなどして学校に行かせないケースだ。(ちなみに、裕福な家庭や地域の方ならそんなケース今の日本であるのかと思うかもしれないが、某地域で、貧困家庭が自ら経営する深夜のバーなどを手伝わせ、昼は寝かせ、学校に行かせないケースがあるという話を弁護士の頃に聞いたことがある)

あとは、親自身が国の教育制度そのものにかなり強い拒絶感があり、子どもを学校に通わせようとしない、なんてケースは実はちらほら耳にする。

これらの例は比較的分かりやすいが、悩ましいのは、子どもがまだ年齢が低かったり、知的な能力から、学校に行きたいと積極的に意思表示をしたり、そもそも〝学校に行く意味〟といった判断の前提となるものについて理解ができていないケースだ。

このようなケースだと、学校に行かせない親に対して、子供も特に反論も反抗もせず、学校に行こうともしない。成長したら意思表示ができる時が来るという意見もあるかもしれないが、そういった日々が続き、学校に行かないことが当たり前として習慣付いた環境で、その子は学校に行きたい!と積極的に意思表示できるだろうか。また、学校に行かせていないが、子どもも嫌とは言っていないから学ぶ権利を侵害していない、と保護者が言うときに、その言い分は通るだろうか。

さらに、子どもが学校に行きたがらないでいるといっても、その温度というか程度の見極めも難しい。たとえば家での自堕落な生活に染まってしまい、単に外に出るのをめんどくさがっているというのと、本人の特性や学校での嫌な出来事から学校に行くことが辛いというのでは、その性質は異なると言えると思う。

家庭によって、その状況も、子供の能力も異なるため、どこから就学義務違反というべきか、ということについて、簡単に線引きはできない。とはいえ、保護者の就学義務違反により子どもの権利が侵害されているケースが、日本で0であるはずもない。毅然と対応すべきケースはきっと日本のどこかに、しかし必ずあり、その事案こそ、スクールロイヤーは法律の専門職としてその力を発揮すべき場面の一つとも言える。

子どもたちが、一人でも健全に生きていく術を身につけるために

こうして、考えをまとめながら書いていくうちに思いついたのだけど、少なくとも、就学義務違反かどうかを考える上での一つの大事な要素は、その日、その子が機嫌よく過ごせているのかではなく、その子が将来、一人でも健全に生きていくための道を用意し、手を尽くしているのか、というところのような気がする。親が努力しても、学校や行政が手を尽くしたとしても、子どもが学ぶこと自体を拒絶することは考えられる。そのときに、保護者に就学義務違反があるとはけして言えないだろう。

下手すれば教育虐待とも言われかねない絶妙なバランス感覚が問われる話だけれども、そここそ教育現場がプロとして悩み、取り組みべき課題とも思える。



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